■安保法制騒動を考える8:違憲立法の意味
安保法制騒動の論点のひとつは立憲主義の是非でした。
立憲主義がないがしろにされてきているのは、この騒動に始まったことではありません。
政治学者の中野晃一さんは、「右傾化する日本政治」(岩波新書)の中でこう書いています。
長らく9条に照準を合わせた改憲論は、近年では西洋近代の立憲主義そのものに対する攻撃と化しつつある。
立憲主義を否定すれば、改憲など不要です。
改憲できないなら、無視すればいいというわけです。
今回の安保法制騒動は、そのことをだれの目にもわかるようにしてくれました。
その気になれば、ですが。
そうした大きな流れを踏まえて、今回の騒動を考えていくと、見えてくることも違ってきます。
戦後レジームからの脱却こそが、安倍首相のビジョンです。
そして多くの国民もまた、それを支持しています。
いまもってなお、40%を超える国民が、憲法をないがしろにする政権を支持しているというのですから、驚くしかありません。
前にも引用した木村さんが言っているように、「憲法を燃やすことは、国家を燃やすこと」なのです。
安倍政権の「日本を取り戻そう」の主語に関しては、以前も書きましたが、安倍首相の発言の意図は、日本の人民の手に取り戻すのとは逆の方向です。
そこが言語の恐ろしいところです。
「戦後レジームからの脱却」とは何なのか、もし誠実な人生を送りたいのであれば、きちんと考えなければいけません。
しかし、日本の国民は、「臣民」であることを願っているのかもしれません。
政治の動向よりも、経済のことが好きのようで、相変わらず「経済成長」とか「雇用」とかに関心を向けています。
以前、「雇用」よりも「仕事」が大事だとこのブログで書いたら、厳しいお叱りをいろいろといただきました。
雇用と仕事の区別さえ、つかなくなっているとしたら、もはや何をかいわんやです。
日本人は臣民としての生き方に隷従したいのだろうと、400年前に「自発的隷従論」を書いたエティエンヌ・ド・ラ・ボエシには見えるでしょう。
武田文彦さん(究極的民主主義研究所所長)は、憲法違反罪は厳罰に処すべきだと言っています。
取り締まる人の手加減で、逮捕されたり逮捕されなかったりする法律違反に比べれば、憲法に違反することは大ごとだと思いますが、田母神さんのように、憲法違反してもいいのだと公言する防衛関係の公務員(当時)さえいるのです。
しかも彼は、少なからずの人たち(若者も多いようです)からの共感さえ受け、政治活動を行っています。
戦後、戦犯と言われた人たちが、政治家になり官僚になったこともある国ですから、仕方ないのかもしれませんが、いかにも情けないことです。
違憲立法された法律に従うことも「法治主義」というのでしょうか。
たぶん「法律」の意味が大きく変質しているのです。
いまの日本は、司法権のみならず、立法権もまた行政権に取り込まれ、三権分立ではなく、統治権優先の全体主義国家になりつつあるような気がします。
今回の安保法制騒動は、それがいよいよ表だっte動きだした事件のように思います。
「憲法を燃やした」ツケは、たぶん大きいでしょう。
しかし、まだ諦めることはありません。
沖縄の県民のように、諦めずに、隷従することなく、できることをやっていくことが大切でしょう。
翁長知事をはじめとした、沖縄の人たちに、元気をもらっています。
安保法制騒動と沖縄基地問題は、コインの裏表です。
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