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2015年8月

2015/08/31

■国会12万デモから新しい流れが起きてほしいですが

テレビや新聞でも報道されましたが、昨日、「戦争法案廃案!安倍政権退陣! 8・30国会10万人・全国100万人大行動」が全国で展開されました。
最近の日本は、国民のほとんどが「つんぼ桟敷」に置かれているような状況に感じています。
しかも80年前の日本と違い、国民自らが目と耳を閉じているような気がしてなりません。
いや心を失ったのかもしれません。
その背景には、生きるために忙しくしなければいけないという状況が広がっているのです。
実際には、忙しくなどする必要がない条件はできているはずですが、人為的に多くの人は目先の生活の危機感に追い込まれています。
そこから抜け出せば、いかようにも生きられるはずですが、心が呪縛されてしまうと、なかなか抜けられないのでしょう。
そうしたなかで、最近、国会周辺に限らず、各地でデモ行動が広がっています。
これが単なるガス抜き活動にならなければいいのですが、国会周辺のデモに参加していつも思うのは、空しさです。
デモをするよりも、まずは自らの生き方を考え直し、自分を取り戻すことが大切だという思いが強まっています。
そんなこともあり、最近、どうもデモに参加する気分になれないでいましたが、今回はやはり参加したいと思い、行ってきました。
会場に到着するのが、ちょっと遅れてしまったため、最寄駅の地下鉄の駅から地上に出るまでに20分近くかかりました。
駅構内でも熱気が伝わってきました。
もちろん地上も人でいっぱいでした。
友人たちと待ち合わせていましたが、結局、会えませんでした。

最近の国会デモの雰囲気と同じく、私にとっては予想以上に穏やかで平静なデモでした。
こういうデモがいいと思ったこともありますが、やはり少し物足りません。
特に現在のように、国民の声など全く聞こうとしない政府の場合は、こんな平静なデモではなく、やはり逮捕者が出るようなスタイルがいいのではないかなどと思いながら、歩いていました。
どこかで小競り合いがあれば、荷担したいという思いもあって、歩き回っていました。

平静とはいえ、人数はこれまで以上に多かったですし、高齢の女性が多かったような気がします。
若者は、シールズががんばっていましたが、総じてやはり少ないのが気になりました。
労働者はゼネストを!というビラももらいましたが、そのビラを読んだ限りでは、たぶん広がりは出ないでしょう。

デモにはまったく縁を感じなかった小沢一郎さんが演壇で話をしました。
まさかの登壇でおどろきました。
私のまわりでは失笑も起こりましたが、とてもわかりやすい話でした。
小沢さんが戦争ができる「普通の国」を目指していたことを思い出すと、頭が混乱してきます。
しかし、最近の政府のやり方への批判であれば、十分に納得はできます。
今回のデモのテーマは、要するに「国民の声を無視する政府への批判」なのだろうと思います。

もう一つ感じたのは、原発事故後のデモの時に比べて、警察があまり協力的ではなかった気がしたことです。
これは思い込みのせいかもしれませんが、締め付けや働きかけがあったとしたら、これも恐ろしい話です。
本当は、警察官や自衛隊のみなさんこそ、こちら側で行動すべきではないかと私は思いますが、日本に限らず多くの場合で、彼らは居場所を間違っているように思います。

国会前の道路が久しぶりに埋め尽くされ、多様な立場の人がたくさん集まった。
これは新しい時代の始まりだと解説するテレビのキャスターもいましたが、正直に言って、私にはそれほどのことは感じませんでした。
たしかにマスコミ報道がていねいにされたことには「新しさ」を感じますが、ここから何か新しいことが始まるとは、残念ながら思えないデモでした。
もちろんこれによって流れが変わることを切望していますが、そういう期待は持てなくなっている自分が残念です。

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■「湯島の珈琲サロン 〜憲法9条を召し上がれ〜」の報告

8月29日の、若者たち主催「湯島の珈琲サロン 〜憲法9条を召し上がれ〜」の報告です。
若者が7人、40~70代の若者を終わった人が5人参加しました。
憲法9条ではなかなか人は集まらないのではないかと、若者たちは工夫し、出前カフェ活動(?)をしている友人に頼んで、本格的なカフェを開いてくれました。
豆は、アフリカ、南米、アジアを代表するタンザニア、マンデリン、ホンジュラスでした。
小林さんが手製のカステラを持参してくれました。

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議論は主催者の若者チームが創った「憲法9条改正案」と現行9条、自民党の改正案の3つが壁に張り出され、そこから話し合いが始まりました。
現行憲法の条文は、あまり評判がよくありませんでした。
若者チーム改正案は、現行憲法より長くなっていたので、読むのが大変でしたが、みんなが議論した結果、さまざまな視点が出てきているのを感じました。
やはり自分たちで条文を読みこなし創りかえてみることの意味を改めて感じました。
若者7人のうち、3人が留学生だったのも意外でした。
やはりこういうテーマは、日本の若者の興味をひかないのかもしれません。

若者でない参加者は、あまり発言しない約束だったのですが、うっかり私が最初にいつもの気分で軽口をたたいてしまったためか、発言が多かったです。
これは私の責任で、主催者の3人には申し訳ないことをしました。
今回は静かにコーヒーを飲んでいればよかったのですが、迷惑をかけてしまいました。

話はいろいろ出ましたが、一切省略して、2つだけ書きます。

いま日本は軍隊を持って戦争ができる国になろうとしていますが、これに関する意見を聞いたところ、若者たちの賛否はまさに半分に分かれました。
しかもまわりの若者たちは、どちらかというと戦争ができる国がいいと思っているほうが多いというのです。
軍事力が戦争の抑止力になると思っているわけです。
軍事力は戦争の誘発力になると思っている私には、理解できない話です。
最近またアメリカで取材中のアナウンサーとカメラマンが銃で射殺される事故が起きましたが、私には、これこそ、軍事力の日常的な意味を示唆しているように感じています。

もうひとつは韓国と中国の留学生からの発言です。
近現代史において、日本は侵略されたことがないが、韓国も中国も侵略されてきた。
それに島国と陸続きという違いもある。
したがって、「戦争」というものの捉え方が、日本と韓国・中国とは違うというのです。
当然のことですが、お恥ずかしいことながら、私はそんなことさえ、あまり意識していませんでした。
これは大きな学びでした。
ほかにも、若者からの学びはたくさんありました。
そして、若者たちがもっと多世代の人たちと話し合う場の必要性も強く感じました。


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■節子への挽歌2922:「長い8月」

節子
今年もまた、8月は「長い8月」でした。
しかし、8年前の長さに比べたら、比べようもないほど短いのですが。

8月は毎年31日と決まっています。
しかし、私たちにとって、8月は31日どころではない長さを感じる月になってしまいました。
節子が、まさに「闘病」に明け暮れたひと月だったのです。
いまでは記憶の中にないほどに、それは過酷でした。
私には、暑かったことと暗かったことの記憶しかありません。
病室になったわが家の和室で、節子は過ごしました。
家族も夕食は、そこで全員、節子と一緒でした。
節子はベッドの中で食事をしました。
私たちは、その横で、畳に座って食べていたのです。
節子はその頃はもうあまり会話ができませんでした。
というよりも、あまり食事もできなかったのです。
でもみんなで食事をしていました。
不思議な光景だったかもしれません。

節子の親しい友人たちがお見舞いに来てくれても、8月の後半になってからは、ほんの一握りの人以外、節子は会いたがりませんでした。
せっかく来てくださったのに、会えずに帰ってもらったこともあります。
私が、せっかく来てくれたのだからと言っても、節子は会いたくないというばかりでした。
病みあがってしまった自分の姿を見せたくなかったのでしょう。
どんなに病みあがっても、私には以前と同じ節子でしたが、いまから思うと息を引き取った後の節子も私には以前の節子と同じに感じられたので、たぶん私の感覚がおかしくなっていたのでしょう。
節子は、しかし、自分がどう見えているかを知っていたのです。

8月の、長い1か月、節子は実によく頑張りました。
節子にとって、本当に長い長い1か月だったでしょう。
8月の後半は、節子はもう彼岸に行っていたのだと気づいたのは、だいぶ経ってからです。

今年の夏も、長い1か月でした。
その8月も、今日で終わりです。

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2015/08/30

■節子への挽歌2921:同行二人のデモ参加

節子
今日は、「戦争法案廃案!安倍政権退陣! 8・30国会10万人・全国100万人大行動」に参加してきました。
最近の日本は、国民のほとんどが「つんぼ桟敷」に置かれているような状況に見えてしまいます。
しかも80年前の日本と違い、国民が自ら目と耳を閉じているような気がしてなりません。
いや心を失ったのかもしれません。
その背景には、生きるために忙しくしなければいけないという状況が広がっているのです。
実際には、忙しくなどする必要がない条件はできているはずですが、人為的に多くの人は目先の生活の危機感に追い込まれているのです。
そこから抜け出せば、いかようにも生きられるはずですが、心が呪縛されてしまうと、なかなか抜けられないのでしょう。
そうしたなかで、最近、国会周辺に限らず、各地でデモ行動が広がっています。
これが単なるガス抜き活動にならなければいいのですが、国会周辺のデモに参加していつも思うのは、空しさです。
デモをするよりも、まずは自らの生き方を考え直し、自分を取り戻すことが大切だという思いから、最近はデモには参加していませんが、さすがに今日は参加しようと思って、出かけたのです。

電車を乗りちがえてしまい、少し遅れて会場に着いたのですが、すでに地下鉄駅の構内から人があふれていて、地上に出るまでに20分近くかかりました。
友人たちと待ち合わせていましたが、結局、会えませんでした。

最近の国会デモの雰囲気と同じく、私にとっては予想以上に穏やかで平静なデモでした。
節子と一緒に参加したイラク派兵反対のデモとは全く違います。
こういうデモがいいと思ったこともありますが、やはり少し物足りません。
特に現在のように、国民の声など全く聞こうとしない政府の場合は、こんな平静なデモではなく、やはり逮捕者が出るようなスタイルがいいのではないかなどと思いながら、歩いていました。
どこかで小競り合いがあれば、荷担したいという思いもあって、歩き回っていました。

平静とはいえ、人数はこれまで以上に多かったですし、高齢の女性が多かったような気がします。
若者は、シールズががんばっていましたが、総じてやはり少ないのが気になりました。
もう一つ感じたのは、原発事故後のデモの時に比べて、警察があまり協力的ではなかった気がします。
これは思い込みのせいかもしれません。

節子と2人の、同行二人のデモ参加でした。

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2015/08/29

■節子への挽歌2920:節子が褒められることもあるのです

節子の9回目の命日が近づいてきました。
それもあって、この数日は、節子を少し褒めるようなことを書こうかなと思っていたら、節子を褒めてくれるメールが届きました。
私信なのですが、少し引用させてもらおうと思います。
かなり「褒めすぎ」なのですが、まあ命日も近いということでお許しください。

メールをくださったのは、一昨日お会いした荻阪さんです。

佐藤さんに淹れて頂いた「コーヒーの香り」を嗅ぎ、 豆の味わいが、なぜか心に沁み込みました。 佐藤さんと御話が進む中で、懐かしく、奥様の温かな微笑や声があの時間の中で、小生の胸中に 静かに浮かび上がっておりました。 私は、奥様に御会いしたのは、1度だけでしたが、その出逢い、訪れる相手のおひとり御一人をどれだけ大切に、迎えて頂いたか。 その奥様の御心配りが脳裏に浮かびました。 佐藤さんが奥様と共に、コンセプトワークショップを創ってこられたことをあらためて感じました。 「温かな姿勢」「鋭い論理」「人々が集まる人望」を具え、問題意識と正義感を持って歩まれ続けておられる佐藤さんとの再会に、深き御縁を感じました。 そして、 御会いしていない時間が長かった分、その御互いの歳月を通して、素晴らしき再会へ変わることを昨日、訪れた「人生の時間」の中で学ばせて頂きました。

私も褒められていますね。
最後の2つの文章は不要ですが、なんとなく切り離せなくて、一緒に引用させてもらいました。
私も時には褒めてほしいものですから。

節子に対する評価は間違いなく過大評価ですが、しかし、節子が褒められたことは以前にも一度ありました。
節子がまだ湯島に来て、電話などの応対をしてくれていたころです。
四国の経済機関に講演を頼まれました。
当時は私もそれなりに各地に講演に出かけていました。
講演の前夜、呼んでくださった人たちと会食をしました。
その席で、電話で講演を頼んできた方から、佐藤さんのオフィスの受付の方の対応に感激しましたというようなことを言われました。
受付もなにも、私の会社は私と節子しかいません。
節子がそんなに感激してもらうような受け答えをしたとはにわかに信じられなかったのですが、その方はとても感じ入ってくださっていて、何回もおっしゃるのです。
実は女房なんですと言ったかどうかは忘れてしまいましたが、何か私自身とても気分がよくて、翌日の話も楽しくさせてもらいました。
実は私は講演はあまり好きではなく、記憶もあまりないのですが、その時のことだけはしっかりと覚えています。
まあ女房を褒められるのは、自分を褒められるよりうれしいものです。
ちなみに、私は節子を褒めたことがほとんどありません。
それで、この挽歌では、その罪滅ぼしに、いつも過剰に褒めているわけです。
でもまあ、こうして節子を褒めてくれる人もいます。

節子
うれしいですね。
命日まで、あと4日です。
8年前のことは思い出したくありませんが、目の前に浮かんできます。
なにしろ実にドラマティックでしたから。

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2015/08/28

■ちょっと知的なカフェサロン「建築散歩のたのしさ」のお誘い

久しぶりに「ちょっと知的なカフェサロン」のご案内です。
テーマは「建築散歩」。
埼玉県を中心に長年、建物散歩を楽しんでいる若林さんにお願いして、その楽しさをおすそわけしてもらうサロンを開催します。
併せて、10月には、若林さんにご案内いただく実際の「街散歩」も開催したいと思います。

若林さんは、仲間と一緒に「懐かしの街さんぽ 埼玉」という本も出版していますが、なによりも若林さんがフェイスブックで時々紹介してくれる建物がいずれも魅力的で、一度、是非お話をお聴きしたいと思っていましたが、思い切って若林さんにお願いしたら、なんとサロンとガイドのセットをご快諾いただきました。

まず今回は、湯島でのカフェサロンのご案内です。
若林さんがこれまで楽しまれてきた建物散歩を映像で見せてもらいながら、その魅力を語ってもらおうと思います。
また、建物散歩のコツのようなものも教えてもらい、参加者がそれぞれ自分の地域での建物散歩をしてみるのも面白いかなと思っています。
そして最後に、若林さんから、10月(17日を予定しています)に実際に建物散歩するコースなどをご紹介いただき、参加者の希望などもできる範囲で織り込んでもらおうと思っています。
場所の候補は、宮代町・幸手市、入間市、川口市、小川町、行田市、深谷市、飯能市など、いろいろと若林さんは考えてくれています。

2回とも参加してもらうのがいいですが、どちらか一方でも十分に楽しいと思います。

なお、埼玉県庁のホームページの中にたてもの散歩のサイトがあります。
ぜひご覧ください。
http://tatemono.art-saitama.jp/
また若林さんのフェイスブックには、若林さんが歩いた楽しい建物がたくさん掲載されています。
FBをされている方は、ぜひ若林さんに「友達」のメッセージを送ってください。

多くのみなさんのご参加をお待ちします。

●日時:2015年9月11日(金曜日)午後7時~9時
●場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
●話題提供者:若林祥文さん(街歩き名人)
●参加費:500円
●申込先:qzy00757@nifty.com

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■節子への挽歌2919:「死に行ける妻はよみがへりわが内に生く」

先日、少し引用した田辺元の「死の哲学」を、なんとなく読んでいます。
集中して読むには、いささか難解なので、目が行ったところを読むという怠惰な読み方です。
「実存協同」という言葉が時々、目に入ってきます。
言葉だけは以前から知っていたのですが、その意味は十分に理解できていません。
ところが、こんな文章が目に入ってきました。

愛によって可能になる、死者と生者との交互的な関わり。

これを田辺元は「実存協同」という独特の言葉で表現したのです。
つまり、実存協同によって、生死を超えることができるわけです。
田辺元が、奥さんの死を、号泣するほどに、嘆き悲しんだことは有名な話です。

わがために命ささげて死に行ける妻はよみがへりわが内に生く

これは田辺が詠んだものですが、この経験が、田辺の「死の哲学」の根底にあると言われています。
田辺とは比べようもありませんが、同じような体験をした私としても、この「実存協同」といことには違和感はありません。
こうした体験をすると、死や生に対する捉え方が変わってきます。
それだけではなく、人のつながりの感じ方も変わってくる。
自己と他者との境界さえもが、いささか曖昧になえなってくるのです。

「実存協同」を可能にするのは「愛」です。
こでいう「愛」は、情愛とはちがいます。
情愛よりも、広く深いと言っていいでしょう。
もちろん異性である必要もありません。
いや、場合によっては、人である必要もない。

人は、「愛」によって人になったのかもしれません。
人の歴史は、愛によって始まった。
「死の哲学」を、理解できないままに、ぱらぱら読んでいて、そんなことを考えたりしています。
つまり、「死の哲学」とは「愛の哲学」なのではないか。
西田哲学をいかにも勝手に解釈してしまい、笑われそうですが、きちんと読むにはまだ私の世界がそこに届いていないようです。
引き続き、しばらくは気の向くままの拾い読みを続けようと思います。

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2015/08/27

■節子への挽歌2918:20年ぶりの再会

節子
昨日、フェイスブックで再会した荻阪さんが、今日、早速に湯島に来てくれました。
忙しいだろうに、わざわざ時間調整してまで、私に合わせてくれたのです。
超多忙のはずなのに、その気持ちが、とてもうれしいです。
私は10年ぶりくらいかなと思っていたら、なんと20年ぶりだそうです。
時間の経つのは実に早いです。

最近、新著を出版され、その本を持ってきてくれました。
「リーダーの言葉が届かない10の理由」。
ビジネスの世界では話題になっている本のようです。
荻阪さんと出会った時は、彼がその世界に飛び込んで間もなくだったと思います。
私の言動も、荻阪さんはきちんと見ていてくれたようです。
いまは見事に会社も起業され、活躍されています。

荻阪さんは、むかしの私の言葉を覚えてくれていました。
しかも、私にとっては、結構大切な言葉なのです。
いずれも、さりげなく言ったはずですが、荻阪さんは大事にしまっていてくれたようです。
うれしいことです。
いまでこそ転職や会社を辞めての起業は広がっていますが、27年前は珍しいことで、どちらかといえばかなりマイナスイメージでした。
私が会社を辞めて、生き方を変えたのが、荻阪さんにとってはとても印象的だったようです。
荻阪さんの話を聞いて、あの頃はそんな受け止め方をされていたのかと、改めて知りました。
たしかに当時は、私も仲間から何で辞めたのかとなかなか理解してもらえませんでした。
私には何でもないことでしたが、まわりには理解できなかったのかもしれません。
当時の会社の同僚もそうですが、誰も私が辞めた理由はわからなかったでしょう。
そういう私の生き方を、何も訊かずに、ただ受容してくれたのが、節子でした。
感謝しなければいけません。

荻阪さんとの話は、最近の日本の企業経営の話になりました。
話が実に合いました。
いまの企業のあり方を憂いている点も同じです。
現場をしっかりと踏まえているなと思いました。
それに荻阪さんの情熱は、むかしと同じく、実に熱いのです。
でも久しぶりに、私もちょっと熱く語ってしまったかもしれません。

