■節子への挽歌2938:逝く者の贈り物
節子
友人から聞いた話です。
ずっと頭に残っているので、書いてしまうことにします。
友人の妹さんががんになりました。
おそらく手術の際の不手際が原因で、その人は医療不信に陥り、医療拒否をするようになってしまったそうです。
症状が悪化しても、医師を受け付けなくなってしまいました。
友人は、妹さんの家に寝泊まりして看病しながら、なんとか医師に診てもらおうと思い、いろいろと工夫しました。
最後に苦肉の策で、医師とは言わずに、診てもらうようにしたそうです。
しかし医師とわかった途端に、彼女は拒否反応を示しました。
その時に、その医師が、彼女に厳しく言ったそうです。
「あなたは逝くかもしれませんが、残された方が笑顔になれません」。
その翌日、彼女は医師を受け入れだしたそうです。
しかしすでに時遅く、彼女は結局、逝ってしまいました。
しかし、最後はその医師ともとてもいい関係になっていたそうです。
おかげで、友人は笑顔を失わずにすみました。
まだ1年もたっていませんから、笑顔は無理でしょうが、いつか笑顔を取り戻す時が来るでしょう。
私も、彼女の笑顔をまた見たいです。
かなり不正確な記述ですが、この医師の言葉は、とても考えさせられます。
「逝く者の責任」と言ってしまうと冷たくなりますが、「逝く者の贈り物」と考えると、気分が和らぎます。
「逝く者の贈り物」に気づくのは、しばらくたってからです。
なかなか気づかないものです。
しかし、必ず何かを残してくれています。
それに気づくと、とても幸せな気持ちになれます。
そして、同時に、悲しさもまた戻ってくるのですが。
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