■節子への挽歌2980:人生の疲れ
節子
新潟の金田さんが湯島に来ました。
湯島のサロンの話から、節子の話が出てきました。
金田さんもこの1年、いろいろあったようで、「悪いことはなんでこんなに重なるのだろう」と先日電話で話していましたが、本当にそうです。
そこで、最近の私の体験から、ちょっと意識が変わると、それが「良いこと」の重なりに転化するかもしれないと話しました。
確信は持てませんが、自己予言の成就などということもありますので、もしかしたらそうなるかもしれません。
金田さんとは長い付き合いです。
後でお互いに知り合うのですが、共通の友人知人も少なくありませんでした。
しかし、そういう共通の友人知人もだいぶ少なくなりました。
さびしいと言えばさびしいですが、まあ人生とはそういうものですから、さびしがることもありません。
金田さんと話していて、私も昔のことをいろいろと思いだしました。
私が25年間過ごした「会社時代」は、日本の経済がとても元気に前に進んでいた時代です。
働くのがとても楽しく、かなり自由に働けた時代です。
会社を辞めてからも、この湯島にもいろんな人が来ました。
いまでは考えられないことです。
いまも活躍している人たちは少なくありませんが、もう鬼籍に入った人も少なくありません。
節子が病気になってから、私の生活は一度、終わりました。
世間づきあいもほぼ止めました。
そこで縁が切れた人もいます。
その時に、わが家まで献花に来てくれた人たちは、むしろ生活にさえ困っているような人が多かったです。
いわゆる競争社会の「負け組」に属する人が多かったかもしれません。
そして、「社会の負け組」は、実は「人生の勝ち組」なのだとその時に気づかされました。
つまり、競争に勝っているときには、見えなかったものが見えてくる。
そこにこそ、人生の幸せや豊かさがある。
最近はそんな気がしています。
しかし、豊かな人生は、時に疲れるものです。
なにしろ、山あり谷あり、重荷ありですから。
節子がもし、病気になっていなければ、私の人生はかなり変わったものになったでしょう。
湯島で次の来客まで時間があったので、本を読んでいたら、ついつい眠ってしまいました。
やはり私もちょっと疲れています。
日々の疲れというよりも、人生の疲れかもしれません。
疲れる人生は、豊かな証拠かもしれません。
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