■節子への挽歌2880:湯島は豊かな場所です
節子
今日は午後から湯島で2つの集まりがあります。
この暑い中を、お一人は葉山からわざわざ休暇を取ってきてくれます。
若い人たちの支援活動なのですが、前回たまたま巻き込んでしまったら、勤務を休んでまで来てくれるというので、せっかくなのでお昼をご馳走しようと思って、早く出てきました。
しかし、残念ながら午前中はいろいろとあったようで、食事には間に合わないと連絡が来ました。
それで、時間ができてしまいました。
外の暑さを考えると、一人では食事に行こうという気にもなりません。
手元にあった、非常食用のリッツとコーヒーで我慢することにしました。
そんな、ちょっとさびしい、しかし私好みの軽食をしながら、ふと考えました。
この湯島のオフィスには、これまで実にさまざまな人がやってきました。
音信不通になってしまった人もいますし、声をかけるのがはばかられるほど有名になった人もいます。
犯罪で逮捕された人もいますし、自殺した人もいます。
足しげく通っていたのに、なぜか突然来なくなった人もいます。
財を成した人もいますし、自己破産した人もいます。
あの人はどうしたかなと時々思い出す人もいますし、全く思い出さない人もいます。
まあ世間には実にいろんな人がいる。
湯島を拠点にして27年生きてきたおかげで、それがよくわかります。
人の世は本当に豊かなのです。
しかし、そうした違いは、ほんのちょっとした違いであって、本人の才能や人格とはほとんど無縁なのではないかと、最近、ますます確信してきています。
とりわけ、世間的に有名になるとか財を成すとかいうことは、ほんのちょっとしたきっかけにどう対応したかどうかだけの話かもしれません。
しかし、不思議なもので、あるきっかけである方向に進みだすと、多くの場合、それは加速されがちです。
才能や才覚が感じられなかった人もそれが育つような気もしますし、人格も変わるような気もします。
最初は本当に小さな違いなのです。
だからこういう生き方をしていると、みんな同じように見えてしまうようになったのかもしれません。
有名になろうと無名であろうと、豊かであろうと貧しかろうと、どんな人でも、同じ一人の人間として、気楽に集まれるような、気楽に交われるような、そんな場に湯島がなればいいなと思っていますが、時間を逆転させれば、実は湯島はそういう場所だったのだと気づきました。
できれば、そこに、死んだ人も集まれるともっといいのですが。
そろそろ集まりに参加する人がやってきました。
暑い中を、この人も仕事を休んできてくれました。
みんなに感謝しなければいけません。
ちなみに私も、その一人でもあるのですが。
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