佐藤さんは20年前と全く変わっていないですね、と言われました。
まあ人間、素直に生きていたら、変わりようはありませんから、当然のことですが、荻阪さんからそう言われるとなにか少しうれしい気がします。
そうそう一言だけですが、節子の話も出ました。
その働き方も、荻阪さんの頭にはしっかりと入っていたようです。

共通の友人の話も出ました。
そのうちの2人は、もう故人です。
私が故人にならないうちにと、荻阪さんは急いできてくれたのかもしれませんが、ちょっと安心してもらえたかもしれません。
今日は、私もちょっと元気だったのです。

旧友との再会は人を元気にします。
今日は、ちょっといい1日でした。

あの頃の佐藤さんの歳になりました。
荻阪さんが帰った後、その言葉が奇妙に頭に残りました。
そうかこういう風にして、人から人へと思いは伝わっていくのかと思うとともに、あの頃の私もきっと今日の荻阪さんのように、熱かったのかもしれないと思いました。
いまではもうすっかり枯れてしまいましたが。

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2015/08/26

■節子への挽歌2917:フェイスブックの世界

節子
フェイスブックをやっていると、「知り合いではないですか?」というメッセージとともに、何人かの顔写真が送られてきます。
そこで、時々、思わぬ人に出会うことがあります。
今朝も、もう15年ほど会っていない人の顔が飛び込んできました。
実に懐かしい顔ですが、フェイスブックを拝見すると、大活躍されているようです。
湯島にも何回か来ている人ですが、当時の志を見事に守っているのがうれしいです。
懐かしくて、「友だちリクエスト」を送りました。

こういう形で、旧知の人に毎月1~2人に出会います。
私自身の活動範囲は、このところ急速に狭くなっていますが、節子が元気だったころは、自分でもきちんと把握できないほどの広がりの中で、生きていました。
いまから思えば、面白いことがあれば、どこにでも出かけていました。
いくら時間があっても足りませんでした。
湯島にも、さまざまな人がやってきていました。
そうした時代は、節子の発病とともに終わりましたが、いまもなお、その恩恵を受けて、こうして旧知と出会えるわけです。

フェイスブックは、現実世界とは違う、もう一つの世界を開いているように思います。
最近、私のフェイスブックを読んで、「いいね」というメッセージを送ってくれた人の中に、死者の名前があったことがあります。
彼のフェイスブックは、彼の死後も消えることなく残っています。
ですから、フェイスブックの世界は、現実世界での死後もまだ、生き続けることができるのです。
私の友だちリストにも、死んだはずの彼の名前もまだ残っています。
これは、いろんな示唆を与えてくれます。

もっとも、フェイスブックが残っているとしても、死者はそこに書き込むことも、友だちのフェイスブックに反応することもできないでしょう。
にもかかわらず死んだはずの彼が私にメッセージを送ってきたのは、実は彼の伴侶が引き継いだからです。
たぶんそうだろうなと思っていたら、その人が彼のフェイスブックを引き継ぐことにしたという書き込みがありました。
フェイスブックでは、そんなこともできるわけです。

インターネットは、虚空蔵のような無限の世界につながっていくとともに、華厳経に出てくるインドラの網(インドラネット)の一つの姿を感じるということは、これまでも書いてきました。
しかし、最近は、フェイスブックの世界そのものが、現実世界を飲み込んでいくのではないかという気さえしてきています。
まさに、映画「マトリックス」の世界です。
しかし、ある意味では、そこに「彼岸」が生まれるかもしれません。
そうなれば、彼岸と此岸はつながります。
時空間も越えられますし、生は死を乗り越えます。
まあそうなるのは数百年先でしょうが、もしかしたら数百年先の私が、いまの私と交流できるようになるかもしれません。

今日は雨。
灰色の空を見ながら、彼岸を思いやっています。

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2015/08/25

■電力会社はなぜ気楽に原発を再稼働させられるのか

川内原発から始まった、原発再稼働はさらに広がりそうです。
私は、集団的自衛権よりも、そのことが恐ろしいです。

原子力賠償制度がどうもその目的に反して、加害者保護に向かっていることへの危惧の念を早くから問題提起していた本間照光さんのサロンを今年の1月に開催しました。
http://homepage2.nifty.com/CWS/action15.htm#01274
本間さんが早くから問題提起しているにもかかわらず、その声はなかなか大きくはならず、川内原発再稼働をむしろ支える方向で、制度改定の事態は動いている感があります。
原子力賠償制度というと、何か専門的な問題のように感じますが、こういう制度によって、原発事業者は守られているために、再稼働なども可能になっているのです。

この問題に誠実に取り組んでいる本間さんが、今週号の「エコノミスト」(2015年8月25日号)に、「骨抜きにされる原子力賠償制度 法律改定で加害者保護強まる恐れ」を寄稿されています。
ぜひ多くの人に読んでほしいと、本間さんから連絡を受けました。
私も、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思います。
まだ書店に残っていると思いますし、図書館にもあると思いますので、ぜひ読んでもらえるとうれしいです。
私にメールでご連絡いただければ、コピーを送らせてもらいます。

1961年に制定された原子力損害賠償法(原賠法)は、原子力災害事故の被害者を保護するため、事故を起こした原子力事業者に対して、事故の過失・無過失にかかわらず賠償責任があるとする「無過失責任主義」と「無限責任」を定めています。
しかし、福島原発事故で明らかになったように、原子力事業者である東電は責任逃れに向かい、裁判まで起こしているのです。
福島原発で放射能漏れ事故が頻発していますが、近隣住民などへの「無限の賠償義務」など全く行われていないように思います。

そもそもこの目的自体に無理があります。
そんなことをやったら、原発は経済的に引き合う事業ではないのです。
原発事業を推進するための、「無理な約束」、言い換えれば「嘘の約束」だったとしか、私には思えません。
原発事故の「無限責任」などとれるはずがありません。
それにもし、そのリスクをコストに反映させたら、原発による発電コストは想像を絶するほど高価なものになるでしょう。
それを知っている保険業者は、誰も保険を引き受けないことがそれを証明しています。
原発による発電コストが安いなどという嘘が、いまもなお政府や御用学者から発言されること、そしてマスコミでも流されていることには驚きます。

本間さんは、この論考でこう書いています。
原賠法とそれとセットの「原子力損害賠償補償契約に関する法律」が原発再稼働の足かせになっているために、電力業者と政府は原子力賠償制度の法改正に取り組んでいる。
そして、その方向は、加害者である事業者保護だ。
「今後、原発事業者の責任を限定する形に原賠法が改められれば、原発事故の加害者の賠償費任が免除され、同法は事故防止のためのブレーキ役を果たせなくなる恐れがある」。
仮に原発事故が発生しても、原発事業者は守られる方向に向かっているわけです。
ですから、川内原発を初めてして、電力会社は安心して原発再稼働に取り組みだしたのです。
福島原発事故の余波を受け、他電力会社の管内にある原発も全面停止した時の状況を、政府は変えようとしているわけです。
ナチス時代のヒトラーでもそんなひどいことはしないだろうと、「ヴァイマル憲法とヒトラー」で池田浩士さんは書いていますが、私も同感です。

本間さんの「思い」が伝わりすぎて、少し書きすぎたかもしれません。
でも、知っていること、気づいたことを、しっかりと主張する姿勢を大事にしている本間さんを、応援しないわけにはいきません。
ぜひ「エコノミスト」の本間さんの論考は、読んでもらえるとうれしいです。

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■節子への挽歌2916:死復活

節子
季節は一転して、秋のようになってしまいました。
肌寒さを感ずるほどです。

昨日書いた、禅の公案「道吾一家弔慰」のことはいつかまた書くとして、それにつなげて田辺元が書いている「死復活」の話は、私には最近少し実感できるようになっています。
「死復活」というのは、例えば教えを請うていた師が、その死後、自らの中で生きていることを弟子が実感できるというようなことです。
田辺元は、「死復活というのは死者その人に直接起る客観的事件ではなく、愛に依って結ばれその死者によってはたらかれることを、自己において信証するところの生者に対して、間接的に自覚せられる交互媒介事態だ」と書いていますが、要は自分の中で死者が生きていることを実感するということでしょう。

気づいてみたら、死者(他者)の意思によって動いているという体験はだれにもあるでしょう。
人は、自らの意思で動いているように見えて、必ずしもそうではありません。
死者が乗り移ったような言動を、他者に感じたことがある人もいるでしょうが、自らもまたそういう言動をしていることに気づくこともあるでしょう。
交霊現象というと、胡散臭さを感ずる人もいるかと思いますが、こうしたことを自らが実体験していると、十分にありうる話だと思えてきます。
私は、「生まれ変わり」の考えにも違和感はありません。

死復活は、師弟関係においてのみ起こるわけではありません。
これまでも何回か書いてきましたが、愛する人の死によって失われるのは、その人と創り上げてきた世界です。
日々育ってきた、その世界が、突然に終わってしまう。
ですから遺された者は、それまで歩いていた道が行き止まりにぶつかったり、あるいは断崖絶壁の淵に立たされたりするような気分になる。
愛する人の喪失は、個人の死というよりも、世界の終焉になる。
遺された者が体験するのは、一緒に生きていた「私たちの世界」の喪失なのです。
それに気づくまでには、時間がかかりますが、それに気づいた時に「死復活」が起こるのかもしれません。
客観的事実としてではなく、残された者の内的世界において、死者が蘇ってくる。
そして、動きを止めていた時間が少しずつ動き出す。
そして、生者のなかに死者が生き返り、歴史がつながっていくわけです。

こうしたことは個人の世界で起こるわけですが、その集積が人類の歴史をつなげてきたのでしょう。
それが、仏教思想の「大きないのち」「生かされるいのち」なのかもしれません。

秋は彼岸をすぐ近くに感ずる季節です。
この数年、秋が短くなってきていますが、今年の秋はどうでしょうか。

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2015/08/24

■節子への挽歌2915:来世での選択

先日、ある活動の相談で40~50代の女性たちが、湯島に相談に来ました。
その雑談の中で、おひとりの方が、私は来世も同じ伴侶を選ぼうと思っているのに、そう思っていないのはおかしいわよね、というようなことを発言されました。
私も含めて、みんなが知っている、ある人のことが話題になった時です。
同席していたおひとりも、同じ伴侶を選ぼうとも思っていないと発言しましたが、最初の発言者は、来世もまた同じ伴侶を選ぶことが当然のことだと確信している様子でした。

そのやりとりを聞いていて、同じ伴侶を選ぼうと思っている人が来世を信ずるのかもしれないと思いました。
つまり、そういう人にとっては、来世は現世への未練の延長なのかもしれません。
私自身も、来世を確信していると同時に、そこでもまた同じ伴侶、つまり節子を選ぶとなんとなく思っています。
しかし、考えてみると、それでは「来世」とは言えないかもしれません。
現世への未練が生み出す幻想でしかない。

死者は存在するという考えがあればこそ、葬儀が始まり、宗教が始まり、人間の心の平安が可能になっていく。
これは、先ほど読んだ一条さんの「唯葬論」で語られていることです。
たしかに、その通りで、私の体験から考えても、彼岸があって、そこに節子がいるというイメージが、大きな心の支えになりました。
そこから、ある意味、当然の帰結として、また同じ伴侶を選ぶということになります。

しかし、仮に現世での夫婦関係が「不幸なもの」であるとしたら、その不幸を来世でも繰り返したくはないでしょう。
来世では違う人を選びたいという人がいてもおかしくありません。
だからといって、来世では別の人を伴侶にしたいという人の現世の夫婦生活が、不幸だというわけでもないでしょう。
逆は必ずしも真ではないからです。
それに、人の関係性ほど、はかなく不安定なものはない。

思考のベクトルを逆転させましょう。
来世でももし同じ伴侶を得るのであれば、現世での夫婦関係を見直す動機になります。
その関係性を善いものにしておくことが大切です。
また、もし来世で伴侶にしたくないのであれば、来世まで待つことはない。
現世で解消すればいい。
しかし、すでに様々なつながりの中で、いまさら解消はできない場合、どうするか。
来世では相手から解放されるという希望の中で、現在の関係を少しでもより善いものにするよう努力していくのが次善の策かもしれません。
いずれにしろ、現世の関係性を善いものにしようという力が生まれてくる。

来世を考えるということは、要するに現世を考えるということです。
来世で同じ伴侶を選ぶかどうかは、所詮は同じ決断につながるのです。
関係を解消することも、ある意味では、「関係を善くすること」になるでしょう。

しかし、私のように、すでに伴侶が彼岸に行ってしまい、現世の関係性を変えられない場合はどうすればいいのでしょうか。
そこで出てくる考えが、いやまだ節子は彼岸に行っていないのだという発想です。
いささか難しい議論になりそうですが、禅の公案の一つ、「道吾一家弔慰」の話が考えるヒントを与えてくれます。
この公案も一条さんの「唯葬論」で知った話です。
内容はまた改めて書くことにしますが、どうも現世と来世、彼岸と此岸と二元的に考えるところに、もしかしたら間違いがあるのかもしれません。

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2015/08/23

■節子への挽歌2914:「悲しみや苦しみ」から生まれるものがある

節子
世界陸上の20キロ競歩を見続けてしまいました。
オリンピックをはじめとした商業主義的スポーツ競技を嫌っているはずなのに、これに限らず見てしまうとやめられなくなります。
困ったものですが、まだ私の中に煩悩が救っているからでしょう。
優勝さえ期待されていた3人の日本選手は残念ながら、1人は途中で棄権、2人はやっと完歩という感じで、入選を逃しました。

ずっと見ていたものの、考えていたことはあまり肯定的なことではありません。
20キロを1時間ちょっとで歩き続けることに、どういう意味があるのだろうかということです。
歩くのさえやっという姿でゴールする選手を見ると、これは拷問ではないかとさえ思えてしまいます。
審判に違反カードを突きつけられないように注意しながら歩いているという姿も、なんだか違和感があります。
素直な身体活動に反しているように思うからです。
だから見ていて楽しくありません。
だったら見なければいいと思うのですが、なぜか最後まで見てしまったわけです。

今朝のテレビ「こころの時代」で、帝塚山大学教授の西山厚さんが「悲しみの力」を語ってくれていました。
「仏教は、釈迦の悲しみから生まれ、悲しみ苦しむ人たちに優しい。悲しみや苦しみの中から、何か新しいものが生まれてくるかも知れない」と西山さんは言います。
「悲しみや苦しみ」から生まれるものがある、という言葉は、よく聞く言葉ですが、西山さんのお話を聞いていて、改めてその意味を考え直しました。
生まれてくるのは、自らの心身のなかになのです。

20キロ競歩は私にはスポーツとは思えませんが(理由はルールに違和感があるからです)、少なくとも今回出状した3人の日本選手は、大きなものを得ただろうなと思いました。
それを、次の大会で金メダルなどという目標につなげてほしくはありませんが、ふらふらしながらも、足を両手でたたきながら、やっとの思いで歩ききった48位の高橋選手の姿は感動的でした。
彼は、記録にも順位にも無関係に、ただ歩き続けて、ゴールに到達した。
完歩したところで、大きな栄誉は与えられません。
しかし、もしかしたら、彼は金メダルよりも大きなものを得たのではないかと思いながら、画面を見ていました。

人生は競歩のゲームとは違います。
もっと大きな試練もあり、制約もあり、「悲しみや苦しみ」にも襲われます。
この2日間、湯島のサロンで語られたことも含めて、いまの自分の生き方をちょっと考え直す気になりました。

今日は自宅で「内省の日」を過ごしました。
この1週間、ちょっとまた自らを省みることの少なかったものですから。

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2015/08/22

■節子への挽歌2913:椎原さんと杉本さん

節子
今日はまた暑さがぶり返しました。
その、死にそうな暑さの中を湯島に行きました。
椎原さんの「マトリクス人間学」をテーマにしたサロンです。

椎原さんは、節子は覚えているでしょう。
なにしろ強烈な個性の持ち主ですから、節子はなかなかついていけなかったと思いますが。
オープンサロンに、夫婦そろって参加してくれたこともありますし、突然夫婦でやってきたこともあります。
私が最初に出会ったのは、椎原正昭さんでした。
ベトナム戦争に従軍取材していたという体験に魅かれて付き合いだしました。
その集まりに参加しているうちに、椎原澄さんと会い、澄さんがcos-comという活動をしていることを知りました。
cos-com。コスモスコミュニケーション。
コスモスは、ミクロコスモスとマクロコスモスを含意しています。
2人とも霊性が高く、そこに共感しました。
ただし、私の霊性とはかなり違い、おそらく生まれ故郷の星が違うのでしょう。
おふたりのおかげで、不思議な人とも会いましたが、一緒にプロジェクトに取り組むところまでは行きませんでした。

正昭さんががんを発病、節子もがんを発病。
時間関係を思い出せませんが、交流は途絶え、節子は彼岸に旅立ち、正昭さんも宇宙に戻りました。
それから暫らくして、澄さんが活動を再開。
もしかしたら、挽歌でも彼女が湯島に来たことを書いたかもしれません。
その澄さんが、フェイスブックで湯島のサロンを知り、話をしに来てくれたのです。
全く変わっていませんでした。

節子がいたころ付き合っていた人が、久しぶりにやってくると、いろんなことを思い出します。
今日は、節子もよく知っている杉本さんも、参加してくれました。
そして、なんと驚くことに、最後、杉本さんは今日は私がやるからと言って、みんなが使ったコーヒーカップをお一人で洗ってくれました。
節子が湯島に来なくなってから、私が言ったわけではないのですが、サロンの後は必ず誰かが自発的に片づけとカップを洗ってくれるのです。
それも大企業の部長や杉本さんのような人が、です。
それにしても、杉本さんがカップを洗うとは、節子には想像もできないでしょう。
しかし、杉本さんは節子の訃報をどこかで聞いて、すぐにわが家に駆けつけてきてくれたお一人です。
杉本さんとのご縁は、ともかく不思議なご縁です。
椎原さんたちも、そうですが。

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■ちょっとハードなカフェサロン「マトリックス人間学」の超私的報告

今日の「ちょっとハードなカフェサロン」は、「マトリックス人間学」がテーマでした。
人が仲間と一緒に社会にダイナミズムを生み出していく構造を考える視点を、長年の実践で検証してきた、椎原さんがお話をしてくれました。
そのダイナミック・マトリクスを丁寧に説明してくれた後、そのマトリクスのど真ん中にあるのは何かが、最後の椎原さんの問いかけでした。
実は私はお話をお聞きする前から、そのマトリクスに「いのち」を与えるのは何かを質問しようと思っていたのですが、逆に質問されてしまいました。
私はこれではないかと思っていたことがあるのですが、椎原さんは、そこに入るのは「モノ」だと言うので、わからなくなってしまいました。
無念なことに私は答えられませんでした。
他の方の答えも、「当たり」とは言ってもらえませんでした。
椎原さんの答えをお聞きして、それはないだろうといささか過剰に私は反応してしまいました。
そして反論している途中で、椎原さんに乗せられているなと気づきましたが、もう引き込めなくなってしまいました。
そういえば、25年前も、こうやって私は椎原夫妻の挑発に乗っていたなと思い出しました。

議論はかなり盛り上がり、ヘーゲルとかニーチェとか実存とか、難しい発言もありました。
いささか難しい議論もありましたが(なにしろ「ハードなカフェ」ですから)、難しくない発言もありました。
栃木から4時間かけて参加してくれた早川さんが、ご自分の物語を語ってくれたのです。
これだけでは参加されていない方には伝わらないでしょうが、生活視点で概念や枠組みの意味を再構築するという点で、私は多くの気づきと視点をもらいました。
時代の流れを変えるのは、生活視点をしっかり持った人の日常生活だと私は確信しています。

