■節子への挽歌2945:心にポッカリ穴が空いた感じ
節子
今朝、20年ほど会っていない若い友人からメールが届いていました。
彼は毎年、必ず年明けにメールをくれます。
そして今年こそ湯島に行くといつも書いています。
しかしまだそれは実現されていません。
彼との接点は、そう多かったわけではありません。
ある自治体の都市計画を策定するときに協力してもらったことがあるだけです。
それも直接ではなく、一緒にやった友人の大学教授の学生だったのです。
しかし、どこか羽目を外したところがあり、ずっと気になっていました。
なぜか彼も私を気にしてくれていたようです。
毎年、年初に近況報告も含めた長いメールが届きました。
しかし、彼が卒業してからは一度も会っていません。
その彼からのメールです。
年初でもないのに、何事だろうと思いながら開いてみました。
書き出しはこんな文章でした。
このたび、父が9月25日に他界いたしまいた。 今なら愛妻を亡くした佐藤様の気持ちがよくわかります。
やはりそうかと思いました。
久しぶりにメールをくれる人の多くは、いつも重い内容なのです。
彼のお父さんが、数年前に脳梗塞をおこし、認知症気味になっていたことは知らされていました。
彼はこう続けて書いてきました。
父を預かっていただく、介護施設は少なく、 体重、身長とも大きな父の介護は母では無理であったので 私自分の仕事を辞め、命は二度と帰ってこないと思い、父の介護をがんばったのですが残念です。
野崎泰伸さんが書いた「共倒れ社会を超えて」という本があります。
自らも障害を持つ野崎さんは、いまの社会がいかに生きづらいか明らかにしています。
そうなっているのは、みんな自分で問題を引き受けすぎているからだとも示唆しています。
そのことを思い出しました。
彼も引き受けすぎ、背負いすぎていたような気がします。
そうならないように、今年のはじめに来た彼からのメールにも、一度、湯島に話に来ることを誘ったのですが、たぶんその時間さえなかったのでしょう。
問題を抱えた途端に、逆に小さな世界に埋没しがちなのです。
そういう社会の仕組みは、変えていかなくてはいけません。
そのためにも、もっと人の繋がりを育てていくことが大切だろうと思います。
彼はさらにつづけて書いています。
私には相談できる年長者が周りにいない状態です。 ご迷惑と思いましたが、父の年に近い佐藤様の事を思い出し、メールした次第であります。 今は、毎日介護していた、父がいなくなり心にポッカリ穴が空いた感じで深い悲しみの中にいます。 悲しみの中から抜け出し、ちゃんと生きていかなければと思うのですが、悲しくて、涙ばかり出てきます。 湯島に行き、悲しみからどう抜け出せばよいか相談することもあると思いますが、その節はよろしくお願いできればと思います。
年寄りにもできることはあるのです。
いつでも湯島にどうぞと返事を書きました。
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