■節子への挽歌2913:椎原さんと杉本さん
節子
今日はまた暑さがぶり返しました。
その、死にそうな暑さの中を湯島に行きました。
椎原さんの「マトリクス人間学」をテーマにしたサロンです。
椎原さんは、節子は覚えているでしょう。
なにしろ強烈な個性の持ち主ですから、節子はなかなかついていけなかったと思いますが。
オープンサロンに、夫婦そろって参加してくれたこともありますし、突然夫婦でやってきたこともあります。
私が最初に出会ったのは、椎原正昭さんでした。
ベトナム戦争に従軍取材していたという体験に魅かれて付き合いだしました。
その集まりに参加しているうちに、椎原澄さんと会い、澄さんがcos-comという活動をしていることを知りました。
cos-com。コスモスコミュニケーション。
コスモスは、ミクロコスモスとマクロコスモスを含意しています。
2人とも霊性が高く、そこに共感しました。
ただし、私の霊性とはかなり違い、おそらく生まれ故郷の星が違うのでしょう。
おふたりのおかげで、不思議な人とも会いましたが、一緒にプロジェクトに取り組むところまでは行きませんでした。
正昭さんががんを発病、節子もがんを発病。
時間関係を思い出せませんが、交流は途絶え、節子は彼岸に旅立ち、正昭さんも宇宙に戻りました。
それから暫らくして、澄さんが活動を再開。
もしかしたら、挽歌でも彼女が湯島に来たことを書いたかもしれません。
その澄さんが、フェイスブックで湯島のサロンを知り、話をしに来てくれたのです。
全く変わっていませんでした。
節子がいたころ付き合っていた人が、久しぶりにやってくると、いろんなことを思い出します。
今日は、節子もよく知っている杉本さんも、参加してくれました。
そして、なんと驚くことに、最後、杉本さんは今日は私がやるからと言って、みんなが使ったコーヒーカップをお一人で洗ってくれました。
節子が湯島に来なくなってから、私が言ったわけではないのですが、サロンの後は必ず誰かが自発的に片づけとカップを洗ってくれるのです。
それも大企業の部長や杉本さんのような人が、です。
それにしても、杉本さんがカップを洗うとは、節子には想像もできないでしょう。
しかし、杉本さんは節子の訃報をどこかで聞いて、すぐにわが家に駆けつけてきてくれたお一人です。
杉本さんとのご縁は、ともかく不思議なご縁です。
椎原さんたちも、そうですが。
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コメント
佐藤さん、こんにちは。
以下は、“2008/05/08■節子への挽歌249:カタカムナの「サヌキ」と「アワ」”を参考にさせていただきながら、“2015/08/22■ちょっとハードなカフェサロン「マトリックス人間学」の超私的報告”のコメント関する補足になります。
>椎原さんは、節子は覚えているでしょう。
>なにしろ強烈な個性の持ち主ですから、節子はなかなかついていけなかったと思いますが。
>オープンサロンに、夫婦そろって参加してくれたこともありますし、突然夫婦でやってきたこともあります。
>私が最初に出会ったのは、椎原正昭さんでした。
>ベトナム戦争に従軍取材していたという体験に魅かれて付き合いだしました。
>その集まりに参加しているうちに、椎原澄さんと会い、澄さんがcos-comという活動をしていることを知りました。
>cos-com。コスモスコミュニケーション。
>コスモスは、ミクロコスモスとマクロコスモスを含意しています。
>2人とも霊性が高く、そこに共感しました。
佐藤さんの椎原さんにたいする短評の、“宇宙人”や“強烈な個性”の意味が俄かには判然として来なかったために、自身の実体験や知識を動員しつつ解明を試みた結果が一つ前のコメントになりました。
終始椎原さんがなされていたのはカウンセリングにおけるミラー(鏡像)・プロセスなのですが、鏡は決して自壊してはなりませんから、絶えず質問者に対し唯々撥ね返していく必要があります。しかし、何れにしても座標(同心円)の中心部分にあるものへの確信がなければ鏡としてそこに立っていることが難しいのではないかと想われます。