そもそもこのサロンは、「人間を起点とする社会哲学」が基調にあります。
人間を基調にしている以上、常に生活視点がなければいけません。
その意味で、私には早川さんの発言は大いに触発的でした。

椎原さんのマトリクス人間学のスキームは、まだ公開されていません。
椎原さんたちが立ち上げた「事業創造協議会」起点となるプロトコルだからです。
ですから、ど真ん中に入るものは何かもここでは書くのは避けたいと思います。
しかしそのうち、完成度を高めて公表されるでしょう。
ど真ん中の「文字」も、変わるかもしれません。

なにやらわけのわからない報告ですみません。
初めて参加してくださった方が、酒も飲まずにこんなに楽しい議論ができるとはと喜んでくれました。
その方は会社を定年退職で辞めた後、起業しました。
会社時代には扱えなかった「安全で安心なもの」を扱う会社をつくったと言いました。
実に素直な人です。
この言葉をテーマにサロンをしたい気持ちです。
4時間かけて2時間のサロンに参加してくれた早川さんは、来てよかったと言ってくれました。

椎原さん、そして、死にそうなほど暑い中を参加してくださった皆様、ありがとうございました。
20150822


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■先祖が営々と育ててきた社会的装置(コモンズ)が壊されていいのか

昨夜の里山サロンは、9人が集まりました。
ナチュラリストの木村さんが参加してくれたのは感激でした。
お会いするのは10年ぶりでしょうか。
宮田さんが最近保安林の問題に関わりだしたのを契機に、入会地やコモンズのテーマにぶつかったようで、そこから見えてきた問題をいろいろと話してくれました。
1年前に起こった広島の土砂災害も、入会地やコモンズとしての里山の問題に深くつながっています。
保安林で言えば、宮田さんは生活を管理する統治者の植林と生活に立脚した農民の植林(これを宮田さんは「農民的植林」と名付けました)の違いを実例を見せてくれながら説明してくれました。
農民的植林。非常に示唆に富む言葉です。
もしかしたらここに「コモンズ」の本質を解くヒントがあるような気がします。
さらにコモンズとしての神社や水路の話にも広がりました。
コミュニティの話も出ましたが、コミュニティとは「人と人のつながり」だけではなく「人と自然のつながり」という視点も入れなければいけないことを改めて実感しました。

私たちは、長い歴史をかけて、自らの生活を支える膨大な社会的装置(コモンズ)を育ててきました。
「水田」はそのひとつです。
若林さんが、埼玉の見沼田んぼでの市民活動の話を少し紹介してくれましたが、そこからも自然こそが世代を超えて、人をつなげていく装置であることがわかります。

そうした「みんなのもの」を一時の利益を求めて、誰かが処分してしまうようになった、いまの社会は、そして私たちの生き方は、やはり考え直す必要があります。

鳥獣被害の話も出ました。
昨今の環境保護活動は、私にはやはり違和感があります。
対症療法ではなく、私たちの生き方から考えていいくことが求められているように思えてなりません。
このテーマは、いつかナチュラリストの木村さんにサロンをしてほしいと思っています。

いつもながら、実践を重ねての宮田さんのお話には、刺激を受けます。
粗雑な報告しかできないのがとても残念です。

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2015/08/21

■節子への挽歌2912:東尋坊からの焼き芋

節子
東尋坊の茂さんたちから、焼き芋が届きました。
丸もちも一緒に。
みんなでつくったのでしょう。
大事にしなければいけません。
節子にもお供えしました。

ユカが言うには、この芋は安寧芋ではないかというのです。
私はその分野の知識は全くないのですが、とても甘いのだそうです。
たしかに甘いのですが、やはり焼き芋はさほど得手ではありません。
節子はきっととてもおいしかったでしょう。

先日、わざわざ評判の焼き芋屋さんで買ってきた渕野さんに、やはりあんまりおいしくなかったけど、がんばって他の人の倍食べたよと言って、彼をがっかりさせてしまいました。
私は、彼が喜ぶと思ったのですが、逆効果でした。
まあしかし、嘘はつけませんので、そう言ってしまったのですが、そんなことは言わないでいいでしょうと、節子がいたら注意されたでしょう。
どうも私は、言わなくてもいいことを言ってしまいます。
困ったものです。

茂さんと川越さんに、お礼の電話をしなければいけません。
美味しかったとは言えないし、焼き芋は好きではないとも負えないし、何と言ったらいいでしょう。
ただ、ありがとうございました、と言えばいいわけですが、余計なひと言を言ってしまうのが、私の悪い癖なのです。

そういえば、先日、ある人がお土産に京菓子を持ってきてくれました。
その人が、お口に合わないかもしれませんが、というので、そうなんですかと反応してしまいました。
そうしたら、その人は、前回持ってきたお菓子があんまりお口に合わなかったようなのでと言うのです。
たぶん持ってきてくれたお菓子を一緒に食べたのでしょう。
そして私の気持ちが、まさに顔に出てしまったのでしょう。
困ったものです。
それでその時は、封を開けずに、その方が帰った後、食べました。
美味しかったです。
一緒に食べればよかったです。

ちなみ、美味しいとか美味しくないとかは、些末な問題です。
要は、気持ちです。
茂さんたちが、そしてもしかしたら、自殺を思いとどまった人たちが、汗を流して作ってくれたお芋とお餅。
うれしくないはずがない。
千疋屋のメロンよりもうれしいです。
でも、それでもなお、美味しいお芋でしたとは言えないところが、私の困ったところです。
正確には、味覚的には美味しくなかったけれど、みなさんの気持ちに感謝しながら、きちんと味わせてもらいました、というのがいいでしょうか。
茂さんのことですから、「美味しかったでしょう!」と畳み込んでくるでしょう。
さてそれをどうかわすか。
かなりの難題です。

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2015/08/20

■節子への挽歌2911:節子が逝ってから今日で2911日

節子
やっと挽歌の番号と節子が旅立ってからの日数が一致しました。
一時、挽歌が書けなくなり、40日以上のずれが生じていましたが、命日が来るまでに一致させようと頑張ったのです。
まあほかの人にはどうでもいいことでしょうが、私にはすごく気になることだったのです。
おかげで、この間、あんまり時評編が書けずにいました。

節子が彼岸に行ってしまってから、今日で2911日目ということです。
長いといえば長く、短いといえば短いですが、挽歌も2911回書いてきたわけです。
まだ書いているのかと感心してくれる人もいますが、最初の頃と違い、最近は私の日記のようになっていますから、感心することのほどもありません。
しかし、書く時には、少なからず節子のことを思いながら書いていますので、一応、その時間は節子と一緒にあるわけです。

この挽歌を書くことで、精神の安定を得たこともあります。
思いを発散する仕組みとしては、とても効果があります。
最初は読み手など全く意識していませんでしたが、読者からの反応があると、それはそれでまた元気がもらえます。
最初の頃は、ひどいコメントも来たりしましたが、最近はそういう嫌がらせのコメントもなくなりました。

挽歌のおかげで、知り合った人もいます。
会ったこともない人から元気づけられることもあります。
いつか会えたらいいなと思う人もいます。
挽歌のおかげで、少し世界が広がっているのです。
ただ、挽歌を読んでいるという人に会うと、私の心の奥底までも見られているような気がして、いささか恥ずかしい気がすることもあります。

節子が果たして読んでくれているかどうかはわかりません。
節子は、結婚前に、私が毎日書いて送っていた詩でさえも、あんまり喜んでいた感じがありませんでした。
私なら感動したでしょうが、まあ毎日詩を送りつけられたら、気持ち悪いかもしれませんね。
節子は、この挽歌のような、めんどくさいことは、あまり好みではないのです。
頭を使うのよりも身体を使う方が好きな人だったのです。

なんでそんな人が、私と結婚したのでしょうか。
たぶん私に騙されたのでしょう。
その私から解放されて2911日。
今ごろは彼岸でのびのびと花づくりを楽しんでいるかもしれません。
ちなみに、私はそういう節子が大好きだったのです。
人は誠に複雑なものです。

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2015/08/19

■節子への挽歌2910:伴侶の役割はお茶のみ相手

節子
湯島に来ています。
午前中、来客があったので、珈琲豆を挽いて珈琲を淹れました。
朝も飲んできましたが、続けて飲んだのですが美味しかったです。
お客さんもおいしいと言ってくれました。そのせいか、話が弾んでしまい、2時間があっという間に過ぎたばかりでなく、言わなくてもいいことをいろいろと話してしまいました。
湯島には初めての人でしたが、また来てくれるでしょう。

朝、書いた挽歌を読み直しました。
お茶も珈琲も、一人で飲むから、あんまり飲めないのかもしれない、と思いました。 
お茶を共にする人がいないのは、人生をさびしくするものです。
あるいは、お茶を出す人がいないことも人生をさびしくするのかもしれません。
娘たちはいますが、やはり親子はなんとなく違う気がします。

節子がいたころ、わが家には「お茶の時間」がありました。
特に休日は、3時頃になると、節子がみんなにお茶をいれてくれました。
娘たちも集まって、みんなでひと時を過ごしました。
この文化は、いつの頃かなくなってしまいました。

いまも、私は時々、お茶でも飲むかと声をかけますが、あんまり一緒に飲むことはありません。
娘から、お茶を入れたよという声がかかることもありますが、以前とはやはり雰囲気が違います。
子どもにとっては、父親と一緒にお茶を飲むのは、楽しいことでもないでしょう。
私自身のことを思い出せば、よくわかります。
両親は喜んでくれましたが、私はあんまりうれしくはありませんでした。
だからきっと娘たちは、私のためにお茶を誘ってくれているのでしょう。

伴侶の最大の役割は、茶飲み相手を果たすことかもしれません。
最近、何やらそんな気がします。
伴侶とであれば、無言のまま、お茶を飲んでいても、自然です。
しかし、親子や他人では、無言だと何か変な感じでしょう。
無理に話を探し出しかねません。
伴侶であれば、話がなくても、ただただ自然に過ごせます。

私たちは、よく話す夫婦でしたが、話さないでお茶を飲むこともできました。
そんな至福の時間が、失われたのが、残念です。

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■節子への挽歌2909:珈琲をあまり飲まなくなっています

節子
昨日、気がついたのですが、最近、珈琲があまり飲めなくなりました。
以前は、朝食で大きなマグカップで1杯。食後、また珈琲カップに1杯いれて、パソコンに向かい、そこでまた飲みます。
湯島に行ったら、そこで、来客に合わせて、2~3杯。
湯島に行かない時には、自宅で午後にマグカップでもう1杯。
こんな感じでした。
ところが、最近は、朝食時のマグカップが残るため、重ねて淹れることがなくなりました。
しかも、この数日、珈琲ではなく紅茶を飲んでいるのに気づきました。
紅茶はあまり飲まなかったのですが、最近は紅茶の方が多いのです。

むかし、がんになると珈琲が嫌いになるといううわさが流れたことがあります。
最近は聞いたことはありませんが、何かが起こっているのかもしれません。
単に歳のせいかもしれませんが。
夏の暑さで、ジュース類を飲むからかもしれません。

今日は、久しぶりに珈琲豆から挽いた珈琲を淹れました。
最近あまり飲んでいなかったせいか、おいしかったです。
しかしマグカップの半分しか飲めませんでした。

やはり、そろそろ「煎茶の世代」になったのでしょうか。
そういえば、最近、おいしいお茶を飲む機会も減りました。
節子がいないので、私だけで飲むのはなんとなくもったいない気がして、安いお茶ですませています。
それに、お茶はけっこう面倒です。
それで、ますます飲む機会が減ってしまっているのかも知れません。
もっと人生は豊かにしないといけません。

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2015/08/18

■節子への挽歌2908:「すべての人間は、死者とともに生きている」

■2908:「すべての人間は、死者とともに生きている」(2015年8月18日)
節子
一条真也さんの「唯葬論」を読み出しました。
その始まりの言葉が、心に響きました。
「すべての人間は、死者とともに生きている」
もし、前にこの本を開いて、この文章を目にしていたら、そのまま読みだしていたかもしれません。
最近の私の心境に、あまりに重なっていますから。
しかし、この文章に今日、出会ったのは、そして今日からこの本を読みだしたのも、意味のあることでしょう。
一気に読みたい気分もありますが、今回は少しゆっくりと読むことに決めています。

ところで、「すべての人間は、死者とともに生きている」です。
8月に入ると毎年、戦死者の思い出がマスコミに取り上げられますが、最近は、戦死者だけではありません。
たぶん東日本大震災以降だと思いますが、死者が語られることが非常に増えています。
御巣鷹山での日航機墜落事件もそうです。
ともかく私たちは、死者の日常的な暮らしへの思い出を通して、過去の事件が生々しく思い出されるのです。
そればかりではなく、その事件と自らの人生がつながりやすいのです。
「すべての人間は、死者とともに生きている」ということが、とてもよくわかります。

死者の思い出とは、実は生者の思い出です。
「死者とともに生きている」ということは、いまなお、死者は生きているということでもあります。
生きている死者が、生きている生者たちをつなげている、と言ってもいいかもしれません。
しかし、最近、ちょっと気になることがあります。
その「死者の思い出」が、少し「生者のための思い出」になりすぎていないだろうか、ということです。
それも、死者を愛する人ではなく、死者とは交流もなかった第三者が、死者を道具にして、物語を仕立てているのを感ずることがあります。

過剰に死者が語られている。
最近、そんな気がしてなりません。
死者とともに生きているのであれば、改めて余計な物語はいりません。
死者とともに生きる日常が、なくなってきているのかもしれません。

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■節子への挽歌2907:不要なモノをすてた後に残るのは祈ること

節子
鈴木さんが今朝早く、サンティアゴ巡礼抜向けて旅立ちました。
昨夕、メールをもらいました。
無断で、ほぼ全文を引用してしまいます。

家を出るまであと12時間になりました。 きょうは雨で涼しかったのでほとんど家にいて荷造りに励みました。 背負ってみるとあまり重く感じません。 けれども歩きは始めたらきっと不要なモノを投げ捨てたくなることでしょう。

母が旅の無事を仏壇に向かって祈っていたと妹から伝えられました。
それを聞いて涙があふれました。
わたしはこれまで人のために祈ったことがあるでしょうか…?
これではどちらが「病人」なのかわかりません。
佐藤さんがよくおっしゃる「生き方を変えなければならない」。
わたしもいま強くそう感じています。

戻ってからお会いできるときを楽しみにしています。
それでは行ってまいります。

歩きは始めたらきっと不要なモノを投げ捨てたくなることでしょう、と鈴木さんは書いています。
普通の人生でも、同じはずですが、なぜか捨てられません。
巡礼とは、それができることなのでしょう。

すてた後に何が残るか。
たぶん「祈り」ではないかと思います。
鈴木さんは、「これまで人のために祈ったことがあるでしょうか…?」と言っていますが、日々の祈りにただ気づいていないだけです。
心を澄ませば、生きることの多くは「祈ること」だと気づくはずです。
いや「祈り合い」かもしれません。

私は巡礼路を歩いたことはありませんが、長い人生を生きてきて、そう確信しています。

鈴木さんが、元気で最後まで歩き続けられるように、節子とともに、祈りました。

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2015/08/17

■いっそオリンピックがなくなるとうれしいのですが

オリンピックのエンブレムのデザインが問題になっています。
デザイナーの佐野さんの評判もガタガタになってきてしまいました。
知的所有権という概念に否定的な私にとっては、最初はどうでもいい話でしたが、ここまで広がってくると、ついつい一言書きたくなってしまいます。

まずエンブレムの話ですが、あれはどう考えても似ています。
しかし、似ていてもいいではないかと私は思っていました。
人間が考えることなど、所詮はそう違わないのです。
どんなに独創的に考えだしても、同じようなデザインはどこかにあってもおかしくありません。
それに、すべてを調べろなどというのは現実的でもありません。

ですから、佐野さんは堂々と確かに似ているが、私はそれを盗用などはしていないと言えばいいだけの話でした。
しかし、佐野さんは、「まったく似ていない」と言い切ったのです。
その段階で、ああ、この人は感性が鈍く、デザイナーではないと思いました。
ロジックの人なのです。

でもそれでもそれは大した問題ではありません。
私は、最初からあのエンブレムデザインは好きではありませんでしたが、そもそもオリンピック自体が金にまみれた商業活動ですから、デザインが汚れてくるのは当然のことだと思っていました。
金が支配する世界で、美を守れるとは私は思っていないのです。
どうでもいい話です。

しかし、その後、次から次に出てくる「盗作まがいの作品」には驚きです。
ここまで切ると、もはやデザインの問題ではなく、生き方や文化の問題です。
デザインの世界にまで、工業化と金儲け主義がいきわたったということでしょうか。

新国立競技場も、私には醜悪な人たちが、醜悪な手法で、,醜悪な建物を造ろうとしているように見えてしまいます

こうしたことが次々と起こるのは、オリンピックを日本で開催することにしたからです。
なぜオリンピックを招致したかといえば、金もうけや経済成長のためでしょう。
誤解かもしれませんが、私にはそう思います。
そんな予算があれば、原発被災者の支援や子供の貧困解消に当ててほしいですし。生活保護者を守ってやってほしい。
それくらいの思いを持つスポーツ選手(アスリートというおかしな名称も違和感があります)はいないのか、と私は情けなく思います。

オリンピック招致が決まった時から、私は反対を表明していますが、みんな蜜に群がる蟻のように、オリンピックに群がっています。
私には情けない光景にしか見えません。
スポーツを愛する人たちは、なぜおかしいと思わないのでしょうか。

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■ちょっとハードなカフェサロン「マトリックス人間学」のお誘い

ちょっとハードなカフェサロンのご案内です。
今回は、前回の報告に触発された椎原澄さんが手を挙げてくれました。
ちょっとハードなカフェサロン初登場です。
テーマは「マトリックス人間学」。

「マトリックス人間学」ってなんだ? とお思いでしょうから、
椎原さんの解説を下記します。

「人間を起点とする社会哲学」。
そこを基点にしながら「人間の尊厳を個人哲学の次元で日常的に確信できる人」の自覚を持つことができ、それぞれの存在理由を生かすことのできる「構造(組織ではなく)」を示せるのが、「マトリックス人間学」かもしれません(ビビりながら大きくでました)。
現行の構造に物理的に抗うのでもなく、「個の確立と共生(80年代から試行錯誤していること)」をこっそり「構造(関係性)」化する。
理想郷を描いているわけでもありません。
本当に今からどうなるかはわからない。
でも、どうなっても「自ら選択できる精神の自由」くらい持ったっていいんじゃないか。
そんな感じでしょうか。

なんだか話を聞きたくなりますね。
ところで椎原さんってどういう人ですかという質問もありそうです。
一言で言えば、私がこれまで会ったなかでも飛びぬけて「不思議な人」です。

ぜひ多くのみなさんの参加をお待ちします。
このサロンは、ちょっと敷居が高いという人がいますが、そんなことはありません。
気楽でカジュアルなサロンです。
誰でも歓迎ですので、コーヒーを飲みに来る感じで、お越しください。

○日時:2015年8月22日(土曜日)午後3時~5時
○場所:湯島コンセプトワークショップ
○テーマ:「マトリックス人間学」
○問題提起者:椎原澄さん(COS-COM 代表)
○スタイル:30分ほどの問題提起の話の後、みんなで話し合う。
○会費:500円

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■節子への挽歌2906:死者にとってのお墓

節子
佐久間さんが「唯葬論」という本を送ってきてくれています。
お盆の時期に読めるようにしてくれたのだと思いますが、あえて読まずにいます。
この本は、佐久間さんがかなり心を込めて書いたものでしょうから、私の方も少し気を入れて読もうと思っています。
その本の帯に、佐久間さんは「問われるべきは「死」ではなく「葬」である!」と書いています。
その言葉もかなり気になっています。

