■国民の声、国民の理解
コミュニケーションとは自らが変わることである。
自らが変わることによって、相手との関係を変え、相手を変え、状況を変えていくことである。
これは、私の「コミュニケーション」のとらえ方です。
http://homepage2.nifty.com/CWS/communication1.htm#cc
安保法案が国民に理解されていない、と政府はよく言います。
本当でしょうか。
細かなところは理解されてはいないでしょう。
しかし、その趣旨や狙いはどうでしょうか。
理解されていないのに、賛成や反対の割合は変化するでしょうか。
理解されていればこそ、ここまで反対行動が高まっていると考えることはできないのでしょうか。
政府のいう「国民の理解」は「賛成」を意味しますが、皮肉なことに野党の言う「理解」も、同じ枠組みの中に捉えられがちです。
野党は、まだ説明不足や議論不足などといわずに、「理解が進んだからこその反対の増加」という捉え方で議論すべきだと思いますが、野党もまた与党と同じく、国民を蔑視しているような気がします。
そうでなければ、野党は国会対策よりも、国民との連携に力を注ぐことになるはずです。
自民党と民主党は、基本的には同質だと思わざるを得ません。
説明責任という言葉も、一時はやりました。
説明責任を果たせばいいということではないはずですが、いつの間にか、肝心の問題の是非よりも、説明責任が目的化してしまった感もありました。
本末転倒も甚だしい気がしましたが、どこかで問題の核心が外されることには注意しなければいけません。
「説明」「理解」
そこには、一緒に考えるという姿勢はありません。
新国立競技場の「騒動」に関して、阿部首相は盛んに「国民の声を聴いて」と言い出しました。
原発や安保法案に関してと新国立競技場に関してとは、国民の声の聴き方が違うのでしょうか。
わかりやすい話に、話題の重点が移らなければいいのですが。
今ごろ新国立競技場が話題になること自体に、私はある作為を感じますが。
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