■成員に居場所を用意してくれない社会
新幹線車内での焼身自殺事件は衝撃的でした。
また「新しい事件の方法」を解き放ったということに大きな脅威を感じます。
こうやって、人間は新しい「方策」を「やってもいいのだ」と「解禁」してきました。
新しい形の犯罪が行われ、それが世間の目にさらされると、必ず「模倣犯」が生まれます。
というよりも、「そんなことをやってもいいのだ」という「気づき」が生まれるのです。
そうして人類の歴史は、次々と新しい犯罪や事件を生み出してきました。
ですから、私は、新しい犯罪や事件は、あまり報道の対象にしてはいけないと思っています。
いま話題になっている、少年Aの「絶歌」は、出版すべきでもマスコミが取り上げるべきでもないと私は考えています。
林崎さんは、そうした「禁断の扉」をまた一つ開けてしまった気がします。
この事件で、もう一つ思い出したことがあります。
つい最近、友人に勧められて読んだピエール・ブルドューの「資本主義のハビトゥス」です。
この本は、フランスの社会学者ブルドューが、アルジェリアの農村社会が、フランスによる植民地化によって資本主義経済へと移行する過程での農民たちの暮らしの変化を社会調査した結果を踏まえて書かれたものです。
40年近く前の書籍ですが、人々の孤立化が問題になっている、現在の日本の社会を考える上でも、多くの示唆を含んでいます。
そこに次のような記述があります。
農民社会のように、その成員に労働を与える義務をそなえた社会、そして、生産的ないしは営利的な労働を知らず、同時に、労働の希少性も知らず、失業の意識もない社会、そういった社会では、なにかしたいと思う者には、つねにすべきことがあると考えられていて、また、労働は社会的義務とみなされ、怠惰は道徳的過失とみなされているのである。
私の印象に残っていたのは、「成員に労働を与える義務をそなえた社会」という言葉です。
今回事件を起こした林崎さんは、たぶん、いまの社会に「活動の場」、つまり「生きる場」が見つからなかったのでしょう。
彼は決して、「怠惰」ではなかったのではないかと思います。
ただただ「場所」がなかった。
成員に場所を用意してくれない社会。
日本はそんな社会になってしまったのだと、林崎さんはメッセージしてくれているような気がしてなりません。
この「事件」は、日本の社会の現在と未来を、鋭く象徴しているように思えてなりません。
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