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2015/08/10

■節子への挽歌2891:時間を超えて、悟りを得た気分

節子
もしかしたら、自分ではあまり気づいていなかったのですが、軽い熱中症で思考機構に損傷を受けているのかもしれません。

今日、節子の友人から久しぶりに電話をもらい、話したのですが、どうもうまく話せないのです。
節子の友人とはいえ、私もよく知っている人なのですが、どうも話すことが思いつきません。
いつもなら、必ず笑いにつながるジョークのひとつくらい言えるのですが、うまく言葉を受け答えられないのです。
自分ながらに、なにかおかしい。
もともと電話は苦手で、嫌いなのですが、どうもいつもと違います。
相手もちょっとおかしいなと思ったのか、短い電話になってしまいました。

そもそも自然現象には異常などないと思いたい私としては、認めたくないのですが、今年の暑さは異常なのかもしれません。
もっとも、暑さのせいにするよりも、自分の歳のせいにした方がいいかもしれません。
熱中症のせいにするのは、いかにも安直です。

最近、思考と発言との乖離がますます大きくなってきている気がしますが、これは何も暑さのせいではありません。
涼しいころから起こっていたことです。
要するに、脳機能の老化がかなり進んでいるのでしょう。
にもかかわらず、自分ではそれを納得していないので、意識と実態の乖離から、時に話せなくなることが起きてしまう。

ところで、思考と発言との関係はどう考えるべきでしょうか
人は「考えたこと」を「発言する」のか、「発言したこと」を後追いで考えるのか。
私は以前から「人は話しながら考えるもの」だと思っていました。
だから、思考と発言は同じものだと思っているのですが、どうも最近、そのずれが大きくなってきているので、どうやら前後関係があるのではないかと思いだしているのです。
「考えてから話す」のだから、思考が先にあるのだろうと思う人が多いかもしれませんが、私はそれには違和感があります。
考えていることと、別のことを話してしまうことが多いからです。
人は、まず話してから、それを理屈づけるために、さも前もって考えたように、取り繕うのではないか。
もしそうなら、時間とはいったい何なのかという話になっていきます。
実は今日、私が留守の時に電話をもらっていて、後でまた電話してくると娘から聞いていました。
それを聞いた時、実はうまく電話で話せないなという気がしていたのです。
そしてその通りになってしまった。
電話を受ける前に、電話がうまくできないことを、私は知っていたのです。

暑さのせいで、どうも私のまわりの時間の流れが混乱しているようです。
いや、脳の老化で私の時間の流れが無秩序化してしまったのかもしれません。
いやいや、そもそも時間はヘリウムの流れのように、方向などなく、ただただ多重に存在しているだけなのかもしれません。

だんだんわけがわからないことになっていますね。
実は私には書いているうちに大きな「気づき」があったのですが、もしかしたら、それは脳の損傷か、あるいは、暑さのために脳が溶融してしまったためかもしれません。
最近、なんだか此岸から彼岸に飛んで行けそうな気がしてきていますが、単に暑さに脳がやられてしまっているだけなのでしょうか。
なにかちょっと悟りを得た気分もしているのですが。

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