このお盆は、それなりに「死と葬」について考えました。
前の挽歌2905も、そのひとつなのですが、その延長で、少し書いてみようと思います。
佐久間さんの本を読んでしまうと、たぶん大きく影響を受けてしまいそうなので、あえて読む前に書いておくことにしました。
ちょっと長いですが、お許しください。

今回、お墓にはお盆の前後に行っていますが、私の考えでは、わが家の位牌にこそ、節子は常住していると思っています。
では、なぜ別のところに墓が必要になるのか。
私は、以前は不要だと思っていました。
節子もそうでした。
愛する人の遺骨がもしあるのであれば、できるだけ身近な、自らの生活の場に置けばいい。
お墓をつくるのであれば、自宅に作るのが一番いいのではないか。
なぜ、いつもの生活の場から離れた墓地に、転居させなければいけないのか。
土葬時代はともかく、最近のように火葬が広がった状況にあっては、墓地は不要ではないかと思っていたのです。
いまも、その考えが大きく変わっているわけではありません。
だから、自分の頭の中では、お墓の存在がうまく整理されていません。
ただ、私の場合、亡くなった両親とは同居していません。
節子と両親は同じ墓にいますが、位牌は、別のところにあります。
両親の位牌は、兄のところにあります。

壊されていく隣のTさんの家を見ながら、お墓は、死者のものなのだと改めて思いました。
この家がなくなると、地域の人たちはそのうちみんなTさんのことを忘れてしまうでしょう。
この地域からは、Tさんはいなくなる。
この家があればこそ、いままでTさんは、亡くなった後もこの地域に住んでいた。
死者にも「家」が必要なのです。

お墓に行くと、なぜか死者たちの姿が自然と浮かんできます。
そして、自然と声をかけている自分に気づきます。
お墓は、姿を失ってしまった死者たちの存在の証であり、現世への顔なのです。
位牌とは、また違った意味がある。

墓は死者のもの、位牌は生者のものかもしれません。
死者を偲んで生者が墓をつくるのではない。
死者がみずから生き続けるために、それも遺していくものたちのために生き続けるために、時間を超えて現世に戻ってきて、生者に墓をつくらせる。
死者は、現世にいる時に、一度、彼岸に行っているのです。
死を意識する段階になって、節子が墓に入りたいと言い出した理由が少しわかったような気がしました。
あの時、節子はたぶん、彼岸に入り、現世的に言えば未来の自分として現世に戻ってきていたのです。

わが家がいつまでもあるとは限らない。
死者にとっての唯一の拠りどころが墓なのかもしれません。
決して千の風ではない。
千の風は、生者のためのものです。

墓は、すでに彼岸のもの。
だから墓地は、他の場所とは違った世界を感じさせるのです。
墓は、個々の生者のためにあるのではなく、すべての死者の彼岸のためにある。
たとえわが家の墓であろうと、死者すべてのためにある。
墓石の下は、時空間を超えた彼岸なのです。
そして同時に、それは死者が生者とつながるための窓なのです。

書いていて、どうもうまく心身にあるイメージが言語化できない。
中途半端ではありますが、まあ今日の時点での思いとして残しておきましょう。
佐久間さんの本を読んだら、もう少し整理できるかもしれません。

明日から、「唯葬論」を読みだす予定です。

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■節子への挽歌2905:色即是空の無常観

節子
お盆が終わったら急に涼しくなりました。
季節が一変してしまったような感じです。

高低差があるため、高台にあるわが家からは一望できる隣の住宅の取り壊しが始まりました。
大きな家で、いままではその庭を上から楽しませてもらっていましたが。お一人住まいだった方がなくなり、土地が売却され、5つの建売建築が建てられることになりました。
庭の植木はもうすべて伐採されていますが、残っていた建物が朝から解体されだしました。
解体の様子はいつ見ても、無残です。
この家で何十年も営まれていた家族の生活の記憶は、消えて行ってしまうわけです。
隣家とはいえ、高低差のために日常的な御付き合いはありませんでした。
なぜか節子が、そこで働いていたお手伝いさんと知り合いになり、その方が時々、わが家に来ていましたが、その縁で、ささやかな付き合いがあったほどです。
しかし、家主が亡くなったため、お手伝いのOさんは故郷に戻りました。
時々、その家にお見えになっていた娘さん(節子と同世代でした)も、節子よりも少し後になって「がん」を発病され、数年前に亡くなりました。
その後、その伴侶の方も亡くなったそうです。

人の記憶は実にもろいものです。
この家がなくなって、そこに新たに5軒の家ができてしまえば、おそらく私の記憶から隣家の人たちの記憶は消えていくでしょう。
そうやって人はたぶん現世での生を終えていくのでしょう。

壊されつつある隣家の家を見ていると、時々、かくしゃくとして庭を歩いていた高齢のTさんの姿を思い出します。
がんが発見され、節子のところに話に来ていた娘さんの顔も思い出します。
いまは仙台に帰ってしまった、お手伝いのOさんの姿も思い出す。

節子がいなくなった後も、何回かOさんはわが家の相談に来たことがあります。
そのお礼にと、一度、たしか洗剤を持ってきてくれたことがあります。
なぜ洗剤なのか不思議だったのですが、Oさんは実に素朴な方でした。

壊される家の外に、しばらく庭掃除のための竹ぼうきなどが放置されていました。
それは、Oさんに頼まれて、娘が買ってきたものだそうです。
まあ、そんな思い出も、すべて消えていくわけです。

いや、消えるのではなく、たぶん「無」の世界へと進むのでしょう。
色即是空の意味が、最近、ほんの少しだけ実感できるようになってきました。
ほんの少し、だけですが。

今日は、なんだか奇妙なほどに悲しい日です。

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2015/08/16

■節子への挽歌2904:日常の喜怒哀楽が戻ってこない

節子
最近つくづく自分の生活が世間から大きくずれているのを感じます。
どこがどう違うのか、うまく言葉にはできませんが、明らかにずれています。
みんなのように「日常」がないと言ってもいいかもしれません。
いわゆる「日常の喜怒哀楽」というべきでしょうか。
まわりの友人知人たちの日常を見て、そう感ずるのです。

伴侶を亡くした人はたくさんいます。
みんなそうなのでしょうか。
私だけが特殊なのでしょうか。

伴侶を亡くして、日常を失っても、それを回復できた人も少なくないでしょう。
私の場合も、もしかしたら、外部からはそう見えるかもしれません。
節子がいなくなってから、知り合ったある方は、ある時話をしていて、私が妻を見送ったことを初めて知って驚いていました。
外からは見えないのかもしれません。
外からは見えないかもしれませんが、心身の中にいつもぽっかりと空いた暗闇がある。
それがどうしても、日常の回復を邪魔します。
どこかいじけた喜怒哀楽しか持てないのです。
性格がどんどんくらくなっていく。
困ったものです。

組織の中で仕事をしていたら、違っていたのかもしれません。
夫婦一緒に活動していた時間があまりにも多すぎたことも、影響しているかもしれません。
ともかく、日常が瓦解した。
そして、8年が経とうとしているのに、瓦解したまま、日常の肝心の何かが戻ってこない。
日常がなくなると、いうまでもなく未来が始まりません。
未来の出発点になる現在の日常がないからです。

お盆が終わって、自宅の精霊棚を壊し、いつもの仏壇に位牌を戻しました。
その直後に、なぜかこんな思いに襲われてしまいました。
今夜は、奇妙なほどにさびしいです。
やはりお盆には、彼岸から節子が戻ってきていたのかもしれません。

友人たちの夏休みは、みんなとても幸せそうでした。
どこかで羨んでいる自分がいます。
私の夏休みが幸せだったころ、そんな気持ちで私を見ていた友人もいたのでしょう。
そんなことなど微塵も考えていなかった自分が、いまは少し恥ずかしい気がします。

今年のお盆は、いろんな気付きを得て、世界が少し広がったお盆でした。

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■節子への挽歌2903:節子が帰りました

お盆もあっという間でした。
夕方、娘たちがそろったので、みんなで節子をお墓に送ってきました。
普通の家では、ちょうちんで扇動しますが、わが家はオランダ土産の様式の赤いガラスのランタンです。
お墓に行くとちょっと浮いた感じです。

お墓で般若心経をあげだしたのですが、途中で出てこなくなりました。
最初からまた唱えだしましたが、やはり途中で止まります。
何回やってもうまくいきません。
これはかなり問題です。
脳疲労か、あるいは認知症現象です。
まさか節子との別れがつらくて、脳が作動しなくなっているわけではないでしょう。

お経というのはおかしなもので、
途中で止めると続かなくなります。
一連の繋がりで、脳ではなく口が記憶しているのでしょう。
途中で誰かに話しかけられると混乱してしまいます。
今日は、かなり専心して唱えたのですが、思い出そうとすればするほど思い出せません。
むしろ専心すればするほど思い出せなくなります。
途中で諦めて、真言マントラを唱えたのですが、何とこれもスムーズに出てこないのです。
いささか疲労がたまっている。

思い当る理由はあるのですが、まあ、そのいろんな問題も、すこしずつほどけだしています。
ことしの夏も無事越えられそうです。

お墓に届けた後、みんなで食事に行きました。
もちろん「小節子」もつれてです。

節子は結局、どこに常駐しているのかと娘から言われましたが、
彼岸は時空間を超えていますから、いまここに、いつもいるのです。
となるとお盆とは何なのか。
死者が現世に還ってくるのではなく、現世に生きている私たちがちょっとだけ時空間を超えるのがお盆かもしれません。

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2015/08/15

■節子への挽歌2902:リンカーンクラブが復活です

節子
武田さんと久しぶりにリンカーンクラブの話をしました。
そこでまた「お金なんていざとなったら何の役にも立たない」と話して、そんなことはないと論争になりかけました。
実は昨日も、ある人と会って、そういう話をしたら、あなたの生き方は理解できないと笑われました。
しかし、私には、お金のために生きている人の方が、理解できません。

武田さんは、日本の政治状況をもっと直接民主主義に近づけさせられないかという思いで、リンカーンクラブという組織を30年以上前に立ち上げました。
かなりの私財を投入したはずです。
しかしなかなか広がらずに、また体調の問題もあって、しばらく活動を中断していましたが、昨今の政治状況を見て、やはりまた活動に取り組まねばと思いだしたのです。
そのためには資金がいるので、資金集めをしたいという話になりました。
その打ち合わせをしていて、冒頭の話になったのです。
お金で立ち上げた組織は、それこそ金の切れ目が縁の切れ目になって、うまくはいきません。
しかし、武田さんは、お金は大切だというのです。
そういう佐藤さんの考えが、節子に苦労をかけたのだと以前、武田さんに言われたことがありますが、そんなことは全くありません。

しかし、もし武田さんがそう思っているのであれば、湯島などには通い続けないでしょう。
そもそも私などとは付き合わない。
お金を最大の価値にしている人は、湯島には来なくなります。
その結果、湯島に集まる人はみんな豊かになるのです。
もちろん経済的にではありませんが。
武田さんもそうでしょうと指摘したら否定しませんでした。
そういえば、あの人は来ないよねという話になって、議論はめでたく円満解決です。

まあそんな話をしながら、リンカーンクラブを再開することになりました。
以前のリンカーンクラブでは武田さんに迷惑をかけたようなので(私は逆に思っていましたが)、今度は少し役に立たないといけません。

そんなわけで、武田さんとの付き合いはまだ続いています。
時々、喧嘩しながらですが。
私も武田さんも、もう少し現世で仕事をすることになりました。
まあまた考えの違いで決裂しかねませんが、以前よりも2人とも丸くなったので、まあ今度は大丈夫でしょう。
丸くなった分、2人とも老化したので、行動力不足でだめになる可能性はありますが。

ちなみに武田さんは、節子が知っている武田さんのままです。
まったく成長がありません。私もですが。
困ったものです。

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■憲法違反罪をテーマにした戦争反対カフェサロンの報告

戦争反対カフェサロンは、20代から70代まで多世代の人たちが12人、参加しました。
テーマは「憲法違反罪」。究極的民主主義研究所所長の武田さんの提案です。
武田さんは、悪評高いかつての「治安維持法」を頭において提案しています。
体制に危険な存在を排除する「治安維持法」を反転させて、国民(武田さんはむしろ「民主主義」と考えているようですが)を守るために、それを壊そうとする権力者を排除するものとして、この提案をしています。
そこから考えられる思考実験としては、とても面白いし、気づくことも多いです。
武田さんが雑誌に寄稿した文章は下記にありますので、ご関心のある方はお読みください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/TAKEDA125.pdf
もっとも、私は、あんまり賛成ではありません。
法は、抽象度が高くなればなるほど、解釈の多様性が広がりますから、誰が違反と判断するかが困難、というよりも危険だからです。

それにしても、どうもみんな昨今の政権のやり方には強い「憤り」を感じているようで、思っていた以上にたくさんの人たちが集まりました。
そして政権批判や、いまの政治状況への怒りもたくさん出ました。
どうしてあんなに嘘ばかりついている人が首相なのかと嘆く私と同世代の女性もいました。
私は、憲法は「嘘をいわない。人の尊厳を認め合う。権力を集中させない」の3条でいいのではないかと思っているほどですので、「嘘をつく」首相は顔を見るだけで気分が悪くなります。
怒りを感じて参加した、何とかならないのか、という現役バリバリの女性もいました。
安倍さんも悪いが、そうした阿部さんを生み出す仕組みが悪いとも彼女は怒っていました。
そこから小選挙区制度や総裁に立候補の公認権が集中しすぎたことが問題だという話も出ました。
公務員と言ってもいろいろとあるという話も出ましたし、なんで公務員だけなのかという話も出ました。
話はさらに広がり、国民投票(直接民主主義)の話や天皇制の話もありました。
また若者たちの国会デモはどれだけ本気なのかという話も出ました。
若い世代の参加者が4人いましたが、彼らの感覚と壮年世代と私のような老年世代とは、また受け取り方がどうも違うようです。
とまあ、実に様々な論点と怒りが出されました。
さてどうするか。

国民投票はそう簡単にはできませんが、人民主役の大規模な世論調査を積み重ねていくのが、現実的ではないかと思い、提案したら、20代の若者が賛成してくれました。
いまマスコミで発表されているような世論調査は、私は百害あって一利なしと思っていますが、時間をかけたら人民主役のボードが構築できるかもしれません。
新しい政治インフラになるでしょう。

最後に、武田さんがリンカーンクラブの話をしてくれました。
最近活動が中断されていますが、以前、武田さんがやっていた直接民主主義にできるだけ近づけようという運動です。
それを再開することになりました。

秋から、リンカーンクラブサロンがたぶん始まります。
これに関しては、また案内を差し上げます。
若い世代でネットなどを駆使できる人で、一緒にやってくれる人はいないでしょうか。

ちなみに次は8月29日に若者主役で「憲法9条」をテーマにしたワークショップが開催されます。
定員の関係で、参加させてもらえないかもしれませんが、どうしても参加したいという人は買収に応じます。ただし条件次第です。こうして「正義」は腐敗していくのでしょうね。政治の世界は恐ろしいです。
はい。

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■節子への挽歌2901:今日は敗戦から70年目

節子
今日は70年目の敗戦の日です。
昨日の夕方の首相の70年談話を聴いて、何やら無性にむなしくなって、早く寝てしまったのですが、深夜に目が覚めてしまいました。
枕元のテレビをかけたら、田原さんの朝までテレビ討論会をやっていました。
ついつい見てしまい、気がついたら夜が明けていました。
それでさらに寝不足になってしまいました。
困ったものです。
しかし、そのテレビを見ていて、また更に暗澹たる気分になってきました。
日本では、なにかを生み出す議論ではなく、相手を否定する議論ばかりです。
聞いていて、嫌になりましたが、もしかしたら私もこういうスタイルの議論をしているのでしょう。
反省しました。

朝、起きて新聞を開いたら、大きく「主語「私は」使わず 安倍談話」という見出しがありました。
主語の大切さについては、時評編で1週間ほど前に書いていたことなのですが、昨日もそれが私の一番不快な点でした。
誠実に生きている人であれば、主語のある語りをするはずです。
主語のない話ほど、イライラさせられることはありません。
その見出しで、少しすっきりしました。

パソコンを開いたら、今日の戦争反対カフェサロンに新たに3人の人が参加するという連絡がありました。
それでまた元気が出ました。
寝不足でいささかふらふらしそうですが、元気に湯島に行けそうです。

戦争の悲惨さが、新聞やテレビで盛んに報じられています。
8月15日は、節子と一緒に行った沖縄平和祈念公園を、いつも思い出します。
基地だらけの沖縄で、まだ戦争から解放されていない沖縄ですが、
私には沖縄ほど平和を感じさせるところはありません。
もう一度、ゆっくりと、節子と沖縄を旅行したかったです。

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2015/08/14

■節子への挽歌2900:親密圏の不在

節子
最近は、会う人たちから元気そうですね、と言われるのですが、この2日間、体調はあんまりよくありません。
なんとなく身体全体が火照る感じなのと、頭の後ろに違和感があるのです。
なんとなく熱っぽいので、体温をはかったら、平熱です。
まあ、この歳になると、身体の不調こそは健全の証拠と思ってはいるものの、調子が悪いとどうも「やる気」が起きません。

寝不足かもしれません。
そういえば、ここしばらく、睡眠時間がかなり少ないのです。
いつも早く寝ようと思って、ベッドに行くのですが、そこから本を読んだりして結局寝るのは12時近くになり、そのくせ5時には目が覚めてしまうのです。
その間、熟睡できているわけでもありません。
そんな状況が続いていますので、疲労感がたまってきているのかもしれません。
夜は読書できるのですが、昼間は本を読もうとするとすぐに眠ってしまいますし、テレビを見ていても眠ってしまいます。
こういうのは、年齢的には健全なのではないかとも思いますが、やる気が出てこないのは辛いのです。

それでもなんとか元気を装ってきましたが。夕方からどっと疲れが出てきてしまいました。
首相の70年談義が原因です。
あいかわらず主語のない話をしています。
心も感じられません。
この人は本当に生きている人なのだろうかと思いました。
こんな人の支持率が40%もあるような社会は、やはり不快でしかありません。
脇道は、ますます歩きにくくなっています。
憂鬱なことが多すぎます。

やはり長く社会と関わりすぎているのかもしれません。
節子との親密圏に逃げ込みたいものですが、それはもう望みうべきもありません。
公共圏と親密圏はいずれも必要であり、偏ってしまうとひずみが生じます。
どうも最近の私は、そのひずみのなかに落ち込んでしまっているようです。

このもやもや感から抜け出したいです。

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■平和な日本における「見えない戦場」

間があいてしまいましたが、4日前の「被害者になる前に加害者になることをおそれたい」で最後に書いた、加害者の目線も持って考えると、日本のこの70年も、平和だったとは決して言えないのではないかについて書いておくことにします。
この70年の日本は、自らの平和を実現するために、さまざまな戦場をつくってきた(荷担してきた)のではないか。
そしていまなお、それを継続しているのではないか、という反省です。

この前の時評編で、「ヴァイマル憲法とヒトラー」を紹介しましたが、この本を読んでいて、平和と戦争はコインの裏表だと改めて痛感しました。
しかし、戦争の裏にある平和など、私には無意味のように思います。
宮沢賢治がいっているように、みんなが平和でなければ、平和などあり得ないのです。

ナチズムの時代を肯定的な思い出として生きているドイツ国民は決して少なくないと言います。
「多くの体験者は、ナチス時代になってようやく生活が安定し、治安も落ち着き、ドイツ人としての誇りを持って生きられるようになった、と回想しました」と、その本には書かれています。
ナチドイツで虐殺されたユダヤ人たちは、実質的に国籍を奪われていたことからわかるように、ナチスドイツでは、豊かな暮らしを享受できる人もいれば、死に直面して生きていた国民もいたのです。
どちらの視点に立つかで、世界は全く変わってきます。

