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2015/07/05

■体験したものの責任

なかなか時評も書けなくなっていますが、先日、予告した「体験したものの責任」を書いておこうと思います。

福島の被曝状況をテーマにした先日のサロンの報告で、原発事故被害やそれへの対処法に関してはさまざまな捉え方と選択肢があること、報道やデータもまたさまざまであること、原発そのものに関しても賛否いろいろであることなどを踏まえて、大切なことは各人が自分の問題として主体的に判断し行動することだというところに落ちついたと書きました。
それには私も異論はありません。
しかし、それだけでいいのかというと、やはり違うような気がして、サロンでもその意見を話させてもらいました。
それが、「体験したものの責任」です。

自分の問題として考えた時、原発は禁止すべきだという人とリスクはあるもののやはり原発に依存していきたいという人とに分かれるでしょう。
それに関しては、誰も他者を強制できないかもしれません。
しかし、原発事故を「体験した者」としては、その事故の意味をきちんと他者に伝えていく責任はあると思います。
というのは、原発事故は時間的にも空間的にも、その被害を限定することが出来ないからです。
チェルノブイリ事故からはもう40年近く経過しますが、未だに廃炉は実現できず、消滅した町は決して少なくありません。
原発事故は、決して「個人の問題」ではないのです。
その認識を持たねばいけません。
自らの雇用がなくなるとか、経済的なダメッジを受けるとか、利便性が損なわれるとか、そんなことは「瑣末なこと」です。
そういう発想で、原発を考えるような「利己的な姿勢」は、私には理解しがたいことです。

実際に原発事故の被害を直接体験していない人も多いでしょう。
しかし、福島の実状はかなり報道されています。
その気になれば、その惨状を知ることはできるでしょう。
たとえば、昨日、再放送されていた「廃炉への道」というNHKのドキュメント番組を見た人なら、その事故の意味がわかるはずです。

原発事故を起こしたのは、日本に住む(原発の恩恵を享受してきた)私たちです。
そして、その事故の結果を、さまざまな面で体験しているのも、私たちです。
実際に被爆しなかったとしても、被災して、故郷を失ったり人生を大きく変えたりしてしまった人たちをたくさん知っているはずです。
テレビでは、それでも「元気に頑張っている人たち」が話題になりますが、その陰でどれだけの人が人生を壊され、生命を失っていったことでしょう。
報道されない人たちへの想像力を高めなければいけません。
もし、自分が、そうした立場に置かれたら、どうでしょうか。
低線量被曝を繰り返し、故郷を失い、家族ばらばらになって、仮設住宅暮らしを続けることを想像してみなければいけません。
そういう人の身になっても、やはり原発を続けたいと思うでしょうか。
原発を続けるということは、いつかまたそういう人を生み出すということです。
いつものことながら、また「オメラス」の話を思い出します。
http://homepage2.nifty.com/CWS/heilsham.htm

「体験したものの責任」があるとして、どうやってその責任を果たせるでしょうか。
残念ながら、いまの私にはまだその答えが見つかりません。
いまできるのは、そこから逃げないということだけです。
原発事故は、原発を選択した時にもう決まっていたことなのですから。
結果は従容として受けとめなければいけません。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2011/04/post-6569.html
原発立地地域の住民は、被害者意識だけではなく、加害者意識も持って、「体験したものの責任」も果たさなければいけません。
ちなみに、「原発立地地域の住民」には私も広い意味で含まれることは言うまでもありません。
日本人はすべて含まれなければいけません。
第二次世界大戦と同じく、私たちは被害者ではなく、その前にまず加害者なのです。
それを忘れてはいけません。

ですから私は、福島に限って言えば、気楽に復興支援などという気にはなれません。
私が切望するのは、そうした境遇に陥る人を、これからは出したくないという思いです。
復興よりも、それこそが大切だと思います。
それは被災地の復興ではありません。
原発のない世界に向けての社会の復興です。

アメリカン・ネイティブの社会には「7代先の掟」があるそうです。
http://homepage2.nifty.com/CWS/blog6.htm#7dai
私たちの日本にもあったはずの文化です。
それがなぜなくなってしまったのか。
とても悲しく、実にさびしいです。

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