■節子への挽歌2845:観音の里の高月メロン
節子
滋賀の節子の生家から高月メロンが届きました。
毎年、恒例の高月メロンです。
高月は節子の生家のあるところですが、観音の里と言われているところです。
福井の小浜から奈良の東大寺を結ぶ道は、「観音のみち」と言われます。
琵琶湖の東岸側にはたくさんの観音が祀られています。
それも大きなお寺というよりも、集落単位で住民たちが守っているのです。
井上靖が感動したという、有名な渡岸寺の十一面観音も、私が最初に節子に連れて行ってもらったころは、集落(その集落が渡岸寺という名で、お寺の名前は向源寺です)の住民たちがみんなでお守りしていました。
ですから私が行った時にも、近くの当番の方の家に行って、お堂の扉を開けてもらったような気がします。
観音像もすぐ近くで拝観できました。
その後、何回か場所が変わって、いまは防災完備の部屋に展示、いや、安置されています。
そうなってから、私はもう拝観に行く気が起きず、最近はお会いしていません。
渡岸寺だけではなく、高月の周辺にはたくさんの観音堂があり、さまざまな観音様がいます。
節子と一緒に、そのいくつかを拝観させてもらいましたが、その住まわれ方が私はとても気にいっていました。
しかし、暮らしの中の観音様から拝観される観音様へと、次第に変わっているのでしょう。
話がメロンから観音様に変わってしまいましたが、節子の母方の実家が、高月の唐川というところで、そこにも観音様がいます。
赤後寺と言って、この挽歌でも何回か書きましたが、これも有名な観音様です。
私が最初に対面させてもらったのは、節子の叔父に当たる人がお守りをしている時でした。じっくり対面させてもらいましたが、拝観料はしっかりと納めさせてもらいました。
そのやりとりの中でも、住民のみなさんの思いが伝わってきました。
実に実直で、働き者の叔父でしたが、その人が以前、メロンをつくっていました。
私たちが最初に食べた高月メロンは、その叔父がつくったものでした。
こう書いてしまうと、まあ何でもない話ですが、私たちにはいろんな思い出が山のように込められているのです。
特に節子はそうでしょう。
なにしろ私たちは、それぞれの親の反対を押し切って、同棲し、結婚してしまったのですから。
メロンづくりの叔父は、本家の責任者として、かなり強く反対したはずです。
しかし、メロンをつくりだした頃には、私たちも親戚から認められて、とても親切にしてもらいました。
美味しいメロンもいただきました。
その叔父も、もうだいぶ前に鬼籍に入りました。
しかし、いまも毎年、高月メロンは届くのです。
メロンを節子に供えさせてもらいました。
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