■節子への挽歌2837:夫婦は元気の泉
節子
国会が荒れています。
安保法案を与党が強行採決したのです。
抗議のために国会周辺には多くの人が集まり、夜になってもどんどん人が集まり、主催者によれば5万人を超えたそうです。
私の知人も何人か参加しているはずです。
今回、私は、一度もデモには参加していません。
いささか罪の意識はあるのですが、どうしても行く気になれません。
特に明白な理由があるわけではありませんが、行く気が出ないのです。
この3年ほどで、私もまた何かが変わってしまった気がします。
節子と一緒に国会デモに参加したのは、イラク派兵に関する時だったような気がします。
節子にとっては初めてのデモでした。
議員会館あたりで、もみくちゃになり、くたくたになって帰ってきました。
次に参加したのは、ピースウォークでしたが、こちらは節子も楽しんでいたようです。
いまから思えば、あの頃はまだ社会もまだまともだったような気がします。
しかし、ニーメラーではありませんが、状況はあっという間に変わってしまった。
「閾値」はもう超えてしまった気がします。
私たち世代は、たぶん「生き方」において失敗したのです。
せめてその認識だけは忘れないようにしようと思います。
それでも、もし節子がいたら、国会に出かけたでしょう。
いまほど、引きこもってはいないでしょう。
伴侶は、お互いに元気を与え合っているのではなく、その関係のなかから、元気が生まれてくるように思います。
夫婦は、まさに元気の泉なのです。
伴侶を喪うと、どうも元気が出てこないのです。
ガンジーが、「どんなに無意味だとわかっていてもやらなければいけないことがある」というような言葉を残していますが、人は一人の世界に入り込んでしまうと、そういう気さえ、起きてこないのです。
伴侶さえいれば、「無意味さ」にも「意味」を感じられるのです。
人は、まさに「関係」の中で、生きていることが、伴侶を喪ってよくわかります。
伴侶以外との関係をもっと構築しておく生き方をしておけば、こうはならなかったかもしれませんが、いまさらどうにもできません。
困ったものです。
どこにでも一緒に出掛ける仲良し夫婦がいますが、きっとあの夫婦も国会に行ったに違いありません。
雨がひどくならなければいいのですが。
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