■節子への挽歌2876:死に誠実に向かえあえ
節子
前野隆司さんが書いた『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』は面白い本でした。
この本に出会ったのは、友人の岡田さんが私に薦めてきた前野さんの別の本を読んだのがきっかけでした。それがなければ、この本を手に取ることはなかったでしょう。
私は、「死ぬのが怖い」という文字に全く反応しなかったはずです。
その本の最後の方に、いわばこの本の総括としてこんな文章があります。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。
私の一言感想もはさみながら。
あなたにとって大切な人の死は、人生最大のショックだ。 もはや一生、この悲しみを乗り越えられないだろうと感じる。 しかし、人間にはコーピング(うまく対処し乗り越える、という意味の認知心理学用語)能力がある。 大切な人を愛していればいるほど、その人の死を早く乗り越えられるという説もある。
まあ、そうかもしれないな。
自分の死は、自分にとっては最大の問題だが、実は、最愛の人だって、何年かすると、あなたの死を乗り越えるのだ。あなたについての記憶は、大切にはされるだろうが、風化していく。そして、ほんの60年後くらいだろうか。あなたのことを知る人がいなくなると、もう誰もあなたのことを思い出さなくなる。
たしかにそうだ。
はかない人生だ。あなたは生きて、そして、忘れ去られる。あなたの最愛の人は、あなたとともに生きて、そして、忘れ去られる。(中略)すべてが無に帰す。愛する人とのすばらしい思い出も、あなたが今ここに生きた証も。
それはそうだ。
実にはかない。いや、さびしい。
しかし、それに続いて、前野さんはこういうのです。
それは本当に、寂しいことだろうか。 悲しいことだろうか。 はかないことだろうか。 死とは、本当に、寂しく悲しくはかないことなのだろうか。 人間は、その問いに一度まっすぐ立ち向かうべきなのではないだろうか。 死の意味をはっきりと自覚することによって、生き方が変わるからだ。 なぜなら、死とは、「先のことを考えて生きなさい」の究極だから。
もっと早くこの本に出会えていればよかったと思いました。
どの部分で、そう思ったのかと訊かれてもうまく答えられませんが、そう思いました。
それに、この人は自分軸で語っているのが、とてもいい。
輪廻転生を信じていないのが、気に入りませんが、まあこの人は科学者らしいので仕方がない。
死が生きる最終地点というもよくない。
死(自分の死とは限りません)から始まる物語もあるのです。
それを考え出している時期に、この本に出会えたのも偶然とは思えません。
ちなみに私がこの本で一番気に入ったのは、生きることと死刑宣告を受けた死刑囚とどこが違うのかという問いかけです。
たしかに、生きる先には死があります。
これは一例ですが、本書はいろんな問いかけをしてくる、楽しい本です。
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