■節子への挽歌2922:「長い8月」
節子
今年もまた、8月は「長い8月」でした。
しかし、8年前の長さに比べたら、比べようもないほど短いのですが。
8月は毎年31日と決まっています。
しかし、私たちにとって、8月は31日どころではない長さを感じる月になってしまいました。
節子が、まさに「闘病」に明け暮れたひと月だったのです。
いまでは記憶の中にないほどに、それは過酷でした。
私には、暑かったことと暗かったことの記憶しかありません。
病室になったわが家の和室で、節子は過ごしました。
家族も夕食は、そこで全員、節子と一緒でした。
節子はベッドの中で食事をしました。
私たちは、その横で、畳に座って食べていたのです。
節子はその頃はもうあまり会話ができませんでした。
というよりも、あまり食事もできなかったのです。
でもみんなで食事をしていました。
不思議な光景だったかもしれません。
節子の親しい友人たちがお見舞いに来てくれても、8月の後半になってからは、ほんの一握りの人以外、節子は会いたがりませんでした。
せっかく来てくださったのに、会えずに帰ってもらったこともあります。
私が、せっかく来てくれたのだからと言っても、節子は会いたくないというばかりでした。
病みあがってしまった自分の姿を見せたくなかったのでしょう。
どんなに病みあがっても、私には以前と同じ節子でしたが、いまから思うと息を引き取った後の節子も私には以前の節子と同じに感じられたので、たぶん私の感覚がおかしくなっていたのでしょう。
節子は、しかし、自分がどう見えているかを知っていたのです。
8月の、長い1か月、節子は実によく頑張りました。
節子にとって、本当に長い長い1か月だったでしょう。
8月の後半は、節子はもう彼岸に行っていたのだと気づいたのは、だいぶ経ってからです。
今年の夏も、長い1か月でした。
その8月も、今日で終わりです。
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