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2015/09/01

■節子への挽歌2923:節子への供養の言葉

節子
今日はまた、節子を褒めてくれた人の話です。
まあ8回忌の供養の大盤振る舞いで、書いておきましょう。

転職先を探していたSさんから、勤め先が決まったというメールが来ました。
そこに、8年前の話が書かれていました。
Sさんに無断での引用です。

以前、私が、仕事を実質的に失い、呆然とした状態で突然、佐藤家にお邪魔した日のこと、よく覚えています。 その日、奥様は病気が深刻なものであることをお知りになり、ご自身もさぞかしご心痛な時期に突然の訪問者である私にとてもおもいやりのある言葉をかけていただきました。 自分自身の状況ばかり心が行き、他者様への配慮が欠けていた私は、そのことと自分自身の至らなさに身を縮める思いと奥様と佐藤さんのお気遣いに触れ本当に有難く存じました。 その日、その時のことをよく思い出しながらも、今日まで、その時の佐藤家の本当に大切な時間に突然乱入し且つ自分の苦境のみを夢中で訴えていた自分が恥ずかしく言葉にできませんでした。 ただ、今、就職が決まりました機会に言葉にさせていただきます。 思えば、この日が佐藤さんとのお付き合いを再開させていただいた最初の日であり、同時に佐藤節子様との一期一会の出会いの日でした。

節子の胃がんが再発し、症状がかなり悪化してから、見舞いではなく、わが家に来た人はSさんだけではありません。
最後の2か月ほどは、私にも全く余裕がなくなっていましたから、対応はできませんでしたが、それまでは突然近くに来たのでと言って、立ち寄ってくださる人もいました。
その人は、まさかそれほど妻の症状が悪いとは知らないでしょうから、むしろ善意で立ち寄ってくれたはずです。
夫婦で立ち寄った方がいますが、さすがにその時には、節子は対応できず、私だけで対応しました。
気もそぞろだったと思いますが、おふたりはどう感じたでしょうか。

たぶんSさんも、途中でなにか雰囲気を感じたのでしょう。
Sさんのこのメールを見て、私の未熟さを痛感しました。
私は、どうしても思いが表情に出るタイプなのです。
Sさんにもきっと違和感を持たせてしまったのだろうなと、反省しました。

しかし、それはそれとして、Sさんから改めてこう言われると、なにやらとても褒められたような気がします。
私が、でなく、節子がです。

Sさんは、その後も、献花に来てくださいました。
節子だけでなく、私がへこんでしまっている時には、元気づけをしに来てくれました。
私は何のお役にも立てませんでしたが。

そのSさんの就職が決まりました。
命日を前にして、何かとてもうれしいです。
私がどんなに節子を褒めても、節子は喜ばないでしょう。
しかし、Sさんからのこうした言葉は、節子への最大の供養です。
節子にも、さっそく報告しておきました。

自分が精神的に弱っている時には、他の人のことがとてもよく見えるものです。
そして世界も、よく見えてきます。
だからこそ、Sさんのような言葉のうれしさは、大きいのです。
言葉だけではないからです。
そういう体験をしてしまうと、言葉だけの慰めや言葉だけのお褒めの言葉を見分けられるようになります。
その分、生きづらくもなりますが、生きやすくもなるのです。

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