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2015/08/25

■電力会社はなぜ気楽に原発を再稼働させられるのか

川内原発から始まった、原発再稼働はさらに広がりそうです。
私は、集団的自衛権よりも、そのことが恐ろしいです。

原子力賠償制度がどうもその目的に反して、加害者保護に向かっていることへの危惧の念を早くから問題提起していた本間照光さんのサロンを今年の1月に開催しました。
http://homepage2.nifty.com/CWS/action15.htm#01274
本間さんが早くから問題提起しているにもかかわらず、その声はなかなか大きくはならず、川内原発再稼働をむしろ支える方向で、制度改定の事態は動いている感があります。
原子力賠償制度というと、何か専門的な問題のように感じますが、こういう制度によって、原発事業者は守られているために、再稼働なども可能になっているのです。

この問題に誠実に取り組んでいる本間さんが、今週号の「エコノミスト」(2015年8月25日号)に、「骨抜きにされる原子力賠償制度 法律改定で加害者保護強まる恐れ」を寄稿されています。
ぜひ多くの人に読んでほしいと、本間さんから連絡を受けました。
私も、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思います。
まだ書店に残っていると思いますし、図書館にもあると思いますので、ぜひ読んでもらえるとうれしいです。
私にメールでご連絡いただければ、コピーを送らせてもらいます。

1961年に制定された原子力損害賠償法(原賠法)は、原子力災害事故の被害者を保護するため、事故を起こした原子力事業者に対して、事故の過失・無過失にかかわらず賠償責任があるとする「無過失責任主義」と「無限責任」を定めています。
しかし、福島原発事故で明らかになったように、原子力事業者である東電は責任逃れに向かい、裁判まで起こしているのです。
福島原発で放射能漏れ事故が頻発していますが、近隣住民などへの「無限の賠償義務」など全く行われていないように思います。

そもそもこの目的自体に無理があります。
そんなことをやったら、原発は経済的に引き合う事業ではないのです。
原発事業を推進するための、「無理な約束」、言い換えれば「嘘の約束」だったとしか、私には思えません。
原発事故の「無限責任」などとれるはずがありません。
それにもし、そのリスクをコストに反映させたら、原発による発電コストは想像を絶するほど高価なものになるでしょう。
それを知っている保険業者は、誰も保険を引き受けないことがそれを証明しています。
原発による発電コストが安いなどという嘘が、いまもなお政府や御用学者から発言されること、そしてマスコミでも流されていることには驚きます。

本間さんは、この論考でこう書いています。
原賠法とそれとセットの「原子力損害賠償補償契約に関する法律」が原発再稼働の足かせになっているために、電力業者と政府は原子力賠償制度の法改正に取り組んでいる。
そして、その方向は、加害者である事業者保護だ。
「今後、原発事業者の責任を限定する形に原賠法が改められれば、原発事故の加害者の賠償費任が免除され、同法は事故防止のためのブレーキ役を果たせなくなる恐れがある」。
仮に原発事故が発生しても、原発事業者は守られる方向に向かっているわけです。
ですから、川内原発を初めてして、電力会社は安心して原発再稼働に取り組みだしたのです。
福島原発事故の余波を受け、他電力会社の管内にある原発も全面停止した時の状況を、政府は変えようとしているわけです。
ナチス時代のヒトラーでもそんなひどいことはしないだろうと、「ヴァイマル憲法とヒトラー」で池田浩士さんは書いていますが、私も同感です。

本間さんの「思い」が伝わりすぎて、少し書きすぎたかもしれません。
でも、知っていること、気づいたことを、しっかりと主張する姿勢を大事にしている本間さんを、応援しないわけにはいきません。
ぜひ「エコノミスト」の本間さんの論考は、読んでもらえるとうれしいです。

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