■節子への挽歌2871:死は怖くはありません
今日は、午前中は外出したり、用事があったりしましたが、午後は自宅のエアコンの効いた部屋で、過ごしました。
1冊の本と一つの映画を観ました。
意図したわけではないのですが、いずれも「死」に関するものです。
本は、前野隆司さんの『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』です。
3か月ほど前に、友人から前野さんの本「幸せの日本論」を薦められて読んだのですが、たまたま先週、図書館で前野さんのこの本を見つけて、借りてきていたのです。
しかし、私は「死ぬのが怖い」という感覚もないので、借りては来たものの、読まずに部屋の片隅に置きっぱなしだったのです。
その本が、たまたま涼しい部屋にあったので、読み出したという、ただそれだけの理由です。
この本のメッセージは、人はそもそも最初から死んでいるのだから死を怖がらなくてもいいというものです。
まあ、これはかなり不正確な要約ですが、私にはきわめて納得できるメッセージです。
私流に言い換えれば、人は死ぬことなどないのです、ということになるのですが、たぶんそれは前野さんの本意ではないでしょう。
本はいつものように、超速読してしまったので、ちょっと疲れてテレビをつけました。
ちょうど「主人公は僕だった」という、10年ほど前の作品が放映されていました。
ちょうど始まったところでした。
何気なく見ていたのですが、とても面白く、ついつい最後まで観てしまいました。
ある日突然、自分の人生が人気作家によって執筆中の物語に左右されていることを知った男が、自分の人生を取り戻すために奮闘するさまを描いた、ファンタジーコメディです。
物語は、こんな展開です。
国税庁の職員ハロルド・クリックは、規則正しく単調な毎日を送る平凡な男です。
なんとなく「おみおくりの作法」の主人公を思い出しました。
ある朝、彼の頭にナレーションのような女性の声が響き、それが続くようになります。
そのナレーションは、ハロルドの行動を的確に描写していく内容なのです。
ハロルドは、どこかで自分を主人公にした小説が書かれていると疑い始めます。
ところが彼がある行為をしたとき、 “このささいな行為が死を招こうとは、彼は知るよしもなかった”というナレーションが聞こえてきます。
さて、彼はどうしたか。
っその先は映画を観てもらうのがいいでしょう。
死は避けられるのか。
ちなみに、主人公のハロルドは、自分が死ぬことを知っても、その定めを受け入れるのです。
よいドラマのためにこそ、生はある。
彼もまた死などおそれてはいなかったのです。
観終わってからネットで少し調べてみました。
実に知的な趣向が隠されていることを知りました。
社会的なメッセージもちりばめられています。
感動を味わえます。
助演のエマ・トンプソンとダスティン・ホフマンも実にいい。
この映画は私は知らなかったのですが、エアコンが復活したおかげで、観ることができました。
これもきっと意味のあることなのでしょう。
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