■節子への挽歌2829:畑で少し元気をもらってきました
節子
しばらく畑に行けなかったのですが、久しぶりに行ったら、キュウリもナスも巨大になっていました。
雨のため、畑作業はできませんでしたが、道沿いの斜面に種を蒔いていた百日草も咲きだしていました。
節子の姉から百日草は強いので、野草に負けないと言われて蒔いたのです。
しかし、あまりに密集させたため、百日草には悪いことをしました。
畑の方は、ジャガイモがもう収穫時です。
我孫子の土壌はメイクインがいいという人のお薦めでそうしたのですが、手入れなど全くしなかったのですが、元気です。
雨が上がったら収穫しようと思います。
節子がいたら、近所の子どもたちを集めて芋掘り大会をやったかもしれません。
そういえば、ここに転居してくる前の家で、隣の空き地にやはりジャガイモを植えて、子どもたちを集めて芋を掘った後、カレーライスをつくってみんなで食べたこともありました。
世間では嫌なことも多いですが、自然は嘘もつきませんし、誠実に応えてくれます。
ただ私と違って、生命力が強すぎます。
ちょっとサボると、野草が土を覆ってしまうのです。
自然には、もう少し思いやりを持ってほしいものです。
年寄りにはかなり酷な作業なのです。
野草を刈るのも結構難しく、ただすべてを一括して刈り取るわけではありません。
差別して申し訳ないのですが、たとえばセイダカワダチ草は容赦なく排除しますし、ワイヤープランツや篠笹は徹底的に根っこから排除します。
名前はわかりませんが、つる草類も排除です。
しかし、今年からハーブ類は残すことにしました。
全ての野草を敵に回すと、勝ち目がないからです。
それで選別しながら刈り取るわけですが、これがまた面倒です。
しかし、野草たちにも敵味方が認識できるように、残すべき種類には、声をかけるようにしています。
草木も人の声を聞き分けることを知っているからです。
これは実際に植物と付き合っていると感じます。
私が残したいと思っている野草は、たぶん頑張ってくれるでしょう。
グラジオラスも咲いていますが、斜面のためかいつも風に倒されています。
それで花のところだけ切り取って、節子に供えることにしています。
最近は見事なグラジオラスを節子も楽しんでいることでしょう。
とまあ、こういうことをしている時は、少し元気になりますが、だからと言って、私の最近の悩ましい問題が解決されるわけではありません。
机に向かって、パソコンを開いても、どうも新しいことに取り組む気が起きてきません。
来週、開催を検討していた集まりも、最終的に止めることにしました。
いつ何が起こるかわからないので、最近はできるだけ自分の時間はフリーにしておこうとしています。
他者の影響を受ける生き方の大変さがよくわかります。
しかし、どんな問題も、つまるところ、その問題の捉え方です。
それが整理できれば、いまの状況から抜け出せるでしょう。
もう少し時間がかかるかもしれませんが、生活のリズムも少しずつ戻りだしてきているような気がします。
| 固定リンク
「妻への挽歌15」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌3000:3000日目(2015.11.19)
- ■節子への挽歌2999:「元気そうでよかった」(2015.11.18)
- ■節子への挽歌2998:歩いているとみんな良い人になる(2015.11.17)
- ■節子への挽歌2997:食材の安全性(2015.11.16)
コメント