さて、日本のこの70年の平和ですが、確かに日本では戦争はなかったですが、その時期、世界は戦争から解放されていたわけではありません。
朝鮮戦争やベトナム戦争が象徴的ですが、そうした各地の戦争が日本の経済的繁栄を支えてくれていました。
日本が経済的豊かさを享受している、すぐその隣で、人々が殺傷し合っているのです。
日本は、まるでゲーテッドシティのように、戦火から守られていた。
他国の不幸によって、日本の幸せは守られていたのかもしれません。
それが悪いとは言いませんが、なにかとても心苦しい。
せめて、日本の平和の裏側には、そうした悲惨な現実もあることの認識は忘れてはいけません。
ましてや、それを加速するようなことは、避けたい。

他国だけではありません。
国内にも、生き死にに関わる状況が日常的に遍在しています。
たとえば、子供の貧困が話題になっていますが、子供を守るために、まるで戦場での生活のような生き方をしている人も少なくないでしょう。
武器で殺傷されることはないとしても、生命の危機を感じながら、毎日を生きている人も決して少なくないでしょう。
そうでなければ、これだけ多くの精神の病や自殺が広がるはずはありません。

ヨハン・ガルトゥングは、構造的暴力をなくすことこそが積極的平和だと主張しました。
最近、安倍首相が唱えている「積極的平和」とは全く意味が違い、ガルトゥングが異議申し立てしていることが先日新聞に出ていましたが、構造的暴力まで視野にいれれば、いまなお、日本には「見えない戦場」が遍在していると言っていいかもしれません。
しかも、それは少なくなるどころか、むしろ広がっている。
それのどこが、平和なのか!
ナチスドイツが政権をとった時代状況に極めて似ているように思います。
そうした「見えない戦場」が、日本国の内外に、私たちの暮らしの周辺にあることをもっと強く意識したいと思います。
ヒトラー時代のドイツ国民と同じ道は、歩みたくはありません。
でもそこからどうやって抜けるのか、まだ私には見えてこないのですが。

明日は敗戦の日。
せめて私のまわりの戦場への思いを深めようと思います。

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■「ヴァイマル憲法とヒトラー」(池田浩士著)のお薦め

今日は、私が読んで、頭をガツンとやられたほどのショックを受けた本をご紹介します。
池田浩士さんの『ヴァイマル憲法とヒトラー 戦後民主主義からファシズムへ』(岩波現代全書)です。
今年の6月に出版された本ですが、書名からドイツの話だと思い、後回しにしていたのですが、数日前に読んで、まさにいまの日本への警告書なのだと知りました。
最後の章では、かなり具体的に、まさに今の安倍政権への批判とともに、私たち日本人の生き方が、辛辣に告発されています。
70年目の敗戦記念日を迎えるにあたり、一人でも多くの人に読んでほしいと思い、紹介させてもらうことにしました。

内容は読んでもらうしかないのですが、本書の紹介文にはこう書かれています。

第一次世界大戦後の戦後民主主義を体現するヴァイマル憲法下で、ヒトラーは人心を掌握し、合法的に荒権を獲得した。ドイツ国民を魅了したナチズムの本質を抉り出し、新たなファシズムの到来に警鐘を鳴らす。

まさに、そういう本です。
著者は、「ヒトラーとナチスが憲法を踏みにじっただけでなく、ドイツ国民がヴァイマル憲法を揉欄していたのです」と明言します。
その一因をドイツ国民のなかに深く根付いていた「臣民」の習性に見ます。
そして、日本の憲法もまた、そうした「臣民根性」が根底に持っているというのです。
しかも、その臣民根性は、いまなお脱却できていないことが示唆されています。
そうしたことが、具体的にわかりやすく書かれています。
敗戦40周年にあたって有名な演説をしたヴァイツゼッカー大統領も、厳しく告発されています。

しかし、著者が警鐘を鳴らす相手は言うまでもなく、私たち、現在の日本に生きている私たちです。
いまの日本の政治状況は、ヒトラーでさえできなかったことをやっていると指摘します。
そして、国民はそれを見逃している。
たとえば、こういうのです。

あの破局的な原発事故にもかかわらず、原発の再稼働を強行するというような、もしも政府が原発資本の利益よりも国民の安全と人権を尊重していれば到底できないようなことは、ヒトラーにはできませんでした。

これだけ取り出すと違和感があるかもしれませんが、本書を読めば、その違和感はなくなるかもしれません。

では私たちはどうすればいいのか。
著者は、日本国憲法第12条に、その答えがあると言います。
第12条の前半にはこう書かれています。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」。
つまり、私たち自身も憲法によって重い義務を課せられています。
憲法は、為政者だけに義務を与えているのではないのです。
私たちは、臣民ではなく、主権者なのですから。

私たちは、立ち止まり、見て、感じて考える、その感性をもつことが必要だ。
しかし、それはひとりではできない、共にある「他者」を必要とすると著者は書いています。

私もそういう思いで、湯島で毎週のようにカフェサロンをやっています。
明日の15日は、憲法違反は死罪にあたるという、いささか物騒なテーマでカフェサロンを開催します。
私は死刑は反対ですが、憲法違反を看過してきた私たちも、死罪にあたるのかもしれません。
よかったらご参加ください。
案内は下記にあります。
http://homepage2.nifty.com/CWS/info1.htm#150815

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■節子への挽歌2899:両親見舞い

節子
両親のお見舞いに行ってきました。
と言っても、私の両親はもうずっと前に亡くなっています。
お盆で兄の家に戻ってきているので、そこにお見舞いに行ってきたのです。
前に書いたように、内村鑑三の言葉に共感して、見舞いという言葉にしたのですが。

ちょうどお寺のご住職が供養に来てくれた時間に重なりました。
お盆の時期は大変なので、手分けして回っているようですが、いつものご住職ではなく、初めてお会いするお坊さんでした。
この暑さで、熱中症になってしまったそうです。
今日はもう大丈夫そうでしたが。

両親は以前は私たちが供養していましたが、いろいろと事情があって、いまは兄夫婦に任せています。
最近は、私自身、兄の家に行くのは年に数回ですので、久しぶりに両親を見舞ったわけです。
「見舞う」という言葉は、なんとなく自然と胎に入ってきました。

お墓には時々、行ってはいるのですが、たまには仏壇にもお見舞いに行かなければいけません。

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2015/08/13

■節子への挽歌2898:東尋坊のおふたりは元気そうでした

節子
久しぶりに東尋坊の茂さんと川越さんと電話で話しました。
2人ともお元気そうでした。
そういえば、この1年近く、お会いしていません。
なかなか福井には行けません。

東尋坊は投身自殺の多かったところです。
それを何とかしなければと、茂さんは定年後、NPOを立ち上げました。
その関係で、茂さんや川越さんとはお付き合いがあるのです。
茂さんたちは、みんなで東尋坊の見回り活動に取り組んでいるのですが、いろいろと苦労も多いのです。
それで、みんなに節子の好きだった千葉の梨を食べてもらおうと送ったのですが、とても喜んでくれました。
今度、さつまいもを送ると電話の向こうで言っていましたが、さつまいもはあんまり得手ではないのです。
それに私も先日、遅まきながら畑にさつまいもの苗を植えたのです。
何とか元気で育っています。
送られてこないことを祈りますが、茂さんのことですから、有言実行です。
さてどうするか。

節子が元気だったら、もう一度、東尋坊に行きたいものです。
最後に芦原温泉に行った時に東尋坊に立ち寄ったのが、茂さんたちとの付き合合いが深まった理由ですので、茂さんと川越さんは、私には特別の意味のある人たちなのです。
川越さんも元気そうでした。
やはり東尋坊には行かなくてはいけません。

敦賀の義姉が、時々、福井新聞に茂さんのことが載っていたと言っては、新聞を送ってきてくれます。
最後の芦原温泉旅行は、節子の姉夫婦と一緒だったのです。
それで、みんなで茂さんたちのおろし餅をご馳走になりました。
なにが人生を大きく変えるかわかりませんが、あれは節子がいなくなってからの私の人生を変えた気がします。
節子がいなくなっても、路線を変えずにすんだのです。

お盆の1日目は、何もなく過ぎました。
1日、位牌の近くでボーっとしているつもりでしたが、すぎのファームに出かけたり、娘の買い物についていったりして、あんまりボーっとはしていられませんでした。
まあ節子は、3泊4日の寄生ですから、ずっといるのもうっとうしいでしょう。

早いですが、もう寝ようかと思います。
どうものどの調子がよくありません。
夏風邪かもしれません。
困ったものです。

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■節子への挽歌2897:杉野さんちの梨

節子
もう気がついたでしょうか。
精霊棚に、杉野さんの幸水の梨が供わったことを。

今朝、お墓に行く前に電話して、取り置きをしてくれるように頼んだのです。
予約を受けたところにも送れないかもしれない状況のようなので、気が引けて、わが家用には言い出せないでいたのですが、杉野さんがきちんとわが家用にも用意しておいてくれました。
今年は雨不足で、収穫量が伸びないのだそうです。
それでも今朝は、800グラムのジャンボ幸水が獲れたそうです。
持ってみましたが、やはり重いです。

久しぶりなので、杉野さんといろいろと話しました。
ともかくお客様が多いので、その合間の会話ですが、杉野さんご夫妻は、ともかくチャレンジャーです。
と言っても、とてもゆるやかであったかいチャレンジャーなのです。
今度は食用ひまわり油に取り組んでいます。
そのひまわり畑も見せてもらってきました。

杉野さんのところに行くと、いつも思います。
これが私たちの理想のイメージだったのではないのか、と。
ともかく私の描く理想の家族です。
もっとはやく気づいていたら、私の人生は全く違っていたかもしれません。

帰宅後、梨を冷やして早速、食べました。
やはりすぎのファームの幸水は、おいしいです。
節子はどうでしたか。

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■節子への挽歌2896:迎えに行ってきました

節子が、正確には、お墓の節子がわが家に戻ってきました。
少しで遅れましたが、10時過ぎにお墓に着くと、もう迎えに来ている人たちがたくさんいました。
お墓でともしたロウソクの火を、精霊棚のろうそくに移し、般若心経をあげました。
いつもは、お墓で私の両親と同居ですが、お盆はいわば里帰りです。
両親は、仏壇のある兄の家に戻るのです。

お盆にお墓に迎えに来られる人も、そして迎えに来てもらえる人も、幸せなんだと最近わかってきました。
なかには3世代の家族もいますが、高齢の方が一人でお墓をそうじしている姿も少なくありません。
今日は、昨日までと違って涼しいので助かります。

例年と違い、今年はわが家には誰も来客がありません。
精霊棚のちかくで、ゆっくりと本でも読んで過ごすのがいいでしょうか。
昨日から今朝にかけて読んだ本が、いかにも強烈だったので、思い出して、かなり古い本ですが、「ヒトラーを支持したドイツ国民」がいいかもしれません。
先週、節子も知っている田中弥生さんが、ようやく読み終えたとフェイスブックに書いていたので、思い出しました。
実は。昨日、「ヴァイマル憲法とヒトラー」を読んだのは、それがきっかけでした。
しかし、あまりお盆にはふさわしくない本ですね。
それに、探し出すのも大変ですし。

そういえば、佐久間さんが送ってきてくれた「唯葬論」という本があります。
これがふさわしいですね。
これならいま目の前にあります。
しかし、これも実は調子のいい時に読みたいと思っていました。
なにしろ佐久間さんの集大成的な本の一つですから。

というわけで、読書は止めることにしました。
では何をするか。
やはりボーっとしているのがいいでしょう。
節子が戻ってきているのですが、それが良いに決まっています。

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■節子への挽歌2895:ガツンとやられた気分

節子
昨日、ある本を読みだしたら、途中で止められなくなって、すべての行動をやめて、その本を読み終えてしまいました。
池田浩士さんの「ヴァイマル憲法とヒトラー」という本です。
戦後ドイツのことも少しは知っているつもりでしたが、実に中途半端な知識しか持っていないことに気づかされました。
いや、知識の問題ではなく、考えが足りなかったというべきでしょう。
ガツンとやられた気分です。

また時評編には書くつもりですが、まずは節子への報告です。
どこでガツンを感じたかですが、それは自らの信条で生きているかということです。
まあここで詳しく書くのは止めましょう。
しかし、ともかくガツンとやられてしまいました。
一人で受け止めるには、いささか荷が重いですが、仕方ありません。
今日もう1日、じっくりと考えようと思います。
いろいろと考え直さなければいけないことが出てきましたし。
節子が言いたら、話し合いながら、生き方を見直せるのですが。

この本は多くの人に読んでもらいたいですが、気楽に進めるわけにもいきません。

今朝は涼しい朝です。
これからお墓に行ってきます。
節子の帰宅の準備はできています。
後はお供えの梨が手に入るかどうかです。

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2015/08/12

■悦子への挽歌2894:オレンジな節子

節子
今朝、しつらえた精霊棚にまた花が増えました。
隣のMさんが、今年も花を届けてくれました。
もう8年もたつのに、毎年、必ず花を届けてきてくれます。
節子と、さほど親しかったわけではありません。
なにしろ転居してきて、すぐに節子は発病しましたから、2~3年の付き合いでしかありません。
にもかかわらず、毎年、忘れずに花を届けてくれるのです。
節子が声をかけていた娘さんも、もう大きくなって、道であってもわかりません。

近所づきいというのは、やはり女性の世界で、節子がいなくなってからは、会ったら挨拶するくらいのお付き合いなのですが、お盆には必ず花を届けてくださるのです。

今日は私ではなく娘が受け取ったのですが、
お母さんはオレンジ色のイメージだからと、今年もまたオレンジ基調の花にしてきてくれました。
いまから思うと理由がよくわからないのですが、私も実はオレンジな感じがしているのです。
しかし、節子が実際に好きだったのは、真紅のバラと純白のユリでした。
でも真紅も白も、節子のイメージにはちょっと合いません。

そういえば、これまで写真を撮って置いたことがないので、写真を撮ることにしました。

わが家が用意した花が少しかすんでしまいます。
明日にはもう少し花もにぎやかになりそうですが。


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■節子への挽歌2893:お盆の準備

節子
久しぶりに大宰府の加野さんから電話がありました。
私より一回り上なので、もう80代の後半です。
お元気です。
お元気な理由は、一つです。
以前お会いした時に、先に逝ってしまった娘さんの供養をしなければいけないので、ともかく元気でなければいけないと言われました。
それが加野さんが元気で居続ける理由ですが、その言葉は、私に対する元気づけの言葉でもあります。
佐藤さんも、元気にしなければいけないでしょうというメッセージです。

加野さんが、もうじき奥さんが戻ってきますね、と言ってくれました。
お盆が近いのです。
加野さんは、いまも毎月、大日寺に娘さんに会いに行っていることでしょう。

娘が仏壇に代わって、節子を向ける棚をつくってくれました。
わが家の場合、節子はいつも「ここ」にもいるのですが、お盆の時には精霊棚にするのです。
畑からとってきたわが家の花に加えて、節子の好きなバラを娘たちが供えてくれました。
昨日まではユリが香りを振りまいていましたが、お盆はバラがメインのようです。
今日は杉野さんのところに行けなかったので、節子の好物の梨は供えられていませんが、代わりに畑で採れたジャンボキュウリを供えました。
お盆の精霊棚では、キュウリはお向け用の馬の役割です。
今年は、キュウリも帰りの牛用のナスも、馬や牛にしないで、そのまま飾り、終わったらちゃんと食べようと思います。
考えて見ると、それが合理的です。

お盆の準備もできました。
明日は迎え火です。
もう8回目のお盆です。

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2015/08/11

■節子への挽歌2892:杉野さんの梨が手に入るかどうか心配です

やはり暑いです。
お盆が近づいたので、節子が好きだった杉野さんの幸水梨を分けてもらおうと杉野さんのところに行きました。
ところが、いつもは家族みんなで作業しているはずの作業所に誰も居なくて、「本日完売」の紙が貼ってありました。
ちょっと出遅れたかと帰ってきたのですが、明日、また行こうと思っていました。

ところが、夜になって、杉野さんのフェイスブックを見たら、今年は収穫が少なくて、予約を受け付けたところさえも出荷できないかもしれないと書いてありました。
そうだったのか、いささか心配になりました。

杉野さんの梨は、節子が友人から教えてもらい、節子が元気だったころは毎年、シーズンには何回か買いに行っていました。
場所は、自動車で15分ほどかかりますが、杉野ファミリーはとても気持ちのいい家族なので、ある時から私も一緒に行くようになっていたのです。
ある時、杉野さんと共通の友人がいることがわかり、以来、いろんなお話もさせてもらうようになりました。
これも、節子のおかげでできた縁です。

杉野さんはこう書いていました。

立秋を境に天候が変わったようですが、ナシの収穫が思うようにできてません。 収量がでないのです。 言い訳をお許しいただければ、ご予約いただいているご注文にすべて応えられそうにありません。 晴れても雨が降っても風が吹いても百姓は愚痴ばかり言ってる。 たしか映画七人の侍のなかでこんな台詞があったような気がするのですが、まさに今年のナシは愚痴ばかり。 でも、天に唾しても返ってくるのは自分なんですが。

いかにも杉野さんらしいです。
しかし、「愚痴」ってもしかしたら、生活者が発明した最高の知恵の一つかもしれません。
最近、私も愚痴を言いたいことが多くなりました。

諦めずに、明日か明後日、また杉野ファームに行ってみようと思います。
お盆には節子に供えたいです。
それに、私も食べたいですし。

節子
もう少し待ってください。

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■住民(国民)の責任-被害者になる前に加害者になることをおそれたい

福島原発事故を体験した後も、地元の原発を再稼働させることを許した川内市の7万人の住民にはいささかの驚きを感じます。
住民としての責任を放棄したとしか思えません。
もっとも住民の過半数は、再稼働に反対だったとも聞いていますが、小さな自治体レベルでさえ、住民の意見は大切にされないことにも、大きな驚きを感じます。
国民主権や自治は、今やどこにも見当たりません。

福島原発が事故を起こした時、私は最初、立地周辺の住民には一切の同情を持てませんでした。
自分たちで受け入れておきながら、そして、その利益を享受しておきながら、事故が起きたから補償しろというのは私の信条に反するからです。
しかし、少し枠を広げれば、原発を受け入れたのは、立地自治体だけではなく、福島県、さらには日本全体ですから、私もその仲間の一人でしかありません。
私自身が、福島原発事故の被害者であると同時に、加害者でもあるわけです。
その認識がない限り、原発周辺に住む人たちのことは責められないと気づきました。

福島原発で、少なくとも日本人は、もう原発をなくす方向に行くと思っていました。
それは、「体験した者の責任」として、当然のことだからです。
しかし、そうはなりませんでした。
そして事故から5年もたたないのに、原発がまた動き出すことになったのです。
おそらく住民の多くは、不安を持っているでしょう。
周辺の住民のみならず、多くの人が再稼働反対で全国からも集まりました。
テレビなどでも、多くのキャスターが、婉曲的にではありますが、異を唱えています。
にもかかわらず、川内原発は動き出します。

私が一番気になるのは、被害者になるかもしれないということではありません。
また加害者に戻ることです。
日本における原発再稼働は、私たち日本に住むものが、世界に向けての、あるいは未来に向けての、放射線被曝の加害者になるということだろうと思います。
福島事故を体験しながら、私たちは、また原発安全神話に依存して、目先の利益だけを見た生き方に戻ってしまったのです。
それがとても残念です。

