■節子への挽歌2972:新しい出会いがくれる元気
節子
節子もよく知っているように、私は人と会うのが大好きです。
人と話していると元気になります。
しかし、最近は人と会うのが嫌になることがあります。
とても矛盾しているのですが、そうした正反対のふたつの感情が同時にあることも少なくありません。
会うのはうれしいけれど、会いたくない気分もある、ということです。
その理由は、人に会うと、いろんなことを背負いかねないからです。
私は、人と会うということは、何かをシェアすることだと考えています。
ですから、人に会う時は、相手から頼まれようと頼まれまいと、この人に自分はどう役立てるのか、を考えます。
前にも、ある人から、佐藤さんは人に会う時に何を考えていますか、と訊かれて、即座にこの言葉が出てきました。
我ながら、その時は驚いたのですが、その習性は身についています。
理屈ではなく、心身がそう反応するのです。
以前は、それが、つまり人に役立てることがうれしかったのです。
問題を背負い込むことも楽しかったのです。
それを、消化できていたからです。
消化できない問題は、節子にもシェアしてもらいました。
しかし、最近は、問題を背負い込みすぎて、疲れだしています。
それに、問題を理解しても、できないことが増えてきました。
消化能力が大幅に低下しているのといざとなったらシェアしてくれる節子がいないからです。
ですから人と会うのが、以前と違って、少し気が重くなりだしているのです。
「知ったものの責任」を果たせないことは、自らをさいなむことになりかねません。
にもかかわらず、人と会うのが好きです。
特に好きなのは、新しい人との出会いです。
間違いなく世界が広がるからです。
最近は昔ほど、新しい出会いはありません。
それでも先週は5人の新しい出会いがありました。
今週は2人ほどです。
そのおひとりと今日、会います。
さてどんな世界を分けてくれるのでしょうか。
今朝、ふと気づいたのですが、
私がいまもなお、それなりに元気で生きていられるのは、
こうした「新しい出会い」のおかげかもしれません。
世界が広がらなくなると、私はたぶん生きていけないタイプです。
最近元気が出ないのは、「新しい出会い」が少ないからかもしれません。
すべてが節子のせいではないのです。
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