■節子への挽歌2872:手賀沼の花火大会
節子
今日は恒例の手賀沼花火大会です。
私も節子も、花火好きでしたが、節子がいたころは親戚や友人たちに声をかけてきてもらったこともあって、そのもてなしで、あまりゆっくり花火を見ることもできませんでした。
とりわけ節子はそうだったかもしれません。
節子が迎えた最後の年の花火大会は、おもてなしもできずに、節子も私も花火を見る気も起きず、病室に閉じこもっていました。
花火の音は、身体に響きますが、病身の節子には、かなり堪えたかもしれません。
花火を見に来てくれた人たちも、この年はわが家ではなく、花火会場に見に行ってくれました。
そのやりとりにいささか哀しい思いが残ったのを、いまも覚えています。
その時から、花火が少し嫌いになったのかもしれません。
それ以来、私自身は、人を呼ぼうという気がなくなってしまったのです。
今年は、同居している娘と節子の遺影と3人で花火を見ました。
娘が軽食を用意してくれました。
お母さんは、いつも何を用意しようか苦労していた、と娘が教えてくれました。
私から見れば、おもてなしは楽しい仕事だと思っていましたが、それなりに気の遣うことだったのかもしれません。
私自身がとてもわがままでしたから。
節子と2人で最初に見た花火は、滋賀県大津市の瀬田川の花火大会でした。
あまり覚えていませんが、浴衣姿の節子がとてもはしゃいでいたのを覚えています。
瀬田川の近くには1年ほど暮らしました。
前にも書きましたが、「神田川」で歌われているような、6畳一間に近い貧しいけれど幸せな暮らしでした。
あの頃が私たちにとっては、一番幸せな時代だったのです。
なによりも、お金がなかったのが幸せのもとだったと思います。
いまから考えても、実に慎ましやかな暮らしでした。
エアコンもなければ、暖房機もなかった、
テレビもありませんでした。
しかし、休日はいつも2人でした。
節子がいなくなったいま、私の暮らしはその頃のように慎ましくなっています。
節子がいない、慎ましやかな暮らしは、ただ慎ましいだけですが、それでも不幸せではありません。
慎ましい暮らしは、どこかで節子とのつながりを感じさせられるからです。
節子
今年は、ゆっくりと花火を見られましたか。
私は、いろいろと考えることもありましたが、ゆっくりと見ることができました。
来年は誰かを呼ぶことができるような気がしています。
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