■ダイニングを変えるべきか、変えないべきか
今日の挽歌に「ご馳走」の話を書いたので、思い出したことがあります。
これも今日のことですが、電車に乗っていたら、こんなコピーのある広告が目につきました。
食卓をおしゃれにしてから 夫にはコンビニのお惣菜も ご馳走に見えているようださぁ ダイニングを変えよう。
家具販売店のIKEAの広告です。
現代を見事に象徴している広告コピーです。
たしかに、おしゃれでない食卓よりも、おしゃれな食卓での食事のほうが楽しいでしょう。
しかし、この広告は、コンビニのお惣菜はご馳走ではないと明言しているわけです。
そして、食事の内容よりも、食卓のほうが大事だとも言っている。
つまり、食事の内容よりも、ダイニングセットを大事にしようと言っているわけです。
どこか違和感を持ちながらも、私自身もこのメッセージは否定できません。
つまり、そうだよなと思ってしまうのです。
でも、どこかおかしい。
新聞やテレビのニュースは、内容がどうであろうと、私たちは、なんとなくそこに真実や信頼を感じてしまいます。
山本太郎という国会議員の発言よりも、阿部首相やなんとなく政治家らしい議員の発言を信じてしまう。
無名の人の発言よりも、大学教授の発言に信頼感を持ってしまう。
専門家の言葉は、信頼できるものだと思ってしまう。
どんなに騙されてきたかを忘れてしまう。
医師資格免許を持っていない人の医療行為には不信感を持ってしまう。
最後の例は、当然だろうと言われそうですが、私は大切なのは医療行為であって、資格の有無ではないと思っています。
大切なのは、内容そのものです。
そういう視点が、最近ちょっと忘れられているのではないかという気がしてなりません。
でも内容を問い質すのは難しい。
形を問題にして変えていくのは、それに比べれば簡単です。
だからついつい私たちは、内容よりも形式や肩書や手段を重んじてしまう。
こうした発想が、私たちの生き方そのものを覆いだしている。
この広告を見ていて、何か最近の私の生き方は間違っているのではないかという気にさせられてしまいました。
ダイニングをおしゃれにしたらご馳走に見えるようなものは、断固として拒否していこうと、改めて思い直しましたが、あまり自信がありません。
困ったものです。
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