■節子への挽歌2874:節子との出会いは私をどう変えたのか
節子
先日、学生たちから私の生き方に関するインタビューを受けましたが、そのテープ起こしの原稿が送られてきました。
インタビュアーは中国からの留学生の欧阳さんで、テープ起こしも彼女です。
ですからちょっと文章になっていないところも多く、校正と言っても結構大変です。
しかも、文字数にして2万字を超えています。
それに私の話は、ほとんど文章になっていないのです。
そのため、校正に2日もかかってしまいました。
ほとんどすべてリライトした感じです。
それにしても、テープ起こししたものを読むと、自分がいかにわかりにくい話をしているかを思い知らされます。
思いが先行していて、文章になっていないのです。
これでは、聞いているほうも大変です。
私の思いが伝わるはずもありません。
大いに反省しました。
インタビューでは、冒頭、私の自己紹介をしています。
そこで気づいたことがあります。
節子との別れが私の人生を変えたことは話していますが、節子との出会いが私の人生を変えたことには言及していません。
そういえば、私自身、そのことを考えたことがありませんでした。
節子との別れはよく考えますが、出会いの意味を考えたことはあまりない。
ある意味では、それは当然かもしれません。
なぜなら、節子と生活を共にすることを決めた時に、私は人生を創り直すことにしたからです。
いまから思えば、若気の至りですが、それまでの記憶を一時、かなり捨ててしまいました。
交友関係も、それまでの日記も、まあいろいろのものを、です。
もちろん実際には捨てられるはずもなく、すぐに戻ってしまったのですが、廃棄した日記だあけはもどりませんでした。
まあ、そのこと自体が、節子に出会っての私の大きな変化です。
しかし、節子との出会いの積極的な意味については、あまり考えたことがありません。
この挽歌で、私と節子とは赤い糸で結ばれていたかもしれないと書いたことがあります。
しかし、なぜ結ばれていたのか、そしてそれはどういう意味があったのかは、考えたことがないのです。
私が節子と出会わなければ、そして節子と結婚しなかったならば、私の人生はどうなったでしょうか。
会社を途中で辞めて、お金から自由に生きる方向へと、生き方を変えたでしょうか。
それは解きようのない問題ですが、少なくとも、私が思い切りわがままに生きられたのは、節子のおかげだと言っていいでしょう。
その反面、もし節子と一緒にならなければ、世間的に常識的な道を進み、経済的には豊かになり、社会的な地位も得ていたかもしれません。
娘たちにも、もう少し「豊かな暮らし」をさせてやれたかもしれません。
いささかの悔いは残りますが、しかし、いまさらどうにもなりません。
すべては定めなのでしょう。
定めであれば、詮索は不要です。
しかし、節子との人生は、私の世界を大きくひろげてくれたことは感謝しなければいけません。
それがどんなに広いかは、私だけにしかわからないかもしれません。
大学時代の同窓会の案内が回ってきました。
少なくとも、大学の同窓生たちが語り合っている世界とは全く違う世界です。
今回も、同窓会には欠席することになるでしょう。
あまりにも違う世界で、会話も成り立ちにくいでしょうし。
そう考えていくと、私の世界はむしろ狭くなっているのかもしれません。
いろんな集まりのお誘いを受けますが、最近はどれもこれも不参加です。
何か違う世界への誘いのように感ずるからです。
そう考えると、私の世界は広くなったとは言えないかもしれません。
狭く特殊なものになってしまったのかもしれない。
そうかもしれませんね。
なにしろとても生きにくくなっていますから。
今日も暑くて、生きにくい日になりそうです。
その上、もしかしたら、夏風邪かもしれません。
喉が少し痛いですので。
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