川内市の市長はもちろんですが、私は川内市の住民の責任を問いたい気がします。
彼らは、加害者になることを選んだのですから。
しかし、加害者であることを選んだのは、川内市の住民だけではありません。
私たち、私も含めて、日本に住む者みんなが、加害者(つまり犯罪者です)になる道を選んだということです。
自らの責任もまた、問わなければいけません。

これと同じことが、安保法制の動きにも感じられます。
私たちがいま、真剣に考えるべきことは、被害者の目線だけ考えるのではなく、加害者の目線も持って、考えることです。
そういう視点を持てば、日本のこの70年も、平和だったとは決して言えないのです。
いまもなお、見えない戦場が、この日本には遍在しています。

これに関しては、項を改めて、書くようにします。

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2015/08/10

■節子への挽歌2891:時間を超えて、悟りを得た気分

節子
もしかしたら、自分ではあまり気づいていなかったのですが、軽い熱中症で思考機構に損傷を受けているのかもしれません。

今日、節子の友人から久しぶりに電話をもらい、話したのですが、どうもうまく話せないのです。
節子の友人とはいえ、私もよく知っている人なのですが、どうも話すことが思いつきません。
いつもなら、必ず笑いにつながるジョークのひとつくらい言えるのですが、うまく言葉を受け答えられないのです。
自分ながらに、なにかおかしい。
もともと電話は苦手で、嫌いなのですが、どうもいつもと違います。
相手もちょっとおかしいなと思ったのか、短い電話になってしまいました。

そもそも自然現象には異常などないと思いたい私としては、認めたくないのですが、今年の暑さは異常なのかもしれません。
もっとも、暑さのせいにするよりも、自分の歳のせいにした方がいいかもしれません。
熱中症のせいにするのは、いかにも安直です。

最近、思考と発言との乖離がますます大きくなってきている気がしますが、これは何も暑さのせいではありません。
涼しいころから起こっていたことです。
要するに、脳機能の老化がかなり進んでいるのでしょう。
にもかかわらず、自分ではそれを納得していないので、意識と実態の乖離から、時に話せなくなることが起きてしまう。

ところで、思考と発言との関係はどう考えるべきでしょうか
人は「考えたこと」を「発言する」のか、「発言したこと」を後追いで考えるのか。
私は以前から「人は話しながら考えるもの」だと思っていました。
だから、思考と発言は同じものだと思っているのですが、どうも最近、そのずれが大きくなってきているので、どうやら前後関係があるのではないかと思いだしているのです。
「考えてから話す」のだから、思考が先にあるのだろうと思う人が多いかもしれませんが、私はそれには違和感があります。
考えていることと、別のことを話してしまうことが多いからです。
人は、まず話してから、それを理屈づけるために、さも前もって考えたように、取り繕うのではないか。
もしそうなら、時間とはいったい何なのかという話になっていきます。
実は今日、私が留守の時に電話をもらっていて、後でまた電話してくると娘から聞いていました。
それを聞いた時、実はうまく電話で話せないなという気がしていたのです。
そしてその通りになってしまった。
電話を受ける前に、電話がうまくできないことを、私は知っていたのです。

暑さのせいで、どうも私のまわりの時間の流れが混乱しているようです。
いや、脳の老化で私の時間の流れが無秩序化してしまったのかもしれません。
いやいや、そもそも時間はヘリウムの流れのように、方向などなく、ただただ多重に存在しているだけなのかもしれません。

だんだんわけがわからないことになっていますね。
実は私には書いているうちに大きな「気づき」があったのですが、もしかしたら、それは脳の損傷か、あるいは、暑さのために脳が溶融してしまったためかもしれません。
最近、なんだか此岸から彼岸に飛んで行けそうな気がしてきていますが、単に暑さに脳がやられてしまっているだけなのでしょうか。
なにかちょっと悟りを得た気分もしているのですが。

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■節子への挽歌2890:伴侶と社会性

久しぶりに夜に雨が降りました。
今日は畑に行かなくてもよさそうです。
しかし湿度が高く、さわやかな朝とは言い難いです。

知人が、一昨日から川内原発再稼働反対のデモに行っています。
今朝の新聞に報道が出ていましたが、今日までの3日連続デモです。
私自身がいま一番気になっているのは、原発です。
私が、なにもせずに、のうのうとエアコン生活ができないと思っている一因もそこにあります。
それでも新聞が報道してくれていたので、少しホッとしました。
知人は、もう60代を超えた人ですが、国会デモにも出かけ、福島に行き、行動しています。
それに引き換え、私は、どうも動けずにいます。

数日前に、節子もよく知っている田中弥生さんが、フェイスブックで「ヒトラーを支持したドイツ国民」という本を読んだと書き込んでいました。
たしか10年近く前に、日本でも翻訳出版された本ですが、私も前に読んで、日本の社会状況や国民の動きと酷似しているのを感じて、不気味に思ったのを思い出しました。
しかし、残念ながら、時代の動きは速いので、ニーメラーと同じ後悔を私たちはしなければいけないのかもしれません。
いろいろと希望を期待させられることにも出会うことはあるのですが、大きな流れはもう止められないのかもしれないと、空しくなることが増えています。
どうもそれが、私が最近、元気が出てこない大きな理由かもしれません。
気分転換できることにさえ、気が向きません。
節子がいたら、私も人生の第4期に入り、社会から抜け出た暮らしに入れていたのになと思うこともないわけではありません。

時代に暗雲が立ち込めている。
であればこそ、課題は山のようにある。
しかし、伴侶を喪うと、社会性も失ってしまうものかもしれません。

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2015/08/09

■節子への挽歌2889:27リットルの荷物

節子
まもなくサンチャゴ巡礼に旅立つ鈴木さんから、メールが来ました。

パッキングを準備中です。 モノの山を見るとすべてが27リットルにおさまるとはとても思えません…。 これから本当に必要なものだけに削っていくのが修行ですね。

8月中旬から、2か月半の予定で、フランスからスペインのサンチャゴ巡礼に出かけるのです。
すべての所持品を27リットルのパックに詰めていくそうです。
そこで、何を選ぶかが大切になってきます。
パソコン類を持参するかどうかも検討していましたが、かなり早い時期に持参は止めたそうです。
ですから巡礼中は、連絡はほとんどつきません。
最近は、巡礼路にもネットカフェもあるそうですが、結構、場所の確保が大変だそうです。
鈴木さんは、もともとライターの仕事をされていましたので、本当はしっかりと巡礼記を残してほしいのですが、記録のためのノートも、大きさと重さを考慮して厳選したようです。
鈴木さんの紀行文は、とても面白いので、ぜひとも読みたい気がしますが、書くために歩くのではないので、本にしてくれるかどうかはわかりません。

本当に必要なものを選ぶ。
鈴木さんは、以前からかなり身の回りの所持品を減らす生き方をしています。
独身ですので、比較的自由とはいえ、実家には母親もいます。
完全に独り身とはいえません。
勤務先は先月、退社したのですが、その面は心配ありません。
しかし、2か月半の人生を支えるために「必要なもの」を選ぶということは、自分の生き方を捉え直すということでしょう。
鈴木さんは、何を選ぶかをきっと楽しんでいるはずです。

しかし、すべてを置いて、2か月半、歩き続ける、
うらやましい贅沢です。
大きく変化して戻ってくるでしょうか。
いや、たぶん、ますます「鈴木さんらしく」なって戻ってくるでしょう。
2か月半で、きっと「本当に必要なもの」でないものに気づき、それを棄てて、ますます純な鈴木さんになってくるはずです。

巡礼路を歩くと人は、「本当に必要なもの」に気づいて、身軽になる。
俗世間を俗に歩いている人は、「必要でないもの」をたくさん背負い込んで、生きにくくなる。
最近、巡礼者が増えているそうですが、みんなきっと背負い込みすぎてしまったのでしょう。

27リットルの荷物。
私なら、何を選ぶでしょうか。

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■節子への挽歌2888:長崎にももう一度行かないといけません

節子
今日は、長崎に原爆が投下された日です。
テレビで平和式典の様子を見ていましたが、複雑な思いで見ていました。
どうしてそこに、安倍首相がいるのかが全く理解できないのです。
まあ、そういう理解できないことが、最近は増えてきています。

長崎といえば、一度、節子と2人で行ったことがあります。
長崎と佐世保を回ったような気がしますが、例によって、正確な記憶がありません。
ただ覚えているのは、節子と私が長崎に行くと知った、長崎の友人たちが、私たちをしっぽく料理に誘ってくれたのです。
これまたよく覚えていないのですが、見晴らしのいい山腹の料理旅館に招待してくれ、数名の人たちで宴会をしてくれたような気もします。
節子はとても喜んでいました。
当時、長崎県や佐世保市などで、私は仕事をしていた関係で、友人たちは多かったのです。
佐世保はハウステンボスに泊まったのですが、その時ももしかしたら誰かが便宜を図ってくれたのかもしれません。
節子がいたら、覚えてくるでしょうが、私はそういうことは一切記憶に残りません。
費用さえだれが負担したかも覚えていないのです。
困ったものです。

少なくとも、その時、ご一緒した人の何人かは覚えています。
もちろん今もお付き合いがありますが、長崎にも佐世保にも久しくいっていません。
時間的・経済的に、もう少し余裕があれば、一度、長崎もゆっくりと回ってきたいのですが、いまはまだ、その気になれずにいます。
いや、余裕の問題というよりも、一人での旅の自信がないのかもしれません。

でもそろそろ行っておかないと、行けなくなるかもしれません。
日本中に、会いたい人がたくさんいます。
いまならまだ行けそうです。
しかし、どうも先延ばしにしてしまう傾向があります。
こうやって、人は、たくさんの「やり残し」を残して、旅立つのでしょうね。

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■節子への挽歌2887:学びの場

節子
涼しくなりました。
今日は畑にも行けそうです。
秋に向けて花を植える場所をつくらなければいけません。
例年であれば、ブルーのセイジが咲き誇っているはずですが、今年はいささか刈り取りすぎたようで、ぱらぱらとしか咲いていません。
草刈りは結構難しいのです。

今年の猛暑で、庭の花木もだいぶ弱ってしまいました。
琉球朝顔に並んで、皇帝ダリアも春に植えたのですが。どうも元気がありません。
朝晩の水やりはかなり習慣化しましたが、それでも抜けがあって、枯らしてしまうのです。
しかし、どんなに水やりをさぼっても、野草だけは枯れません。それが実に不思議です。
これをテーマにするだけでも、生命の本質が見えてくるかもしれません。
言語化はできませんが、ささやかな体験だけでも気づくことは多いです。
お百姓や主婦が、哲学者になる理由がよくわかります。

節子は、毎日、花と接する時間を持っていましたが、私はまだそこまでにはなれません。
大切なのは、水やりではなく、花木への声かけなのだとわかっていても、なかなかそうはなりません。
いまから考えれば、むかし私がやっていたのは、表面をただ濡らすだけの水やりでした。
その花木の状況に合わせて、時間をかけないといけないということに気づいたのは、最近です。
つまり、花木に水をやるということは、花木と話し合うということなのです。
こうしたことを通して、人はさまざまなことを学んでいくのでしょうが、そういう学びの場がどんどんなくなっているような気がします。
少なくとも私は、そうしたことの多くを、つまり生きるための多くを、節子に依存していたために、私の学びの場はいかにも狭かったことを実感しています。

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2015/08/08

■節子への挽歌2886:「パリは燃えているか?」をまた観ました

節子
古い映画を観てしまいました。
「パリは燃えているか?」です。
あまり記憶が定かではないのですが、当時、勤務していた会社での映画会で、この映画が上映されました。
なんでこの映画が上映されたのか、不思議ですが、それはともかく、私も節子も、別々にですが、この映画を観ました。
節子は友人たちと一緒に見たようですが、まったく面白くなく、内容もよくわからなかったようで、不評でした。
その話が出たのは、たぶん結婚してからです。

今日、見直してみて、確かに面白くないし、よくわからなかっただろうなと思いました。
節子は歴史には疎かったですし、その背景に関する知識はほぼ皆無だったでしょう。
私もこの映画は、おもしろくなかったのですが、それでもちょっとワクワクする映画でもあるのです。
それは、私の世代にとっては有名な俳優が、ほんのちょっとだけ顔を出すというところです。
今回も物語の内容ではなくそれを楽しみました。

カーク・ダグラスが、バットン将軍役で出てくるのですが、バットンのことを知らないだろう節子にとっては、退屈なシーンだったでしょう。
しかし、私にはその何でもないシーンが、感動的にさえ思えるのです。
アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドが、あんまり目を合わせないで話しているシーンも面白かったです。
まあ、私のうがちすぎかもしれませんが。

節子は、「人が殺し合う場面」が嫌いでしたから、戦争映画は見ませんでした。
にもかかわらず、この映画のことは何回か話題になりました。
まあ、そういうこともあって、私は今日、この映画をまた観てしまったのですが。
どこかに話題になりそうなところがあるかなと思っていましたが、そういう場面はありませんでした。
なぜ夫婦の会話に、この映画が一度ならず出てきたのか、不思議です。

この映画は面白くないと思っているのに、なぜかこの映画をテレビで放映していると録画してしまいます。
やはり、節子との記憶の中で残っている、数少ない映画だからでしょうか。
節子は、そもそも映画はあまり好きではありませんでしたから。

パリには、私も節子も、行ったことがありますが、別々でした。
節子は友人たちとのちょっと贅沢な旅行でしたが、私は仕事で、それも宿泊するホテルがよくわからずに一人で捜し歩いたりして、あまり良い印象は残っていません。

今日は立秋。
暑さがだいぶやわらぎました。
畑にも行けそうです。

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■節子への挽歌2885:今年も黒崎茶豆が届きました

節子
新潟の金田さんから、黒崎の茶豆が届きました。
枝豆が好きだった節子に供えさせてもらいました。

金田さんは一昨日、電話をくれました。
元気そうな声でした。
入院していた奥さんが退院してきたのです。
問題はまだまだ山積みなのでしょうが、やはり金田さんの声が変わっていました。
もっとも金田さんによると、私の声も、久しぶりに元気そうだったようです。
たしかに、少しずつ、私も落ち着きを取り戻しています。

今年の新潟は雨が少なく、枝豆の出来もあまり良くないのだそうです。
それで金田さんがわざわざ生産者のところまで行って、送ってくれたようです。
ご自身が大変な状況なのに、そんな心遣いをしてくれたことに申し訳なさが高まります。
私も、お相伴させてもらいました。
金田さんは茶豆の出来具合を心配していましたが、確かに小粒とはいえ、いつも以上に香りがよく、おいしかったです。

節子がいたころは、わが家の畑にも枝豆とかピーナツとか、いろんなものを植えていました。
収穫もありました。
ちなみにその時、収穫したピーナツがいまも残っています。
なぜか誰も食べようとしないまま、残ってしまっているのです。
来年、それを蒔いてみようかと思います。
芽が出てくるとは思いにくいのですが、まあ試しです。
枝豆にも挑戦してみようと思います。

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■節子への挽歌2884:昨日はちび太の命日でした

節子
昨日は湯島で2つのミーティングをやったりして、ちょっと疲れてしまい、帰宅後、パソコンに向かう気をなくしていました。
それで書き損なったのですが、昨日はちび太君の命日でした。
今年は3回忌です。
ちび太も長い闘病生活でしたが、医師も驚くほどの長寿でした。

ちび太は生後間もなく大病を患ったようです。
わが家に来たのは、その後なのですが、その後遺症が出て、大変でした。
いろいろとありましたが、長いこと私たちを和ませてくれました。
念のために言えば、ちび太は犬です。
節子はもういなかったので、家族3人で葬儀を行いました。
最後の2年ほどは、寝たきりでしたので、その介護も大変でした。
夜中に吠えだすこともあって、眠れない時もありました。
でもそうした大変さも、いなくなると、むしろ楽しい思い出になります。

しかし、なぜか節子の闘病生活は、いくら時間が過ぎても、楽しい思い出にはなりません。
どこが違うのでしょうか。
節子の8月の闘病生活は、思い出しただけで、いまでも精神的に不安になるほどです。

節子の命日も近づきました。
それまでに挽歌のナンバーを追いついておかねばいけません。
そのために、最近は時評編はなかなか書けません。
困ったものです。

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2015/08/07

■主語はなんなのか

このブログでは以前も書きましたが、メッセージを目的にした話や文章で一番大切なのは主語だと思います。
主語が曖昧なために、まったく正反対に受け取られることがあります。
なにを主語にするかで、その人の世界観や社会認識の構造がわかります。
それを踏まえないと、論者のメッセージは正確には理解できません。
今朝の朝日新聞に、佐伯啓思さんが、「押し付けられた米国的歴史観 ポツダム宣言の呪縛」という論考を寄稿しています。
それを見て、主語の大切さを改めて思いました。
主語を曖昧にして語るのを得意にしている人が多いですが、主語をどうとらえるかで論考の方向性は決まってきます。
主語のない論考は、私には意味がありません。

ポツダム宣言が要求していたのは、「軍隊の無条件降伏」であって「日本の無条件降伏」ではない、と佐伯さんは書いています。
このことは、最近いろんな人がなぜか改めて言い出していることです。
ここにも、軍隊と政府と国民とをどう捉えるかとことを考える「主語の問題」がありますが、それはそれとして、佐伯さんはこう話をまとめます。

ポツダム宣言に示されたアメリカ的歴史観にまで「無条件降伏」する必要はない。にもかかわらず、戦後日本は、この歴史観を受け入れ、戦前の日本を道義的に誤ったファシズム国家と見なしたのである。そうだとすれば、われわれは、今日のイラク戦争にも、対テロ戦争にも反対する根拠はなくなる。「自由と民主主義」を守るために、アメリカと協調するほかない。それがいやなら、もう一度、ポツダム宣言を読み直し、あの「戦後のはじまり」に何があったのか、を再考するほかあるまい。さもなければ、70年たって、「右」も「左」もいまだにポツダム宣言に呪縛されたまま、ということになるであろう。

この文章の主語がなかなかわかりません。
実際には、「戦後日本は」と「われわれは」という2つが出てきますが、それが何を意味するかはあいまいです。
そもそも、タイトルの「押し付けられた米国的歴史観」ですが、誰が誰に押し付けたのかが曖昧です。
もちろん、アメリカ政府が日本政府に押し付けたということでしょうが、多くの人は、アメリカの人たちが日本の人たちに押し付けたと考えるかもしれません。
佐伯さんによれば、戦前の日本は「道義的に誤ったファシズム国家」ではないようですが、当時日本国内で書かれたものなどを読むと、当時の国民の中には、そう思っていた人も少なくなかったような気がします。
さらに、こうも考えられます。
敗戦と占領によって、「米国的歴史観」が「日本政府によって押し付けられた歴史観」の呪縛から、日本国民を解放してくれた、と。
つまり、結局は「押し付けられた米国的歴史観」と「押し付けられた日本的歴史観」との話でしかありません。
事の本質は、そんなところにあるわけではない。
よく「押し付け憲法」と言われますが、誰が誰に押し付けたのかをきちんと吟味しなければいけません。
これは、世界の構造をどうとらえるかということにつながってきますが、その出発点は主語を明確にすることです。
佐伯さんの文章の「戦後日本は」は「戦後日本政府は」と書くべきです。
ちょっとした違いに見えますが、ここに問題の本質があるように思います。
ちなみに、もう一つの主語の「われわれは」は主語としては不要です。
それにそもそも論旨がめちゃくちゃですが。

