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2015/10/08

■節子への挽歌2957:自然の中にいると哲学者になる

節子
たまっていた宿題をほぼ完了しました。
思っていたほど、大変ではなかったということです。
最近は、社会にあまり役立っていないことがよくわかります。

午後は、畑に行ってきました。
今日はいつもよりだいぶ頑張りました。
小松菜とほうれん草も蒔いてきました。
畝づくりが大変でしたが、新しいところを開墾して、畝をつくったのです。
時期的にちょっと遅れてしまったかもしれません。
それでも、この3日間で、畑らしい部分がかなり広がりました。

昨日と違い、今日は赤トンボがすごかったです。
昨日も、こんなに飛んでいたのかもしれません。
畑の赤トンボはとてものどかでいいです。
休んでいると、時に、私の頭にもとまるのです。
のどかさを感じます。

土を耕していると、いろんなことに気づきます。
自らの身体機能の衰えもよくわかります。
自らの性格や行動のくせも、よくわかります。
植物にも感情や意思があることもわかります。
それ以上に、畑にいると自らの役割というか、「仕事」がいくらでもあるのです。
仕事があるということは、自分の居場所を実感できるということです。
自然の中では、すべての生命の居場所がある。
そしてみんな役立っている。
そんなことも考えさせられます。

私の好きな「小さな村の物語 イタリア」に登場してくる人たちは、何らかの形で自然に関わっている人が多いです。
だから、みんな豊かで幸せなのでしょう。
自分の居場所を実感しているのです。
だからこそ、その言葉には含蓄がある。
哲学者は、たぶん自然の中から生まれてくるのだろうと思います。

畑はいいです。
ただわが家の農園は、きちんとした畑ではなく、住宅に挟まれた空き地なので、仲間がいないのです。
だから、想像力を高めなければ、実のところ、農業者気分は高まらないのです。
そのためか、中途半端な哲学者で留まっています。
それでも、時にそんな気分になれるのは、土と草と虫のおかげです。

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