■節子への挽歌2965:さて明日は何を着ていこうか
節子
急に寒くなってしまいました。
相変わらず気温の変化は目まぐるしいです。
季節の変わり目には、どうも着るものがなくなってしまいます。
というよりも、何を着ればいいかわからなくなる。
身の回りのことをすべて節子に任せていたことで、私の生活力は極めて乏しいようです。
困ったものです。
夕方、娘に頼んで近くのイトーヨーカ堂に買い物に行きましたが、どうもぴったりするのがありません。
明日は出かけるのですが、いまあるものを組み合わせて着ていくことにしました。
しかし、着るものを選ぶのは、実に面倒です。
おしゃれを楽しむというタイプでは全くありませんので。
実は食事もそうです。
いまは基本的に娘が用意してくれますが、食文化を楽しむというのも不得手です。
娘はせっかく時間をかけて作っても10分で食べ終わるのでは張り合いがないと言います。
政治哲学者ハンナ・アーレントは、生命維持のための労働 laborと新たな価値を創りだす仕事 workとを区別しました。
そういう区分で言えば、私は労働をできるだけ極小化したいという性癖があります。
そして、その時間を節子がかなりカバーしてくれていたのです。
そういう生き方への批判も節子から受けていました。
たとえば、もっとゆっくり食事をしたらという指摘です。
食卓で団欒していてもやりたいことがあると、もう上に行っていいかなと仕事場に行くこともよくありましたが、節子はそれをあまり喜んではいませんでした。
それでも節子は、私のそうした生き方を支えてくれていました。
だから私は、思う存分、わがままにやりたいことに専念できたのです。
節子や家族には、いつかきっと返せるだろうから、とも思っていました。
節子がいなくなってから、どれだけ節子の世話になっていたかを思い知らされました。
しかし、わかったからと言って、すぐに生活は変わるものではありません。
そのしわ寄せは娘たちに行ったのでしょう。
悪いことをしました。
家族とはいえ、妻と娘はちがう存在ですから。
節子がいなくなってから、少しずつ私も生活力を身につけてきました。
まあ今では一人でも大丈夫でしょう。
それでもいつも季節の変わり目は、何を着たらいいのか、困ります。
さて、明日は何を着ていったらいいでしょうか。
急に寒くなって、困ったものです。
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