■節子への挽歌2921:同行二人のデモ参加
節子
今日は、「戦争法案廃案!安倍政権退陣! 8・30国会10万人・全国100万人大行動」に参加してきました。
最近の日本は、国民のほとんどが「つんぼ桟敷」に置かれているような状況に見えてしまいます。
しかも80年前の日本と違い、国民が自ら目と耳を閉じているような気がしてなりません。
いや心を失ったのかもしれません。
その背景には、生きるために忙しくしなければいけないという状況が広がっているのです。
実際には、忙しくなどする必要がない条件はできているはずですが、人為的に多くの人は目先の生活の危機感に追い込まれているのです。
そこから抜け出せば、いかようにも生きられるはずですが、心が呪縛されてしまうと、なかなか抜けられないのでしょう。
そうしたなかで、最近、国会周辺に限らず、各地でデモ行動が広がっています。
これが単なるガス抜き活動にならなければいいのですが、国会周辺のデモに参加していつも思うのは、空しさです。
デモをするよりも、まずは自らの生き方を考え直し、自分を取り戻すことが大切だという思いから、最近はデモには参加していませんが、さすがに今日は参加しようと思って、出かけたのです。
電車を乗りちがえてしまい、少し遅れて会場に着いたのですが、すでに地下鉄駅の構内から人があふれていて、地上に出るまでに20分近くかかりました。
友人たちと待ち合わせていましたが、結局、会えませんでした。
最近の国会デモの雰囲気と同じく、私にとっては予想以上に穏やかで平静なデモでした。
節子と一緒に参加したイラク派兵反対のデモとは全く違います。
こういうデモがいいと思ったこともありますが、やはり少し物足りません。
特に現在のように、国民の声など全く聞こうとしない政府の場合は、こんな平静なデモではなく、やはり逮捕者が出るようなスタイルがいいのではないかなどと思いながら、歩いていました。
どこかで小競り合いがあれば、荷担したいという思いもあって、歩き回っていました。
平静とはいえ、人数はこれまで以上に多かったですし、高齢の女性が多かったような気がします。
若者は、シールズががんばっていましたが、総じてやはり少ないのが気になりました。
もう一つ感じたのは、原発事故後のデモの時に比べて、警察があまり協力的ではなかった気がします。
これは思い込みのせいかもしれません。
節子と2人の、同行二人のデモ参加でした。
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