■中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年の思うこと
今日、「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年」の記念式典が北京・天安門広場で開かれました。
日本も含めて欧米の首脳は参加しませんでした。
国連の潘基文事務総長の参加に対して、日本の菅官房長官は「国連は中立であるべきだ」と批判しています。
私には大きな違和感があります。
戦争を捉える軸が間違っていると思うからです。
習主席は演説で「抗日戦争の勝利で日本軍国主義の企てを徹底的に粉砕し、大国としての中国の地位を再び打ち立てた」と戦勝の意義を強調したそうです。
先の戦争で、勝ったのは誰か、敗れたのは誰か。
日本国民は、勝ったのでしょうか、負けたのでしょうか。
いうまでもなく日本という国家は負けました。
それが国民にとって良かったでしょうか、悪かったでしょうか。
もっと具体的に言えば、あなたにとってはどうだったでしょうか。
私は、よかったと思っています。
日本国家は負けてよかった、と思うのです。
間違いを正してくれた、連合国には感謝したい気分です。
なんという非国民かと怒られそうですが、いまの日本に誇りを持っていますから、なんと言われようと構いません。
習主席のいう「抗日戦争」の「日」は、日本国民ではありません。日本軍国主義です。
「中国人民抗日戦争」と「世界反ファシズム戦争」が併記され、それへの勝利が祝われたのです。
だとしたら、敗戦によって解放された日本の国民もまた、祝ってもいいのではないか。
国連は中立であるというのは、国家の次元の話で、人々の平和という創設の理念から考えれば、反ファシズムを祝うのはおかしな話ではありません。
潘事務総長に関してもいろいろと言われていますが、菅官房長官の見識よりも、私は納得できます。
とまあ、私はこんな風に考えるのです。
先の戦争で、私たちは何を学んだのでしょうか。
負けたことを悔やんでいるのでしょうか。
私にはその感覚は全くありません。
もし負けていなかったら、いまのような精神的に豊かな生活はできていなかったと思うからです。
こんなに誇れて、好きになれる国にはなっていなかったかもしれません。
安倍首相から「愛国心を持て」などと言われなくても、日本が大好きです。
先の戦争で、日本軍国主義が粉砕されたことを喜び、祝いたい気分です。
「終戦」は「敗戦」をごまかした表現だと言われます。
そんな姑息なことをやっているから、敗戦状況が永続するのだとも言われます。
しかし、私としては気分的には、1945年8月15日は「戦勝記念日」と捉えてもいいのではないかとさえ思います。
日本国民は、自らによってではないかもしれませんが、アメリカや中国のおかげで、間違った歴史の歩みから解放された。
たしかに、他国と違って、ゲリラ活動も市民活動も起こりませんでしたが、国内外の見えないところで、さまざまな思いと活動があったように思います。
習主席は演説で、列強の侵略を受けた歴史からの決別と、平和的な台頭を目指すという中国の立場を強調し、中国軍の兵力30万人削減を表明したそうです。
これもうれしいことです。
軍事力の抑止理論から、オスグッドの一方的軍縮論に変わったとは言いませんが、まあうれしい話です。
戦いの構造を間違えてはいけません。
国会周辺のデモも大事ですが、世界を見る自らの目も問い質したいものです。
80年前の世界から学ぶことは、山のようにあります。
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コメント
佐藤さんのご意見に同感です。本当に負けて良かったと思っています。中国に対してどんな酷いことをしてきたかいくら反省しても、お詫びしてもしきれるものではありません。先日、森村誠一原詩、渡辺晋一郎作曲の「悪魔の飽食」7部作の合唱曲を杉並公会堂で聴いてきました。
これは日本人全員が涙を流し、心して聴き、歌はなければならないと思います。
ただ、あの軍事力を誇示したパレ-ドには違和感を覚え、顔をそむけました。国民が共に祝える、世界の人々が融和する暖かい祭典にしてほしかったです。ミサイルも戦車も二度と見たくありません。
投稿: 林知子 | 2015/09/04 09:57
林さん ありがとうございます。
私も、あのパレードは生理的に受け付けられません。
中国の自信のなさでしかありません。
しかしパレードで誇示するのは、自身のなさ、弱さの表明でしょうね。
もう一歩で、きっとあったかい祭典に向かうと思いたいです。
投稿: 佐藤修 | 2015/09/04 10:28