■世界への挽歌2879:不二の世界の浄土
節子
今日は暑いですが、我孫子は風があります。
夏の風は、とても心地よい。
いま柳宗悦の晩年の4部作と言われるものを、ゆっくりと読んでいます。
ゆっくりという意味は、思いついた時に、数ページを読むという読み方です。
最初に読んだ「無有好醜の願」は面白かったので一気に読んでしまいましたが、何か未消化だったので、先日からまた読み直しました。
その時、これはゆっくり読まないといけないと思ったのです。
ですから、リビングのテーブルに本を置いておき、ちょっとした合間に数ページを読むスタイルにしました。
こんな読み方はめったにありませんが、時々、やっています。
私の場合、この方法だと必ず途中で挫折しますが、今回はいずれも短い作品なので読み切れるでしょう。
晴耕雨読ではなく、最近は涼耕暑読です。
猛暑日が続いているので、読書も増えています。
今日は、これから湯島に出かけますが、今読んでいた「美の浄土」にこんな記述がありました。
実は興味深いことに、仏教で浄土が語られましてから二千年余りにもなるでありましょうが、浄土の存在の有無はしかく問題になった事がないのであります。
仏教を支える思想は、インドに生まれたと思いますが、そこでの時間感覚や空間感覚は想像の域を超えています。
ゼロも無限大も、その概念はインドから生まれたと言われますが、「浄土」思想もそうだったのでしょうか。
今まで、浄土ということをあまり考えたことがありません。
この挽歌では、彼岸という言葉はよく使いますが(私にとっては今や日常語です)、彼岸は必ずしも浄土とは限りません。
私はなぜか無意識のうちに同じものと捉えてきた気がしますが、やはり別のものです。
柳宗悦は、浄土は「不二の世界」と書いています。
その考えを突き詰めてくと、いまここが浄土にもなるような気がします。
まあどうでもいいようなことですが、そうした問題に柳宗悦の本は気づかせてくれます。
いまはエアコンのない仕事場でこれを書いていますが、暑いですが、外から快適な風が入ってきます。
まるで、浄土にいるような気がします。
さてこれから支度をして湯島です。
都心は暑いでしょうね。
しかし、暑さも涼しさも、不二なるものとして、いずれも楽しみたいものです。
まあ今はそんな気分ではあるのですが、すぐへこたれるでしょう。
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