■節子への挽歌2926:誕生日としての命日
節子
節子もよく知っているTさんが来ました。
彼女の妹さんが、昨年末、がんで亡くなったのです。
医療に対する不信感から一時は医療拒否になり、姉としては大変だったようです。
しかし、最後は医師への信頼も取り戻し、眠るように息を引き取ったそうです。
この種の話は、誰にでも話せることではありません。
たぶんTさんは、ずっと心に閉じ込めていたようです。
翌日、話を聞いていただきありがとうございました、とメールが届きました。
そして、改めて最後の様子を書いてきてくださいました。
とても感動的な話です。
妹さんの息遣いさえ伝わってくるような話です。
おそらくTさんには忘れられない日になったでしょう。
娘たちは命日よりも誕生日を祝いたいと言います。
命日は、どうも気が重くなるようです。
たしかに「楽しい思い出の日」ではありません。
哀しいばかりか、思い出すだけで、何か暗闇に引き込まれそうになることもあります。
しかし、私は、実感のない誕生日よりも、命日を大切にしたいと思います。
それに、私には命日は、節子にとっても私にとっても、新しい誕生日のような気もするのです。
節子が息を引きとった前後の記憶は、実は極めてあいまいになっています。
意識的に記憶から消去したいという脳の働きがあるのではないかと思うほど、あいまいです。
時間的な記憶の空隙もありますし、自分の意思で動いていたのかどうか確信を持てないこともあります。
しかし、だからこそ、私は命日を大切にしたいと思っています。
なにそこから新しい2人の時間が始まったのですから。
Tさんはいま、社会的にも大活躍している人です。
しかし、いま彼女は独身です。
妹さんは自分が看取ったが、自分は誰が看取ってくれるのだろうかというような話に少し向かいました。
これは彼女にかぎらず、多くの人の問題でもあります。
家族も、人の付き合いも、いま大きく変わりつつあるからです。
死を共有できる人がいるかどうかはとても大きな問題です。
節子の命日には、今年は誰も来ませんでしたが、何人かの人からお花が送られてきたり、節子はいまもなお見舞われています。
少し遅れましたが、また献花に来てくれる人もいるようです。
少なくとも、私は毎朝、お経をあげています。
節子は、良い時代を生きたのかもしれません。
命日から3日間、いろんなことを考えました。
ちょうど佐久間さんの「唯葬論」を読んだところでもあるせいか、看取り合うコミュニティを育てることを考えたりしました。
そういえば、その佐久間さんも花を送ってくれました。
節子はいま、花に囲まれています。
本当に節子は良い時代に行きました。
それがとてもうれしいです。
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