私は“カタカムナ文明”のリアリティーに特段の関心はありませんが、仮にユングの男女両性具有論を援用するならば「サヌキ」をアニムス(女性の心奥に潜む男性的要素)に、「アワ」をアニマ(男性の心奥に潜む女性的要素)に置換することができるのではないかと考えています。
要するに外形的(構造的)には男や女であっても、男女の総合的なリアリティーは其々の要素によって定量的に規定されると云う事なのですが、こうした理念に類似する教義を有する宗教の代表例が天理教だと謂えるかも知れません。
さて、終りに少し前の段に戻ってみますと、椎原さんご自身が同心円の中心に据えているのはおそらく“チ(血)”ではないかと思うのですが、事の真偽は闇の奥にあります。
また、会いましょう。
投稿: 向阪夏樹 | 2015/08/23 17:16
向坂さん
カタカムナの世界は実に不思議な世界です。
ちなみに私は、「血」ではなく、「愛」しかないと思っています。
投稿: 佐藤修 | 2015/09/04 10:25
佐藤さん こんにちは。向阪夏樹 さま 初めまして。 椎原 澄です。
どういう訳か、今日このサイトに辿り着いてしまって内容にびっくりし、コメントを書いています。
えっと、、、辿り着いた経緯は、今日、本棚を整理していてテレビマンユニオンを立ち上げられた村木良彦さんの「創造は組織する」の本から、改めて村木さんのことを検索していましたら、どうした訳か、このサイトに着いてしまったのです。不思議。
初めて拝読した記事にちょっとばかり違和感を覚えまして(^^
それはまるで正昭氏と私が一体化しているかのような印象です。
えっと、、、まず、椎原と私は、多分生まれ故郷の星が違うと思います(^^
それから、不思議で仕方がないのは、椎原と両親を看取ってから改めて「マトリックス人間学」と私が称することにした概念図を思い出して使っているのですが、あの概念は椎原と一緒になる前にカナダ人の同志たちと共有したもので、あんなになんでもお互いの概念のぶつけ合いをしてきた椎原と私なのですが、あの図をまともに共有したことがなかったことに気づいたのは、「血族」を看取った後でした。夫婦はもちろん「血族」ではないのですが、「血脈」を基盤にしていますよね。
その意味で言えば、椎原とは「血脈ではなく霊脈」での関係性だったとは思い、それが生かし切れなかった忸怩たる思いはあるのですが、それでも「故郷の星」は違う気がしています(^^
いや、何を言いたいか。
向阪様の
>「「サヌキ」をアニムス(女性の心奥に潜む男性的要素)に、「アワ」をアニマ(男性の心奥に潜む女性的要素)に置換することができるのでは」
という洞察は、深すぎるというほど心理学的観点からの適切性を感じてびっくりしました。
でも実はカタカムナそのものは、神秘性を嫌うことを徹底していながら、現在の自然科学(含む心理学)=人間が一生懸命追求してきた文明の進化に対して「すでに存在している宇宙物理学=えっと、カタカムナを現代に遺された楢崎皐月さんと宇野多美恵さんは「潜象物理」と表現されていました=を、どう理解してもらおうかと、腐心されていました。
私自身は「カタカムナ」を「そのまま」の形で継承はできないのですが(いえ、しないのですが(^^)
どの星から来たにしても、日本の地に存在した「カタカムナ文明」のエッセンスを、カタカムナを語らずして「自分ごと」として話して行動して行く中に、「そうかカタカムナという文明の恩恵を受けているんだ」と思えたら、えっと。。。。赦すこととか、感謝するとか、言われったってしたくないもん、という、人が進化するために必要だった「感情の機微や思考の習慣」を、ちょっとメタ認知できるような気もししています。
わかりにくいこと書いてたらすんません。でも発信させてくださいね。
投稿: 椎原澄 | 2018/08/13 18:46