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2015/09/23

■緊急カフェサロン「安保法制成立をどう考えるか」の報告

急な呼びかけにもかかわらず、10人の人が集まってくれました。
ご多用の中を、仕事を犠牲にしてまで参加してくださった方もいました。
残念ながら、今回の安保法制やその採決のあり方に怒りと不安を持った人だけでした。
そもそもこの集まりを緊急開催したのは、私の反対姿勢に異を唱えた人たちと話し合いたくての企画だったのですが、一人も参加してくれませんでした。
やはり思いの深さの違いかもしれません。
そこにこそ、もしかしたら時代が凝縮されているような気もします。
しかし、幸いに、怒りのぶつけ合いには終わらなかったように思います。

参加者のおひとりが、「刃(やいば)は内に向けられている。私たち一人ひとりの生き方がどんどんと狭められている」と話されました。
私もまったくそう思います。
湯島でのこの種の話し合いも、来年はもうできなくなっているかもしれません。
しかし、その一方で、新しい動きも出てきたという話もありました。
若者は明らかに動き出していますし、大人たちも少しだけ政治に目覚めた動きもあります。
地殻変動が始まったと評価した人もいます。

いま大切なことは、「何を優先するか」です。
目先の問題にかまけて、大事なものを見逃してしまうような愚行だけはしたくありません。
ニーメラーのような後悔もしたくない。
そう思えば、一人ひとりが、いま何をすべきかは見えてくるでしょう。
そして、今日の10人が、明日の100人に広がることを念じています。

学ぶことを忘れてはいけないと参加した大学教授が話されました。
若者への言葉ではありません。
大学教授である自分も、若者から学ばなければいけないという意味です。
時代を切り開く真実は、いつの時代も「少数派」にあります。
あるいは、時代に染まっていない若者たちにあります。
いや、子どもたちかもしれません。

余計な知識の呪縛をすてて、素直に事実を見れば、裸の王様とその取り巻きのような愚行は犯さないでしょう。
なぜそれが多くの安倍政権支持者には見えないのか。
そのわけを知りたかったのですが、今回はそれができなかったのが残念です。

今回の集まりは一過性のものにしたくなく、継続させることにしました。
もし、今回の政府の進め方や安保法制の意義について、賛成の方で、問題提起してもいいという方がいたら、湯島の場所を提供し、私が事務局を務めますので、カフェサロンをやってもらえないでしょうか。
日程は、できるだけ合わせますので、ご連絡ください。

もし政府支持の人が手を挙げてくれない場合は、
次回は、「民主主義ってなんだろうか」をテーマにしたいと思っています。
また今回議論になった「国民投票制度」もテーマとして考えています。

出来ることから少しずつ、行動も始めたいと思っています。
それが時代の岐路とも言うべき、いまを生きる私たちの責任だろうと思います。

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コメント

 佐藤さんへ、


 >参加者のおひとりが、「刃(やいば)は内に向けられている。私たち一人ひとりの生き方がどんどんと狭められている」と話されました。
 >私もまったくそう思います。
 >湯島でのこの種の話し合いも、来年はもうできなくなっているかもしれません。
 >しかし、その一方で、新しい動きも出てきたという話もありました。
 >若者は明らかに動き出していますし、大人たちも少しだけ政治に目覚めた動きもあります。
 >地殻変動が始まったと評価した人もいます。
 
 先ず、ファシズムの靴音が密かに我々市民の近くに迫って来ているとの現状認識を首肯したく考えます。
 今の日本の政治状況をどのように捉えるべきか、誰もが少し思考を巡らしただけでもファシズム体制に突入していく寸前にあると云った一点に集約されるのではないでしょうか。
 現在の権力機構が意図してそれを画策しているのか、或いは敗戦の総括を蔑ろにしている国民・国家が招いた風潮の顛末(歴史的必然性)なのか、断定することは難しいのですが、しかしながら現政権とその随伴者達の振る舞いを観ている限りでは確実にそこに向かって日本は進んでいるように思います。

 >いま大切なことは、「何を優先するか」です。
 >目先の問題にかまけて、大事なものを見逃してしまうような愚行だけはしたくありません。
 >ニーメラーのような後悔もしたくない。
 >そう思えば、一人ひとりが、いま何をすべきかは見えてくるでしょう。
 >そして、今日の10人が、明日の100人に広がることを念じています。

 すなわち、今のこの状況から「SEALDs(シールズ)」やその他の反権力の運動をどのように位置づけるべきか、やはり“反ファシズム行動”として結集を図っていくのが次善の策なのかも知れません。
 先の大戦時における「治安維持法(大日本帝国)」や「夜と霧(ナチスドイツ)」等がその事例として挙げられるように、権力側はしばしばあらゆる手段を講じて外敵を捏造し、“反ファシズム行動”を利敵行為だと論い個人や団体を徹底的に弾圧・粛清して来ました。そうした事態が近い未来に顕在化して来ないとも限らないのです。
 さらに、“反ファシズム行動”もしくは“反ファシズム運動”はある種の困難さを抱えています。単なる反対運動に止まらずその後のことを視野に入れることや新たな展望を拓くと云ったテーマが立ちはだかるからです。
 以前ならば「茶色(ファシズム)」の瓦解による「黒色(アナキズム)」等への転換の可能性が唱道されましたが、そうした旧来のシステム論では近代化の進んだ社会においては問題解決のための最適解たり得ないかも知れないのです。
 何れにしても何等かシステムの構築は重要なテーマになるでしょうし、また“反ファシズム運動”を継続していくだけでも相当なコミットメントとエネルギーを必要とするでしょう。
 ファシズムが蔓延る社会では大多数の人々にとって閉塞感が漂う何とも詰まらない風景がどこまでも続いていると私は直観するのですが、そうした世界を是とするか否か、まさしく私達の選択に掛かっているのだと思います。
 
 また、会いましょう。

投稿: 向阪夏樹 | 2015/09/25 18:20

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