■節子への挽歌2928:森谷さんを見送りました
節子
森谷さんが亡くなりました。
もっとも、節子はそれほどお付き合いがあったわけではありません。
しかし、森谷さんは、節子の葬儀に来てくださいました。
江戸っ子気風の、律儀な人でした。
森谷さんは、私が住んでいる我孫子市での最初のNPOの設立者でした。
日曜大工が得意の森谷さんは、以前から独り住まいのお年寄りの家などをバリアフリーにするとか、階段の手すりをつけるとかのボランティア活動をしていました。
私はその時、知り合ったのですが、きっぷのいい江戸っ子気質でした。
その後、活動も広がり、NPOの先駆者のひとりとして各地に講演などにも行っていました。
ある時、相談があるんだと自宅に呼ばれました。
NPOの展開に関する相談でしたが、森谷さんが多くの独り住まいの高齢者たちにどれほど頼りにされているかが伝わってきました。
その後も、時々、呼び出され、時々、お会いしていましたが、ついに一緒に何かをするという機会はありませんでした。
節子が病気になってからは、付き合いも途絶えました。
しかし、節子の葬儀に、どこで知ったのか、森谷さんも来てくれました。
最後に会ったのは、私が勝手にある人を森谷さんにお引き合わせした時だったでしょうか。
その時は、珈琲をご馳走になったような、あるいは珈琲をご馳走したような、いずれかだったはずですが、なぜかそれが最後でした。
どうして、それ以来、会わなかったのか思い出せませんが、別に会わなくてもいつも会っているような人でした。
心がオープンで、嘘のない人でしたから、いつもつながっていたのです。
そんなに親しいわけでもなく、何か一緒にしたことがあるわけでもないのに、しかしなんとなく認め合える関係だった気がします。
時々、そういう人がいるものです。
その森谷さんが逝きました。
92歳でした。
森谷さんの遺影は、笑い顔のいい写真でした。
良い人生だっただろうなと思いながら、いろいろと思いだしながら、お経を聴いていました。
宗派をお聞きしませんでしたが、あまり聞いたことのないお経でした。
森谷さん
いろいろとありがとうございました。
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