ところで問題を一つ。
安保法制の議論で「自衛権」という言葉が盛んに使われます。
その場合、「自衛権」の主語は当然、「自」だと思いますが、その「自」とは一体、誰のことなのでしょうか。
国家の自衛権とは、一体何なのでしょうか。

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2015/08/06

■節子への挽歌2883:季節外れのさつまいも

節子
今日、畑にさつまいもを植えてきました。
完全に季節はずれです。

昨日、湯島の集まりに節子もよく知っている渕野さんが、焼き芋を持ってきてくれました。
本郷3丁目のマルエツで売っている人気の焼き芋だそうです。
なんで夏に焼き芋?というのがみんなの反応でしたが、夏でもよく売れる美味しい焼き芋なのだそうです。
でも正直、渕野さんの好意には感謝しますが、今回に限って言えば、あんまり美味しくありませんでした。
渕野さん、すみません。

ところで、それで思い出したことがあります。
毎年、福岡の蔵田さんが、小国のさつまいもを送ってきてくれます。
電子レンジで、簡単に焼き芋になるというものです。
毎年贈ってもらうのですが、わが家では実はあまり人気がありません。
それでまあ、周りの人へと行くわけですが、差し上げた人はとても喜んでくれます。
でもわが家では必ず毎年、一つ残ってしまい、気がつくと芽が出たりしているのです。
わが家は、みんな焼き芋が好きではないのかもしれません。

今年もまさに、そういうのが一つ残っていました。
どうしようか迷っていたのですが、いっそのこと、畑に植えてしまおうと思い、2週間ほど前から庭に出しっぱなしにして、芽の生育を促していたのです。
今日はそれを持ち出して、畑に植えてきました。
そもそも本来の植え時からは3か月近く遅れています。
さてどうなるでしょうか。
意外とおいしい芋が育つかもしれません。
節子がいたら、植えさせてもらえなかったと思いますが。

ちなみに、ジャガイモは今年はかなりとれました。
放射性汚染が気にならないこともなかったのですが、まあいいかと思い食べてしまいました。
しかしお裾分けするわけにもいかず、いまなお残っています。
これもまた来年の作付け用になるかもしれません。

畑には、できるだけ水やりに行っていますが、1日でもさぼると確実に影響が出ます。
野菜はまあいいとして、花が枯れてしまうのです。
農業をやっていると、人は必ず勤勉になるものです。

それにしても、野草は駆っても刈っても出てくるのに、植えた花はなぜこんなに弱いのでしょうか。
それが不思議でなりません。

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■節子への挽歌2882:未だ打たざる太鼓の音の美しさ

未だ打たざる太鼓の音の美しさ。
これはインドの詩人、カビールの詩に出てくる言葉だそうです。
柳宗悦の「美の法門」に紹介されています。
原典を探したくて、ネットで少し探しましたが、いつものようにやはり見つかりません。
でもまあ、原典に当たることもないでしょう。
この言葉の素晴らしさは、この一言で十分です。

私も、こうした経験はこれまで何回かしています。
太鼓ではなく、鐘のことが多いのですが。
見ただけで、美しい音が聞こえてくる。
それがあまりに美しい時には、打ってほしくないこともあります。
打たれた途端に、その美しさが消えてしまうこともあるからです。
音は聞かずに、観るのがいい。
観音像が好きな私は、いつも観音像からも音が聞こえてくるのです。

ところで、カビールのこの言葉で思い出したのは、昔、節子と行った常宮神社で見た新羅の鐘です。
常宮神社は、敦賀半島にある小さな神社です。
昔は気比神社の奥社だったそうですが、いまはほとんど訪ねる人もいないような場所にあります。
しかし、その鐘は日本で一番古い新羅の鐘で、国宝だったと思います。
神社の神職の方が、撞いてくれました。
とてもいい音色だったのを覚えています。

たしか2004年の秋でした。
節子はすでに発病していましたが、手術後、少し体調が回復しだし、滋賀の生家の法事に行った時に、姉夫婦が連れて行ってくれたのです。
あの鐘は、見た途端に音色が伝わってきました。
そして神職の方が撞いてくれた時には、その音色がそのまま伝わってきたのです。
あの頃は、まだ、私たちは節子が回復すると固く信じていました。
だから音色も美しかったのかもしれません。
音色は、心で受けるものですから。
たぶん私たちは、同じ音色を聞いたはずです。

常宮神社にはもう行くこともないでしょう。
たしかきれいな海も見えたような気がしますが、思い出す風景は現実のものでしょうか。
新羅の鐘の音も、もしかしたら、もう聞こえないかもしれません。

音が観える。
風景が聞こえる。
その時は、心身が生き生きしているのでしょう。
そうでない時には、音も観えなければ、風景の音もない。

時々、彼岸が観えたり聞こえたりします。
これも一種の脳の成長なのかもしれません。
こうしたことを、脳の老化とか認知症とかいう人がいますが、私はすべてを肯定的に受け止めてます。

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■節子への挽歌2881:「むき出しの自分」の危うさ

節子
昨日は若者たちを主役にした集まりをやりましたが、新たにまた2人の若者が参加してきました。
結構、打たれ強い若者で、芯もありそうです。
そういう若者を見ていると、元気が出てきます。

若者はなぜ元気なのか。
たぶん前が見えないからでしょう。
未来を自分でつくれるのです。
私の世代でも、そう思って元気な活動をしている人もいます。
逆に、前が見えればこそ、元気に活動している人もいる。

しかし、こういう話し合いの場をいろいろと試みていると、いろんな気付きがあります。
と同時に、私自身がいかに社会から脱落しているかもよくわかります。
27年前、会社を辞める時に、社会から「離脱」し、社会に「融合」しようと考えていました。
どうもそれはうまくいかず、ただ「脱落」してしまっただけかもしれません。
今ごろになって、私はやはりどこかおかしいのではないかという自覚が高まっています。
それにいささかすねている面もあります。
これは直したいのですが、なかなか直せません。

それでも湯島でサロンをやると、いろんな人が参加してくれています。
感謝しなければいけません。
会社を辞めた時に、いつか小さな喫茶店を開店して、毎日サロンをする生活を実現したいと思っていましたが、それは実現できませんでした。
できれば、それが自然の中の喫茶店だと理想的でしたが、そうした計画を話し合う前に、節子はいなくなったのです。
節子がいなくなってから、それまでオープンサロンに参加してくれていた人たちから、サロン再開の要請を受けていましたが、なぜか節子がいなくなってからのサロンの風景は変わってしまいました。
集まる人もほとんど変わりました。
サロンをしてほしいと言っていたのに、一度も来ない人もいます。
言葉で語る人への信頼感は、大きく損なわれました。
しかし、もしかしたら、再開したサロンのイメージが変わって、来たくなくなったのかもしれません。
それなら仕方がありません。

誰もが気楽にいられて、ほっとできる空間。
それが以前の方針でした。
しかし最近は、どうもポレミックな、つまり論争的な場になってきています。
本当はもっとまったりしたサロンが居心地がいいのでしょうが、そうした場を持続させるのは、結構難しいのです。
どうも独りになってから、私はいささか余裕がなくなっているのかもしれません。
節子の存在が、私の偏った生き方のバランスをわずかばかりとってくれていて、しかしその一方で、私の人間的可笑しさをカバーしてくれていたのかもしれません。
伴侶がいなくなると、人は「むき出しの自分」に戻ってしまうのかもしれません。
困ったものです。

今日も暑くなりそうです。

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2015/08/05

■節子への挽歌2880:湯島は豊かな場所です

節子
今日は午後から湯島で2つの集まりがあります。
この暑い中を、お一人は葉山からわざわざ休暇を取ってきてくれます。
若い人たちの支援活動なのですが、前回たまたま巻き込んでしまったら、勤務を休んでまで来てくれるというので、せっかくなのでお昼をご馳走しようと思って、早く出てきました。
しかし、残念ながら午前中はいろいろとあったようで、食事には間に合わないと連絡が来ました。
それで、時間ができてしまいました。
外の暑さを考えると、一人では食事に行こうという気にもなりません。
手元にあった、非常食用のリッツとコーヒーで我慢することにしました。
そんな、ちょっとさびしい、しかし私好みの軽食をしながら、ふと考えました。

この湯島のオフィスには、これまで実にさまざまな人がやってきました。
音信不通になってしまった人もいますし、声をかけるのがはばかられるほど有名になった人もいます。
犯罪で逮捕された人もいますし、自殺した人もいます。
足しげく通っていたのに、なぜか突然来なくなった人もいます。
財を成した人もいますし、自己破産した人もいます。
あの人はどうしたかなと時々思い出す人もいますし、全く思い出さない人もいます。
まあ世間には実にいろんな人がいる。
湯島を拠点にして27年生きてきたおかげで、それがよくわかります。
人の世は本当に豊かなのです。

しかし、そうした違いは、ほんのちょっとした違いであって、本人の才能や人格とはほとんど無縁なのではないかと、最近、ますます確信してきています。
とりわけ、世間的に有名になるとか財を成すとかいうことは、ほんのちょっとしたきっかけにどう対応したかどうかだけの話かもしれません。
しかし、不思議なもので、あるきっかけである方向に進みだすと、多くの場合、それは加速されがちです。
才能や才覚が感じられなかった人もそれが育つような気もしますし、人格も変わるような気もします。
最初は本当に小さな違いなのです。
だからこういう生き方をしていると、みんな同じように見えてしまうようになったのかもしれません。

有名になろうと無名であろうと、豊かであろうと貧しかろうと、どんな人でも、同じ一人の人間として、気楽に集まれるような、気楽に交われるような、そんな場に湯島がなればいいなと思っていますが、時間を逆転させれば、実は湯島はそういう場所だったのだと気づきました。
できれば、そこに、死んだ人も集まれるともっといいのですが。

そろそろ集まりに参加する人がやってきました。
暑い中を、この人も仕事を休んできてくれました。
みんなに感謝しなければいけません。
ちなみに私も、その一人でもあるのですが。

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■世界への挽歌2879:不二の世界の浄土

節子
今日は暑いですが、我孫子は風があります。
夏の風は、とても心地よい。

いま柳宗悦の晩年の4部作と言われるものを、ゆっくりと読んでいます。
ゆっくりという意味は、思いついた時に、数ページを読むという読み方です。
最初に読んだ「無有好醜の願」は面白かったので一気に読んでしまいましたが、何か未消化だったので、先日からまた読み直しました。
その時、これはゆっくり読まないといけないと思ったのです。
ですから、リビングのテーブルに本を置いておき、ちょっとした合間に数ページを読むスタイルにしました。
こんな読み方はめったにありませんが、時々、やっています。
私の場合、この方法だと必ず途中で挫折しますが、今回はいずれも短い作品なので読み切れるでしょう。

晴耕雨読ではなく、最近は涼耕暑読です。
猛暑日が続いているので、読書も増えています。
今日は、これから湯島に出かけますが、今読んでいた「美の浄土」にこんな記述がありました。

実は興味深いことに、仏教で浄土が語られましてから二千年余りにもなるでありましょうが、浄土の存在の有無はしかく問題になった事がないのであります。

仏教を支える思想は、インドに生まれたと思いますが、そこでの時間感覚や空間感覚は想像の域を超えています。
ゼロも無限大も、その概念はインドから生まれたと言われますが、「浄土」思想もそうだったのでしょうか。
今まで、浄土ということをあまり考えたことがありません。
この挽歌では、彼岸という言葉はよく使いますが(私にとっては今や日常語です)、彼岸は必ずしも浄土とは限りません。
私はなぜか無意識のうちに同じものと捉えてきた気がしますが、やはり別のものです。

柳宗悦は、浄土は「不二の世界」と書いています。
その考えを突き詰めてくと、いまここが浄土にもなるような気がします。
まあどうでもいいようなことですが、そうした問題に柳宗悦の本は気づかせてくれます。

いまはエアコンのない仕事場でこれを書いていますが、暑いですが、外から快適な風が入ってきます。
まるで、浄土にいるような気がします。

さてこれから支度をして湯島です。
都心は暑いでしょうね。
しかし、暑さも涼しさも、不二なるものとして、いずれも楽しみたいものです。
まあ今はそんな気分ではあるのですが、すぐへこたれるでしょう。

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■節子への挽歌2878:太陽とともに、家族とともに

節子
夏らしい朝です。
いまはまださわやかですが、今日も猛暑日になるようです。
畑に水をやりに行ってきました。
今日は湯島に行くので、夕方の水やりもできないからです。
斜面に植えた、花が枯れないようにしないといけません。

朝からテレビでいろんな事件が報道されていますが、わが家の場合、妻が少しだけ早く亡くなっただけで、家族がこんなに変わってしまうことを思うと、事件で家族の誰かが亡くなってしまった家族は、一体どうなるのだろうと考えてしまいます。
家族の結びつきが強いと、たぶん家族一人ひとりの生き方も大きく変わることでしょう。
地域住民の生活の繋がりが弱くなったなかでの家族のあり方は、考え直してみる必要がありそうです。
地域社会と家族とは、不可分ですから。
そうした意識は、私と節子はほぼ同じところに向かっていました。
しかし残念ながら、転居した後、中途半端なまま頓挫してしまいました。

今朝の畑行きはいつもより早かったので、まだどこも動き出してはいませんでした。
太陽とともに起きだし、太陽とともに床に就く。
やはりそういう暮らしを、人生の最後にはしたかったなと思いました。
いまからでもできないわけではありませんが、まあ無理でしょう。
私の場合は、そこにやはり、「節子とともに」がどうしても必要なのです。
最初から「自立した生き方」を、私は求めていなかったからですが、これだけはいまさらどうにもなりません。

でもまあ、明日からまた、早寝早起きを目指そうと思います。
最近、生活がかなり乱れていますので。

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2015/08/04

■節子への挽歌2877:「不垢不浄」「不暑不涼」

節子
節子も、最後の夏は猛暑を体験しましたが、今年の夏の暑さはあの時以上です。
さすがに心身にも影響が出てきそうです。
昔は「夏は暑いところに価値がある」などと言っていましたが、そんなことはもう言えそうもありません。

柳宗悦の「無有好醜の願」を読みました。
浄土には二元はない、と書かれていました。
浄土は「不二」「一如」の世界なのです。
つまり美も醜もない。
般若心経の「不垢不浄」の世界です。
つまり、垢(醜)もないが、浄(美)もないのです。
垢(醜)がないから、浄(美)なのではないのです。
なるほど、とても納得できます。
最近は、こうしたことがすんなりと心に入ってきます。

しかし、まだ悟れてはいないのです。
そうであれば、なぜ「浄土」などというのだという疑問が浮かんできてしまうのです。
垢からも浄からも自由になることが、本来の浄(畢竟浄)なのだという答えはわかってはいるのですが、やはりまだそこに引っかかってしまうのです。
まだまだ悟れません。
ちなみに。悟るとは「差をとる」ことだそうです。
二元の世界から不二の世界に移るということでしょう。
あるいは、時空間を超えるということです。

猛暑の中を、いろんな過ごし方をしてみました。
先日は37℃の庭で、読書をしました。
1日はエアコンの下で怠惰に過ごしました。
まだ暑い最中、畑に行って倒れそうになりました。
それぞれ一長一短です。
暑いとか涼しいとかから自由になれば、どんなにいいことでしょう。

猛暑なので、熱中症に気をつけましょうとテレビが盛んに言っています。
どうもこうした風潮が気に食わないのです。
暑い夏は、暑さに汗をかきながら過ごしたいものです。

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■節子への挽歌2876:死に誠実に向かえあえ

節子
前野隆司さんが書いた『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』は面白い本でした。
この本に出会ったのは、友人の岡田さんが私に薦めてきた前野さんの別の本を読んだのがきっかけでした。それがなければ、この本を手に取ることはなかったでしょう。
私は、「死ぬのが怖い」という文字に全く反応しなかったはずです。

その本の最後の方に、いわばこの本の総括としてこんな文章があります。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。
私の一言感想もはさみながら。

あなたにとって大切な人の死は、人生最大のショックだ。 もはや一生、この悲しみを乗り越えられないだろうと感じる。 しかし、人間にはコーピング(うまく対処し乗り越える、という意味の認知心理学用語)能力がある。 大切な人を愛していればいるほど、その人の死を早く乗り越えられるという説もある。

まあ、そうかもしれないな。

自分の死は、自分にとっては最大の問題だが、実は、最愛の人だって、何年かすると、あなたの死を乗り越えるのだ。あなたについての記憶は、大切にはされるだろうが、風化していく。そして、ほんの60年後くらいだろうか。あなたのことを知る人がいなくなると、もう誰もあなたのことを思い出さなくなる。

たしかにそうだ。

はかない人生だ。あなたは生きて、そして、忘れ去られる。あなたの最愛の人は、あなたとともに生きて、そして、忘れ去られる。(中略)すべてが無に帰す。愛する人とのすばらしい思い出も、あなたが今ここに生きた証も。

それはそうだ。
実にはかない。いや、さびしい。

しかし、それに続いて、前野さんはこういうのです。

それは本当に、寂しいことだろうか。 悲しいことだろうか。 はかないことだろうか。 死とは、本当に、寂しく悲しくはかないことなのだろうか。 人間は、その問いに一度まっすぐ立ち向かうべきなのではないだろうか。 死の意味をはっきりと自覚することによって、生き方が変わるからだ。 なぜなら、死とは、「先のことを考えて生きなさい」の究極だから。

もっと早くこの本に出会えていればよかったと思いました。
どの部分で、そう思ったのかと訊かれてもうまく答えられませんが、そう思いました。
それに、この人は自分軸で語っているのが、とてもいい。
輪廻転生を信じていないのが、気に入りませんが、まあこの人は科学者らしいので仕方がない。

死が生きる最終地点というもよくない。
死(自分の死とは限りません)から始まる物語もあるのです。
それを考え出している時期に、この本に出会えたのも偶然とは思えません。

ちなみに私がこの本で一番気に入ったのは、生きることと死刑宣告を受けた死刑囚とどこが違うのかという問いかけです。
たしかに、生きる先には死があります。
これは一例ですが、本書はいろんな問いかけをしてくる、楽しい本です。

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2015/08/03

■節子への挽歌2875:久しぶりのお墓見舞い

節子
久しぶりにお墓に「お見舞い」に行きました。
私も、内村鑑三にならって、これからは「お墓参り」ではなく、「お墓見舞い」と言うことにしました


夏は暑いので、お墓に供花してもすぐにダメになります。
それでこの時期はいつも造花にしていますが、今年はユリをベースにしてセットしました。
そういえば、自宅の位牌の前にも、いまユリがにぎやかです。
娘たちが、それぞれに買ってきて供えてくれたからです。
たぶん予算の関係で、カサブランカではありませんが、大きなオリエンタルリリーです。
下の畑も花がにぎやかになってきていますので、それも活けたいのですが、いまは活ける場所がないほどです。

最近の猛暑は、気をつけないと花もダメになります。
朝夕、自宅に居る時には時間をかけてたっぷりと水をやります。
だいぶ水やりのコツがわかってきました。

今日は我孫子駅にも行ったのですが、駅前花壇に花かご会の人が水やりをしていました。
この時期は作業日以外も当番で水やりをしているのでしょう。
私も昔、節子に頼まれて、水をやりに来たことが一度だけあります。
それを思い出しました。
今日は自動車だったので声を掛けられませんでしたが、暑い日の水やりは結構大変なのです。
見えないところで、まちを支えている人がたくさんいるのです。

まちだけではありません。
人も同じです。
節子がもしずっと元気だったら、そういうことへの私の感度は高まらなかったと思います。
どれだけ私は節子に支えられていたのか。
節子がいなくなってよくわかりました。
そして、すべての人への感謝の気持ちも高まりました。
人の不在が教えを与えてくれる。
これも節子から学んだことです。

