■節子への挽歌2890:伴侶と社会性
久しぶりに夜に雨が降りました。
今日は畑に行かなくてもよさそうです。
しかし湿度が高く、さわやかな朝とは言い難いです。
知人が、一昨日から川内原発再稼働反対のデモに行っています。
今朝の新聞に報道が出ていましたが、今日までの3日連続デモです。
私自身がいま一番気になっているのは、原発です。
私が、なにもせずに、のうのうとエアコン生活ができないと思っている一因もそこにあります。
それでも新聞が報道してくれていたので、少しホッとしました。
知人は、もう60代を超えた人ですが、国会デモにも出かけ、福島に行き、行動しています。
それに引き換え、私は、どうも動けずにいます。
数日前に、節子もよく知っている田中弥生さんが、フェイスブックで「ヒトラーを支持したドイツ国民」という本を読んだと書き込んでいました。
たしか10年近く前に、日本でも翻訳出版された本ですが、私も前に読んで、日本の社会状況や国民の動きと酷似しているのを感じて、不気味に思ったのを思い出しました。
しかし、残念ながら、時代の動きは速いので、ニーメラーと同じ後悔を私たちはしなければいけないのかもしれません。
いろいろと希望を期待させられることにも出会うことはあるのですが、大きな流れはもう止められないのかもしれないと、空しくなることが増えています。
どうもそれが、私が最近、元気が出てこない大きな理由かもしれません。
気分転換できることにさえ、気が向きません。
節子がいたら、私も人生の第4期に入り、社会から抜け出た暮らしに入れていたのになと思うこともないわけではありません。
時代に暗雲が立ち込めている。
であればこそ、課題は山のようにある。
しかし、伴侶を喪うと、社会性も失ってしまうものかもしれません。
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