■節子への挽歌2901:今日は敗戦から70年目
節子
今日は70年目の敗戦の日です。
昨日の夕方の首相の70年談話を聴いて、何やら無性にむなしくなって、早く寝てしまったのですが、深夜に目が覚めてしまいました。
枕元のテレビをかけたら、田原さんの朝までテレビ討論会をやっていました。
ついつい見てしまい、気がついたら夜が明けていました。
それでさらに寝不足になってしまいました。
困ったものです。
しかし、そのテレビを見ていて、また更に暗澹たる気分になってきました。
日本では、なにかを生み出す議論ではなく、相手を否定する議論ばかりです。
聞いていて、嫌になりましたが、もしかしたら私もこういうスタイルの議論をしているのでしょう。
反省しました。
朝、起きて新聞を開いたら、大きく「主語「私は」使わず 安倍談話」という見出しがありました。
主語の大切さについては、時評編で1週間ほど前に書いていたことなのですが、昨日もそれが私の一番不快な点でした。
誠実に生きている人であれば、主語のある語りをするはずです。
主語のない話ほど、イライラさせられることはありません。
その見出しで、少しすっきりしました。
パソコンを開いたら、今日の戦争反対カフェサロンに新たに3人の人が参加するという連絡がありました。
それでまた元気が出ました。
寝不足でいささかふらふらしそうですが、元気に湯島に行けそうです。
戦争の悲惨さが、新聞やテレビで盛んに報じられています。
8月15日は、節子と一緒に行った沖縄平和祈念公園を、いつも思い出します。
基地だらけの沖縄で、まだ戦争から解放されていない沖縄ですが、
私には沖縄ほど平和を感じさせるところはありません。
もう一度、ゆっくりと、節子と沖縄を旅行したかったです。
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