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2015/08/23

■節子への挽歌2914:「悲しみや苦しみ」から生まれるものがある

節子
世界陸上の20キロ競歩を見続けてしまいました。
オリンピックをはじめとした商業主義的スポーツ競技を嫌っているはずなのに、これに限らず見てしまうとやめられなくなります。
困ったものですが、まだ私の中に煩悩が救っているからでしょう。
優勝さえ期待されていた3人の日本選手は残念ながら、1人は途中で棄権、2人はやっと完歩という感じで、入選を逃しました。

ずっと見ていたものの、考えていたことはあまり肯定的なことではありません。
20キロを1時間ちょっとで歩き続けることに、どういう意味があるのだろうかということです。
歩くのさえやっという姿でゴールする選手を見ると、これは拷問ではないかとさえ思えてしまいます。
審判に違反カードを突きつけられないように注意しながら歩いているという姿も、なんだか違和感があります。
素直な身体活動に反しているように思うからです。
だから見ていて楽しくありません。
だったら見なければいいと思うのですが、なぜか最後まで見てしまったわけです。

今朝のテレビ「こころの時代」で、帝塚山大学教授の西山厚さんが「悲しみの力」を語ってくれていました。
「仏教は、釈迦の悲しみから生まれ、悲しみ苦しむ人たちに優しい。悲しみや苦しみの中から、何か新しいものが生まれてくるかも知れない」と西山さんは言います。
「悲しみや苦しみ」から生まれるものがある、という言葉は、よく聞く言葉ですが、西山さんのお話を聞いていて、改めてその意味を考え直しました。
生まれてくるのは、自らの心身のなかになのです。

20キロ競歩は私にはスポーツとは思えませんが(理由はルールに違和感があるからです)、少なくとも今回出状した3人の日本選手は、大きなものを得ただろうなと思いました。
それを、次の大会で金メダルなどという目標につなげてほしくはありませんが、ふらふらしながらも、足を両手でたたきながら、やっとの思いで歩ききった48位の高橋選手の姿は感動的でした。
彼は、記録にも順位にも無関係に、ただ歩き続けて、ゴールに到達した。
完歩したところで、大きな栄誉は与えられません。
しかし、もしかしたら、彼は金メダルよりも大きなものを得たのではないかと思いながら、画面を見ていました。

人生は競歩のゲームとは違います。
もっと大きな試練もあり、制約もあり、「悲しみや苦しみ」にも襲われます。
この2日間、湯島のサロンで語られたことも含めて、いまの自分の生き方をちょっと考え直す気になりました。

今日は自宅で「内省の日」を過ごしました。
この1週間、ちょっとまた自らを省みることの少なかったものですから。

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