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2015/07/11

■節子への挽歌2832:2人で一人前

節子
かなり疲労がたまってきています。
昨夜は帰路の電車の中で、一瞬、視界がおかしくなりました。
幸いに座席が空いて座れることが出来、少し休んだら回復しました。
実は、時々ある現象なのです。
ひどい時は1時間ほど続きますが、もう慣れました。
しかし、やはりきちんと降圧剤は飲まなければいけません。

昨日はサロンをやっていましたが、13人の参加者がありました。
今回のサロンは「ちょっと不思議なカフェサロン」です。
発表者は宇賀夫妻。
会社を経営していますが、どこに行くのも2人一緒だそうです。
たしかに湯島に来る時も必ず一緒です。
私たちは2人で一人前ですから、とあっけらかんと話します。

先日の学生からのインタビューで彼らから教えてもらった本を読みだしました、
「現代日本人の生のゆくえ」です。
そこにこんな文章が出てきます。

個々人が自律的に生き、行動していこうとするとき、孤立していては弱い。 「つながり」があってこそ自律が可能になり、意義あるものになるのではないか。 自己喪失や孤独や集団への逃避に陥らないために、人は「つながり」を必要とし、そのことを意識している。 自律的であろうとすればするほど、それを支える「つながり」のあり方をも強く意識するだろう。

とても共感できます。
私が自律的に生きていられたのは、まちがいなく節子のおかげです。
夫婦とは、もしかしたら、自律して生きるための知恵だったのではないかと思うほどです。
そして、節子がいなくなったいま、私の自律性は失われたように思います。

と言っても、そもそも「自律性」とは何なのか。
最近はそれもよくわからなくなってきました。
節子がいたころは、私たちの世界がありました。
だからそこで「自律的に生きている」という感覚があった。
しかし、いまは「私の世界」はあっても「私たちの世界」はない。
私の世界では、「自律」という感覚は得られません。
律する必要もなく、律せられることもないからです。

2人で一人前。
良い言葉です。
実にうらやましい。

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コメント

佐藤様
ご夫妻、本当にうらやましいですね。喪失感とは遠い生活を送っていらっしゃる。街ゆく人々を眺めたり、その会話を耳にするといつも感じていることです。
でも同時に、それでも人はそれぞれの思いや悩みを抱えているのだと言い聞かせています。
そして、私もかつて彼といたときはそれが当たり前だった。私たちの姿を見て今の私のように感じた人もあるだろうと。
もっとも私の場合、その時からこんな贅沢な出会いがあっていいのだろうかということが頭から離れませんでした。

二人でいるときの方が「自由」でした。豊かであり、可能性も広がりも無限大のようにさえも思えました。現実には様々な制約があるにもかかわらず。
心はとても自由だったのです。
今新たな出会い(書物も含めて)にも喜びを感じ、その時間的「自由」があることに感謝しつつも、あの時の「自由」が懐かしくいとおしく思えてなりません。

投稿: patti | 2015/07/12 03:25

patti さん
いつもありがとうございます。

捉えようのない「喪失感」の大きさに、自己防衛機能が働いているのだろうと思います。
たぶんpattiさんと同じです。
今日の東京の空はとても青かったです。
むかし夫婦で見た日本での一番青い空は千畳敷カールで見た青空でした。
それに負けないような青い空でした。
patti⒮ンのところの空の青さもきれいでしょうね。

ところで、
2人でいる時の方が自由だった。
ほんとうにそうでした。
どうしてあんなに自由を感じられたのでしょうか。

投稿: 佐藤修 | 2015/07/14 21:15

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