■節子への挽歌2878:太陽とともに、家族とともに
節子
夏らしい朝です。
いまはまださわやかですが、今日も猛暑日になるようです。
畑に水をやりに行ってきました。
今日は湯島に行くので、夕方の水やりもできないからです。
斜面に植えた、花が枯れないようにしないといけません。
朝からテレビでいろんな事件が報道されていますが、わが家の場合、妻が少しだけ早く亡くなっただけで、家族がこんなに変わってしまうことを思うと、事件で家族の誰かが亡くなってしまった家族は、一体どうなるのだろうと考えてしまいます。
家族の結びつきが強いと、たぶん家族一人ひとりの生き方も大きく変わることでしょう。
地域住民の生活の繋がりが弱くなったなかでの家族のあり方は、考え直してみる必要がありそうです。
地域社会と家族とは、不可分ですから。
そうした意識は、私と節子はほぼ同じところに向かっていました。
しかし残念ながら、転居した後、中途半端なまま頓挫してしまいました。
今朝の畑行きはいつもより早かったので、まだどこも動き出してはいませんでした。
太陽とともに起きだし、太陽とともに床に就く。
やはりそういう暮らしを、人生の最後にはしたかったなと思いました。
いまからでもできないわけではありませんが、まあ無理でしょう。
私の場合は、そこにやはり、「節子とともに」がどうしても必要なのです。
最初から「自立した生き方」を、私は求めていなかったからですが、これだけはいまさらどうにもなりません。
でもまあ、明日からまた、早寝早起きを目指そうと思います。
最近、生活がかなり乱れていますので。
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