■節子への挽歌2942:闘うことを忘れるな
節子
昨日のサロンはとてもよかったです。
友人の話も感動的でした。
大川さんは自分が関わった裁判の被告のことを話している時に、涙ぐみました。
大川さんはとても明るいやさしい人で、涙など見たことがありませんでした。
その被告は、冤罪によって生活を破壊されたのです。
幸いに大川さんたちの弁護活動で、その人の冤罪は晴れたのですが、すい臓がんでその人は亡くなりました。
息を引き取る前日、大川さんに電話があったそうです。
冤罪が晴れたところで、すべてが解決したわけではありません。
その思いを、彼は大川さんに伝えたかったのでしょう。
そして大川さんは、それに応えて、いまも彼のことを忘れずにいる。
深い感動を覚えました。
大川さんは大学時代のクラスメイトです。
節子は会ったことはありませんが。
私と違って、社会の表舞台で、正面から不条理に立ち向かい、闘ってきた人です。
社会から脱落した私とは大違いです。
そのせいか、ゆっくり話す機会は最近までありませんでした。
昨日の彼の話を聞いて、そのことを悔やみました。
大学時代、私が触発された先生の一人が「刑法」の団藤重光さんです。
その後、最高裁の判事になった人です。
団藤さんの講義で、ドイツの法律家のイェーリングの「権利のための闘争」を教えてもらいました。
しかし、いつの間にかそれをすっかり忘れていました。
大川さんの、長い、静かな、そして勇気ある取り組みは、まさに闘いだったのです。
それも理解せずに、彼が関わった司法改革を批判したことを少し反省しました。
人の思いは、外からはなかなか見えないものです。
久しぶりに大学時代のことを少し思い出しました。
節子に合わなかったら、違った人生になっていたかもしれません。
もちろん節子も、私と会っていなければ、まったく違う人生になったでしょう。
大川さんは、いまを「闘いを忘れた時代」だと言いました。
穏やかで、いつも笑顔の大川さんの口から、そういう言葉が出るとは、思ってもいませんでした。
その言葉がとてもうれしかったです。
闘いを忘れていなかった人がいたのです。
私も、「闘い」を忘れた「凡庸」な存在にならないようにしなければいけません。
節子からも静かな闘い方を学びはしましたが、節子がいなくなってから、闘う気力も萎えていました。
大川さんの話を聞けたことに感謝しなければいけません。
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