暑かった1日も、夕方には涼しくなりました。

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■第4回戦争反対カフェ「〈憲法違反罪〉を考える」のお誘い

4月に始めた戦争反対カフェももう4回目です。
その間、番外編として「自民党憲法改正案を読む会」も開催しました。
8月は、若者中心の平和サロンを予定していましたが、最近の政治状況も踏まえて、このカフェサロンの最初に問題提起していただいた武田文彦さん〈究極的民主主義研究所所長〉が主張している、いささか刺激的な「憲法違反罪」をテーマに話し合いを行うことにいたしました。
日程も、あえて8月15日(土曜日)に設定しました。

武田さんが雑誌「ベルダ」に寄稿した、いささか刺激的な論文は、下記のところにあります。
ご関心のある方はお読みください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/TAKEDA125.pdf

暑いさなかですが、ぜひ多くのみなさんのご参加をお待ちします。
テーマは難しそうですが、いろんな立場の人たちが、気楽に意見を出し合えるスタイルのサロンです。
コーヒーを飲みながら雑談する気分で、参加していただけると嬉しいです。

○日時:2015年8月15日(土曜日)午後1時半~3時半
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○会費:500円
○テーマ:憲法違反罪を考える
○問題提起者:武田文彦さん(究極的民主主義研究所所長)
○参加申込み先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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■「里山と土地所有を考える」カフェサロンのお誘い

熊本で、農業と福祉の問題に早くから取り組んでいた、明篤館の宮田さんを囲んでのカフェサロンを久しぶりに開催します。
宮田さんには、毎年、1回ほど、お話をしてもらう機会があったのですが、昨年はお忙しくて実現しませんでした。
今回、久しぶりに来ていただけることになったので、少し欲張って、いろんなサロンのジョイントの形をとらせてもらいました。
テーマは、「里山と土地所有を考える」です。
具体的には次のような内容のお話をしてもらいます。
・里山問題とは何か?
・里山資本主義は本当にできるのか?
・魚附林と上流下流の連携
・保安林日照問題と広島山津波災害を教訓に
・里山と入会地問題
・障害者の農業活動についての直近の動き
話題が多岐にわたりすぎて、いささか心配ですが、お話をいただいた後、参加者の関心事に合わせて絞り込む予定です。
みなさまのご参加をお待ちしています。

○日時:2015年8月21日(金曜日)午後6時半~9時
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○テーマ:「里山と土地所有を考える」
○話題提起者:宮田喜代志さん(熊本明篤館館長)
○会費:500円
○参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤修)

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■節子への挽歌2874:節子との出会いは私をどう変えたのか

節子
先日、学生たちから私の生き方に関するインタビューを受けましたが、そのテープ起こしの原稿が送られてきました。
インタビュアーは中国からの留学生の欧阳さんで、テープ起こしも彼女です。
ですからちょっと文章になっていないところも多く、校正と言っても結構大変です。
しかも、文字数にして2万字を超えています。
それに私の話は、ほとんど文章になっていないのです。
そのため、校正に2日もかかってしまいました。
ほとんどすべてリライトした感じです。

それにしても、テープ起こししたものを読むと、自分がいかにわかりにくい話をしているかを思い知らされます。
思いが先行していて、文章になっていないのです。
これでは、聞いているほうも大変です。
私の思いが伝わるはずもありません。
大いに反省しました。

インタビューでは、冒頭、私の自己紹介をしています。
そこで気づいたことがあります。
節子との別れが私の人生を変えたことは話していますが、節子との出会いが私の人生を変えたことには言及していません。
そういえば、私自身、そのことを考えたことがありませんでした。
節子との別れはよく考えますが、出会いの意味を考えたことはあまりない。
ある意味では、それは当然かもしれません。
なぜなら、節子と生活を共にすることを決めた時に、私は人生を創り直すことにしたからです。
いまから思えば、若気の至りですが、それまでの記憶を一時、かなり捨ててしまいました。
交友関係も、それまでの日記も、まあいろいろのものを、です。
もちろん実際には捨てられるはずもなく、すぐに戻ってしまったのですが、廃棄した日記だあけはもどりませんでした。
まあ、そのこと自体が、節子に出会っての私の大きな変化です。
しかし、節子との出会いの積極的な意味については、あまり考えたことがありません。
この挽歌で、私と節子とは赤い糸で結ばれていたかもしれないと書いたことがあります。
しかし、なぜ結ばれていたのか、そしてそれはどういう意味があったのかは、考えたことがないのです。

私が節子と出会わなければ、そして節子と結婚しなかったならば、私の人生はどうなったでしょうか。
会社を途中で辞めて、お金から自由に生きる方向へと、生き方を変えたでしょうか。
それは解きようのない問題ですが、少なくとも、私が思い切りわがままに生きられたのは、節子のおかげだと言っていいでしょう。
その反面、もし節子と一緒にならなければ、世間的に常識的な道を進み、経済的には豊かになり、社会的な地位も得ていたかもしれません。
娘たちにも、もう少し「豊かな暮らし」をさせてやれたかもしれません。
いささかの悔いは残りますが、しかし、いまさらどうにもなりません。

すべては定めなのでしょう。
定めであれば、詮索は不要です。
しかし、節子との人生は、私の世界を大きくひろげてくれたことは感謝しなければいけません。
それがどんなに広いかは、私だけにしかわからないかもしれません。

大学時代の同窓会の案内が回ってきました。
少なくとも、大学の同窓生たちが語り合っている世界とは全く違う世界です。
今回も、同窓会には欠席することになるでしょう。
あまりにも違う世界で、会話も成り立ちにくいでしょうし。
そう考えていくと、私の世界はむしろ狭くなっているのかもしれません。
いろんな集まりのお誘いを受けますが、最近はどれもこれも不参加です。
何か違う世界への誘いのように感ずるからです。
そう考えると、私の世界は広くなったとは言えないかもしれません。
狭く特殊なものになってしまったのかもしれない。
そうかもしれませんね。
なにしろとても生きにくくなっていますから。

今日も暑くて、生きにくい日になりそうです。
その上、もしかしたら、夏風邪かもしれません。
喉が少し痛いですので。

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2015/08/02

■節子への挽歌2873:誠を尽くして応えていく

節子
この数年、私の日曜日は、NHKテレビの「こころの時代」から始まります。
寝室のテレビを視聴予約しているので、朝の5時になると、その番組が私を起こしてくれるのです。
といっても、きちんと見るわけでもなく、半分寝ながら聞いています。
時にはほとんど寝てしまっていることも少なくありません。

今朝も5時に「こころの時代」が始まりました。
今日は3年前に放映された「生きる意味を求めて ヴィクトール・フランクルと共に」の再放送でした。
語り手は、山田邦夫さんです。
以前の放送は録画して2回ほど見ました。
「生きる意味」は、私にとってもキーワードの一つであり、当時、それを失っていたからです。

このことは、この挽歌にも何回か書きました。
それまであまり読めずにいたフランクルの本も何冊か読みました。
テレビを見た直後の記事を読んでみると、私が違和感を持ったと書かれていました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2012/05/post-f551.html
その違和感はいつの間にか解消されています。
その過程は、たぶんどこかに書かれているのでしょうが、私の記憶にはもはやありません。

最近、ずっと感じているのは「大きないのち」ということです。
その視点で、フランクルを読むことができるようになったのは、この番組を見てからです。
その文脈から言えば、フランクルの指摘はすんなり心に入ります。
山田さんは、宗教を超えた「宗教性」ということを教えてくれました。

今日は、きちんと目を覚まして、番組をもう一度みました。
新しい気づきはあるものです。

最後に山田さんはこう語っていました。

普通は時は無常ですべて消え去っていく、というふうに考えますけど、フランクルは、まったく逆でして、一旦起こったことは2度となくならないと。
たとえば、稲刈りをして、脱穀して蔵に詰めますよね。
過去は虚しいというふうに思う人は、その切り株の田んぼしか見ていない。
しかし、過去という蔵の中にはいっぱい詰まっている。全部そこに保存されている。
ですから今ここで自分が為すこと、それが永遠に残る。
時間的には、空間的には、全部繋がっている。
そういう世界の中で、フランクルは意味ということを考えている。

そして、山田さんはこう言います。

今ここで自分は何を為すべきかということは、自分の内からは出てこないんですね。
自分にその時、問い掛けてくるものがあるわけです。
その問い掛け、呼び掛けに応えていく。
自分の誠を尽くして応えていく。
それ意外にない。

前回は聞き逃していましたが、今回はこの言葉にとても元気づけられました。

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2015/08/01

■節子への挽歌2872:手賀沼の花火大会

節子
今日は恒例の手賀沼花火大会です。

Teganumahanabi_20151

私も節子も、花火好きでしたが、節子がいたころは親戚や友人たちに声をかけてきてもらったこともあって、そのもてなしで、あまりゆっくり花火を見ることもできませんでした。
とりわけ節子はそうだったかもしれません。

節子が迎えた最後の年の花火大会は、おもてなしもできずに、節子も私も花火を見る気も起きず、病室に閉じこもっていました。
花火の音は、身体に響きますが、病身の節子には、かなり堪えたかもしれません。
花火を見に来てくれた人たちも、この年はわが家ではなく、花火会場に見に行ってくれました。
そのやりとりにいささか哀しい思いが残ったのを、いまも覚えています。
その時から、花火が少し嫌いになったのかもしれません。
それ以来、私自身は、人を呼ぼうという気がなくなってしまったのです。

今年は、同居している娘と節子の遺影と3人で花火を見ました。
娘が軽食を用意してくれました。
お母さんは、いつも何を用意しようか苦労していた、と娘が教えてくれました。
私から見れば、おもてなしは楽しい仕事だと思っていましたが、それなりに気の遣うことだったのかもしれません。
私自身がとてもわがままでしたから。

節子と2人で最初に見た花火は、滋賀県大津市の瀬田川の花火大会でした。
あまり覚えていませんが、浴衣姿の節子がとてもはしゃいでいたのを覚えています。
瀬田川の近くには1年ほど暮らしました。
前にも書きましたが、「神田川」で歌われているような、6畳一間に近い貧しいけれど幸せな暮らしでした。
あの頃が私たちにとっては、一番幸せな時代だったのです。
なによりも、お金がなかったのが幸せのもとだったと思います。
いまから考えても、実に慎ましやかな暮らしでした。
エアコンもなければ、暖房機もなかった、
テレビもありませんでした。
しかし、休日はいつも2人でした。

節子がいなくなったいま、私の暮らしはその頃のように慎ましくなっています。
節子がいない、慎ましやかな暮らしは、ただ慎ましいだけですが、それでも不幸せではありません。
慎ましい暮らしは、どこかで節子とのつながりを感じさせられるからです。

節子
今年は、ゆっくりと花火を見られましたか。
私は、いろいろと考えることもありましたが、ゆっくりと見ることができました。
来年は誰かを呼ぶことができるような気がしています。


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■節子への挽歌2871:死は怖くはありません

今日は、午前中は外出したり、用事があったりしましたが、午後は自宅のエアコンの効いた部屋で、過ごしました。
1冊の本と一つの映画を観ました。
意図したわけではないのですが、いずれも「死」に関するものです。

本は、前野隆司さんの『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』です。
3か月ほど前に、友人から前野さんの本「幸せの日本論」を薦められて読んだのですが、たまたま先週、図書館で前野さんのこの本を見つけて、借りてきていたのです。
しかし、私は「死ぬのが怖い」という感覚もないので、借りては来たものの、読まずに部屋の片隅に置きっぱなしだったのです。
その本が、たまたま涼しい部屋にあったので、読み出したという、ただそれだけの理由です。
この本のメッセージは、人はそもそも最初から死んでいるのだから死を怖がらなくてもいいというものです。
まあ、これはかなり不正確な要約ですが、私にはきわめて納得できるメッセージです。
私流に言い換えれば、人は死ぬことなどないのです、ということになるのですが、たぶんそれは前野さんの本意ではないでしょう。

本はいつものように、超速読してしまったので、ちょっと疲れてテレビをつけました。
ちょうど「主人公は僕だった」という、10年ほど前の作品が放映されていました。
ちょうど始まったところでした。
何気なく見ていたのですが、とても面白く、ついつい最後まで観てしまいました。

ある日突然、自分の人生が人気作家によって執筆中の物語に左右されていることを知った男が、自分の人生を取り戻すために奮闘するさまを描いた、ファンタジーコメディです。
物語は、こんな展開です。

国税庁の職員ハロルド・クリックは、規則正しく単調な毎日を送る平凡な男です。
なんとなく「おみおくりの作法」の主人公を思い出しました。
ある朝、彼の頭にナレーションのような女性の声が響き、それが続くようになります。
そのナレーションは、ハロルドの行動を的確に描写していく内容なのです。
ハロルドは、どこかで自分を主人公にした小説が書かれていると疑い始めます。
ところが彼がある行為をしたとき、 “このささいな行為が死を招こうとは、彼は知るよしもなかった”というナレーションが聞こえてきます。
さて、彼はどうしたか。
っその先は映画を観てもらうのがいいでしょう。
死は避けられるのか。
ちなみに、主人公のハロルドは、自分が死ぬことを知っても、その定めを受け入れるのです。
よいドラマのためにこそ、生はある。
彼もまた死などおそれてはいなかったのです。

観終わってからネットで少し調べてみました。
実に知的な趣向が隠されていることを知りました。
社会的なメッセージもちりばめられています。
感動を味わえます。
助演のエマ・トンプソンとダスティン・ホフマンも実にいい。

この映画は私は知らなかったのですが、エアコンが復活したおかげで、観ることができました。
これもきっと意味のあることなのでしょう。

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■節子への挽歌2870:ノープロブレムのニヘイさん

節子
久しぶりに近くの家具屋さんのカネタヤに行きました。
年に1回の「キズモノ市」なのだそうです。
別に買いたいものがあったわけではないのですが、娘が行くというので同行したのです。
まあ、気分転換のようなものです。
久しぶりのカネタヤはたくさんのお客さまでごった返していました。

手賀沼公園の近くに転居してきた時、わが家の家具の多くは、このお店で調達しました。
その時の担当者は、「ニヘイさん」と言い、実に個性的な人でした。
口癖は、「ノープロブレム」。
それでわが家では「ノープロブレムのニヘイさん」と呼ばれていました。
家具の調達が終わった後は、特にお付き合いもなくなりましたが、私は時々、会いたくなりました。
節子に、ニヘイさんに会いに行こうかと言ったこともありますが、あまり賛成は得られずに、その後、お会いしたことはありません。
私とたぶん同世代でしたから、もうお辞めになっているでしょう。
しかし、私はカネタヤの横を通るたびに、いつも彼のことを思い出します。
私は、一度でも関わった人のことは、なかなか忘れられないタイプなのです。

もしかしたら、ニヘイさんが手伝いに来ているかもしれないとどこかで思っていたのですが、全館を歩いてみましたが、お目にかかれませんでした。
結局、何も買うものもなく、帰宅しました。

家具屋さんには縁のない年齢になってしまいました。
節子と一緒に家具探しをした記憶はたくさんあります。
なかなか好みが一致せずに、結果的にはどちらの好みでもないものになってしまったこともあります。
そうした「失敗の蓄積」が、わが家にはたくさん残っています。

ニヘイさんはお元気でしょうか。
どことなくマレイシア人を思わせる、楽しい人でした。

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■TPPの持つ意味

TPP交渉が大詰めのようです。
その報道の仕方に、違和感があります。
テレビ報道では、消費者が安いものを入手できるか、生産者の利益を守るか、という形で報道されるようになってきています。
これこそ、この50年、政府が続けてきた方法です。
生産者よりも消費者の方が多いのですから、その報道は、TPP応援報道なのです。
このブログでも何回か書いていますが、問題をどう設定するかでメッセージはいかようにもそう阿できるのです。
こうした方法は、広報戦略の基本ですが、TPPに関しては見事に功を奏しました。
私にはあり得ない話でしたが、いまやもうTPP参加は既定の事実になっています。

TPPは「経済問題」ですが、経済は社会や文化を規定します。
バターが安くなるというレベルの経済問題は、些末な話なのです。
目先の損得しか考えられなくなってきている「消費者」は、いつも後で大きな損を後で背負わされます。
これまで何度その繰り返しが行われたでしょうか。
しかし「消費者」とはそういう存在なのでしょう。
日本の経済者とその片棒担ぎの経営学者は、せっせと消費者を創造してきたのです。
経営が顧客の創造などというバカな言葉が、いまもなお、使われているような経営学はもう捨てなければいけません。

TPPは、つまるところ、新自由主義の発想に基づいています。
そこでの「自由」とは、アメリカ資本主義の文化に支えられた「汎市場化」を理想とする自由です。
自由という言葉には、抗えない輝きがありますが、問題はだれが一番その自由を謳歌するかです。
考えればすぐわかることですが、自由は関係性の中で生まれる価値です。
すべての人が自由に振舞えるわけはなく、そこでは自由を管理するルールや基準が不可欠です。

TPPは、消費者には目先の利益をもたらしてくれるでしょうが、生活者にはとんでもない損害をもたらすような気がしてなりません。
そして、わたしたちは、そろそろ消費者から生活者へと、立場を変えなければいけません。
各地で盛んな「消費者運動」は、もう役割を終えたはずです。
そう思ってから、もう40年近くが経ちます。
そう思わせてくれた契機になった「コンシューマリズム」も、今やその意味合いさえ変わったようです。
若いころに見ていたビジョンが、ことごとく壊されつつあるのが残念です。

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■節子への挽歌2869:エアコンが戻ってきました

節子
最近、我孫子も猛暑日続きです。

先日、テレビでバラの手入れを放映していました。
バラの葉は水が不足すると黄色くなるそうですが、それがすぐには出ずに、数日たった時に出てくるのだそうです。
わが家の庭の河津桜は鉢植えをしていますが、葉っぱが黄色になってきています。
毎朝、かなりの水をやっているつもりですが、やはり不足しているのでしょう。
それを見ながら、もしかしたら人間も同じだなと思いました。

最近、なんとなく体調がまた悪いのですが、これは熱中症のせいかもしれません。
数日前までかなりの暑さに耐えていたからです。
なにしろ仕事場にも寝室にもエアコンはなく、リビングのエアコンも調子が悪く、今年はまだ一度も使ったことがないのです。

昨夜も暑くて寝苦しい夜でいた。
ところが起きて、リビングに行くと、なんとエアコンがかかっていました。
見かねた娘が、昨夜、タイマーでセットしておいたようです。
なんとエアコンがきちんと作動しているのです。

今日も暑くなりそうで、外の温度はもう30℃に近づいています。
風はさわやかなのですが、エアコンの効いた部屋から外に出ると、暑さを感じます。
エアコンがなければ、今日もさわやかな朝だと思ったかもしれません。
しかし、今朝は、エアコンの効いたリビングだけが涼しいです。

エアコンが直り、タイマー予約してくれていた娘の心遣いには感謝しますが、その一方で、ちょっと複雑な気分も残ります。
ここから先は、時評編の領域でしょうが、エアコンなしで暑さに対処してきた頑張りが崩れてしまいそうでもあります。
ちなみに、今年は扇風機もほとんど使わないで過ごしてきました。
別に理由があってのことではないのですが、なぜか今年はそうしたかったのです。
しかし、その結果、私が熱中症になってしまったら、どうしようもありません。
娘はそれを心配したのでしょう。
そして事実、この数日、葉っぱが黄色くなってきた桜のように、外からも私の疲労が見えたのでしょう。

今日は、我孫子の花火大会です。
今年は誰にも声をかけませんでした。
花火もあんまり見る気が起きなかったのです。
今日はゆっくり冷房の効いたリビングで、読書三昧しようかと思います。

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