■節子への挽歌2947:生活を共にすることの価値
節子
今日は秋晴れのいい天気です。
久しぶりに畑に行きました。
先週、種を蒔いていた大根が芽を出していました。
植物のすごさは、いつも感動的です。
季節違いに植えたさつまいもはやはりダメそうです。
いまは収穫のない時期なので、もっぱら野草との闘いですが、野草とも何か連帯感が育ってきています。
付き合う時間が重なってくると、親しみは増すものです。
節子との関係も、そういう面もあったのかもしれません。
生活を共にするという意味は、大きな意味をもっています。
節子がいなくなってから、つくづくそれを感じます。
白菜の種も蒔いてしまいましたが、肥料をやるのが面倒なので、何もせずに蒔いたのでいささか心配です。
でもまあ、彼らの生命力に期待しましょう。
先日、来春用のチューリップの球根も買ってきましたが、まだ百日草が元気なのでもう少し待とうと思います。
まあそんな感じで、畑もポチポチです。
そういえば、今年はトンボをまだ見ていない気がします。
例年ならもう出会っているはずですが、今年はセミも少なかったですが、トンボはさらに少ない気がします。
少しだけ畑をやっているだけでも、自然の表情の変化が意識できます。
同時に、生命との出会いもかなりあるのです。
今年の畑は、生き物が少ない気がします。
私ががんばって、環境を破壊し、生き物を追いやってしまったのかもしれません。
生きるということは、残酷なことなのかもしれません。
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