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2015/10/21

■安保法制騒動を考える7:安全の抑止力

今回は「抑止力」について考えてみます。
私は、軍事力(攻撃力)の増強は攻撃の「抑止力」になるのではなく、むしろ「誘発力」になると考えていますが、この考えはなかなか共感を得られずにいます。
ここで「誘発力」とは、他国からの攻撃を誘発するという意味もありますが、自らが他者(他国に限りません)を攻撃してしまうという意味での「誘発力」も含意しています。
名刀を持つと、ついつい使いたくなるということです。
戦争の構造が、対他国だけではなく、対自国民、あるいは国家を超えた人民にも広がっていることを考えれば(実際には昔からそうなのですが)、自らの攻撃を誘発するという意味がわかってもらえると思います。
さらにいえば、構造的暴力という「見えない戦争」にも、これは大きな効力を持つはずです。
戦争というものの形が大きく変わってきているという状況の中で、考えてもらえるとうれしいです。

安保法制に賛成の方の論拠の一つが、国際情勢の変化です。
具体的に言えば、中国や北朝鮮の脅威に対して、日米同盟を強化し、いつでも立ち向かえるようにしておかなければいけないと不安感があるのでしょう。
攻めて来られないように、自国の軍事力を増強したい、防衛だけではなく場合によっては先制攻撃できるような「軍事力」を持ちたい、アメリカ軍隊との関係を強化し、その助け(虎の威)を借りたい、ということでしょうか。
なにしろ、日本が攻められていなくても、世界中どこであろうと、戦争が起こっているところには出かけていけるのが、集団的自衛権の含意するところです。
直接的には他国を守ることを目的とした権利ではないのです。
現在の政府は、そのあたりをあいまいにしながら、「日本の自衛」につながると説明していますが、要はどこの戦争にも参加できるということです。

国際情勢の変化でよく言われるのが、中国や北朝鮮、あるいは韓国です。
例えば、中国の軍事力増強は驚くほどです。
南シナ海での行動も、たしかに目に余ります。
しかし、それを防止するのは軍事力ではないでしょう。
それに、中国や北朝鮮が、日本を侵略しに来ると、本当に思っている人がいるのでしょうか。
国際情勢、とりわけ日本周辺がきな臭いと思わせることで、利益を得ている人たちがいるはずです。
そうした「脅し」に乗せられてはいないでしょうか。
いささか極端ですが、北朝鮮の拉致問題が解決したら困る人もいるかもしれません。
私は、安倍政権もそう考え、総行動しているだろうと思います。
話がそれてしまいました。

しかし、そもそも軍事力はほんとうに戦争の抑止力になるのでしょうか。
いや、これまでの歴史で、抑止力になったことはあるのでしょうか。
私には、そこが大きな疑問です。
力が相手の攻撃を抑止するなどと思うのは、暴力や権力に媚びて生きているからではないでしょうか。
人は、自分の生き方や考えで、物事を決めていくものです。
軍事による抑止力論は、弱い者いじめをして生きている人たちの考えではないかと、私には思えてなりません。
だいたい権力者や支配者は、弱いものの犠牲の重ねてきた人が多いでしょうから、きっとそう思うのです。
私のように、貧しく生きていると、周りの人を信じなければ生きていけません。
普通の人たちは、寄り添って、支え合って、信頼し合って生きなければ、生きてはいけないのです。

1980年代には、核兵器による抑止論に対して、オスグッドの段階的軍縮論がありました。
つまり、不信による安全保障から信頼による安全保障へと、大きな歴史はその方向で動いてきたはずです。
机上論では軍事力増強や軍事同盟は、戦争や攻撃の抑止効果を持つのかもしれませんが、歴史はそうはなっていないのではないか。
私にはそう思えます。

相手に対して攻撃する意図がないことを示すために、人類は、握手やお辞儀という方法を発明してきました。
その人類の長年の知恵を大事にしたいと思います。

中途半端な説明になったので、納得してもらえなかったかもしれませんが、国家による軍事力増強や国家間の軍事同盟は、決して安全にはつながりません。
アメリカでの銃器発砲事故の多さを思い出していただきたいと思います。
私の信頼する友人でさえ、私のこの意見には賛成してもらえないのが不思議です。

もし攻撃されたらどうするのか。
それは攻撃されるような存在だったことを悔やむしかありません。
そうならないように、生き方は誠実でなければいけないと思っています。
国家のあり方も、同じではないかというのが、私の考えです。
リアリティがないと、よく言われますが。

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