■節子への挽歌2973:人はやはり素晴らしい
新しい出会いのことを書きましたが、最近、無性に本を読みたくなっているのも、そのせいかもしれないと気づきました。
本もまた、世界を広げてくれることは間違いありません。
読書の面白さは、新しい世界との出会いですが、同時に感動的な人に出会うことも少なくありません。
いまは机の上に、読もうと思っている本が20冊近く積まれています。
1冊の本を読むと、そこからまた数冊の本を読みたくなることも少なくありません。
そうやって机の上には書籍の山ができていくわけですが、これも不思議ながら、ある時、読書気分がパタッととまるのです。
そして積んだ書籍の山はなくなります。
読まずに書棚に戻る本も少なくありません。
そのため、私の書棚には読んだことのない書籍がかなりあります。
最近は、ほとんど書籍は買わずに、図書館から借りるようにしています。
自分の書籍だと、またあとで読もうということになりかねませんが、図書館から借りるとそうもいかないので、必ず読むようにしています。
ですから図書館から本を借りる時には、いささかの緊張感が必要です。
書籍で出会った人から、自らの生き方を問い質させられることも少なくありません。
水俣の緒方さんの「チッソは私だった」は衝撃的で、読んだ直後はすぐにも会いに行きたい気分でしたが、行くだけの勇気が出ませんでした。
渡辺清さんの「砕かれた神」は、ただただ驚きました。
今朝、時評編で書いた矢部喜好さんの生きざまは、長いこと、私の頭から離れませんでした。
みんな私にはあこがれる生き方ですが、なかなか自分がそうなれるわけではありません。
しかし、そういう人がいたことを知っているだけでも元気は出ます。
そういう人に出会うのは、もちろん書籍のなかだけではありません。
今日、湯島で子どもをテーマにした集まりをやっていました。
15人も参加してくれましたが、一人、遠くの山梨からわざわざ出てきてくれた人がいます。
その人の生き方は、それはそれは普通ではできない生き方です。
精神に障害を持つ人たちの施設で働きていたのですが、そこに入所していた兄弟を、引き取って、自分の家で生活支援をしているのです。
引き取った理由に感動しました。
湯島には、時々そういう人が来ますが、そういう人に会うと、自分の生き方の中途半端さに、恥ずかしくなることもあります。
書籍の話を書こうと思っていたのですが、結局は人の話になってしまいました。
世界は、人が創りだしているのですから、当然と言えば当然ですが。
昨日は、新しい出会いが元気をくれると書きましたが、
すごい人に会うと、頭を打ち砕かれるような気になることもあります。
今日は、書きだした時に思っていたのとは全く違うことを書いてしまいました。
やはり今日の細田さんの話があまりに衝撃的でした。
細田さんというのは、山梨から来た人です。
実にすごい。
一度ゆっくりお話をお聞きしたくなりました。
今日、サロンが終わってから頭がくらくらするのは、彼女の話を聞いたせいかもしれません。
他者の人生に、自らの人生をかけていく。
以前に書いた、大西さんもそうですが、人はやはり素晴らしい存在です。
人を嫌いになる必要はないのです。
支離滅裂な内容ですみません。
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