■コモンズ空間としてのカフェサロン
私は、東京の湯島に小さなオフィスを持っています。
そこで27年間、中断した時期はありますが、カフェサロンを開催してきました。
そのオフィスを開いたのは、1989年(平成元年)の8月ですが、その時、1週間にわたって、オープンサロンと称して、友人知人に可能な時間に立ち寄ってくださいと連絡しました。
25年間、会社に勤務していましたが、そこを辞めた挨拶も込めての案内でした。
その案内に応じて、のべ100人を超す人たちが来てくれました。
なかには毎日のように顔を出してくれていた人もいました。
その体験が、その後の私の生き方に大きな影響を与えました。
そして、オープンサロンは「事務所開き」という意味ではなく、「誰にも開かれた」という意味のサロンとして、一時中断もありましたが、今日まで続いてきているのです。
私のテーマは「コモンズの回復」です。
オープンサロンは、それともつながっていき、いまではさまざまなテーマやスタイルのカフェサロンとして広がっています。
そして、誰かが何かを情報発信したい時には、その仕組みを活かしてもらうようにもなっています。
一時期、オープンサロンには20人を超える人たちが集まっていました。
テレビ取材を受けたこともありますが、目的もなく、ただただなんとなく人が集まる場に育っていっていました。
しかし、一緒にやっていた妻が病気になり、サロンは中断されました。
そして、妻は8年前に亡くなりました。
もうサロンはやるまいと思っていたのですが、友人たちからサロン再開の要請があり、2~3年ほどして再開しました。
しかし、やはり妻がいる時のようにはいかず、サロン開催を言っていた人たちも結局あまり来ませんでした。
言葉を真に受けてはいけないことを知りました。
その後、湯島に新たに来る人たちと話しているうちに、テーマを持った集まりを望んでいる人が多いことを知りました。
そして、テーマを持った話し合いのカフェサロンが広がりました。
最近は、シリーズ型のカフェサロンも数本あり、毎週のように湯島はサロンでにぎわっています。
またサロンによく参加する人たちのメーリングリストもできました。
ゆるやかなオープンプラットフォームネットワークに育っていけばいいなと思っています。
もしそういうものが育ってくれば、この湯島のオフィスもみんなに開放された、あるいはみんなでシェアするコモンズ空間になっていくかもしれません。
実は、それは27年前に私がコンセプトワークショップという会社を創設した時のビジョンの一つでもあるのです。
「コモンズの共創」です。
湯島のさまざまなカフェサロンで、世代を超えて、立場を超えて、いろんな人たちが、対等な立場で話し合う場を重ねていると、市民社会を生み出した公共的空間を体験している気がしてきます。
さまざまなテーマのすべてに私は同席していますので、私の世界はかなり広がりました。
そして、すべてのテーマはつながっていて、それを鳥瞰すると未来が見えてくるような気もしてきています。
長々と書いてしまいましたが、そんなわけで、このカフェサロンをもう一歩前に進めようという気になってきました。
そのためには、最初の原点に戻って、テーマのないオープンサロンをやはり基軸におこうと思い出しました。
長くなったので、明日また、この続きを書きます。
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