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2015/10/25

■安保法制騒動を考える番外編:読者とのやり取り

安保法制騒動考10回が終わったので、フェイスブックで紹介しました。
お人知の方から、とても長いコメントをもらいました。
前にも紹介したことがありますが、私の意見には納得していない方のおひとりです。
とても誠実な方です。

それで、その方のご意見と私の回答を、長いですが、ここにも再掲させてもらいます。
安保法制騒動考の補足にもなると思いますので。

〔読者からのコメント〕
やはりご説にはいささか違和感を覚えてしまいます。世界には軍備(抑止力)を持たない国はごく少数存在しますが(対立や脅威、力のないミニ国家、彼保護国、駐留軍が代替〜一時の日本とドイツ、など)、実際は集団安保体制や大国の庇護下に入っており、無手勝流の国は存在しないのではないでしょうか。日本国憲法第9条を参照したドミニカが該当すると言われますが、強力な警察が事実上その機能を果たしているに過ぎないようです。中南米諸国等は、クーデターなど対内誘発力の悲惨な体験を経て軍を解体した例もありますが、国内が内乱で滅裂となり、なかには再軍備せざるを得なかった国(モルディブ、ハイチ、セイシェル等)もあるとのことです。これらのケースではいわば民度や文化の問題も絡んでいると考えられますが。
今回法案への賛成の根拠は、私の場合、国際情勢の変化だけを見据えたためでもなく、また残念な表現である力への媚びや弱いものいじめ根性由来のものでも全くありません。人類が遠い将来ついに覚醒するのか否か知る由もありませんが、それまでの間は現実に蓋をしたまま理想論に耽ることはできないとの認識からです。残念ながら誠実や正義が通用しない政府が現存します。確かに中国が日本を直接的に侵略する事態は考えにくいことですが(本当は臆病で保身本能が強いことは、あの万里の長城から知れます)、他面、民族の宿痾と言える強烈なメンツ、中華思想、領土的野心、強欲などに由来し、かつ一党独裁政権保持のために、核心的利益と内外に嘯いてしまった事案とりわけ尖閣問題が衝突事態を惹起する危険性は相当程度大きいと言わなければなりません。今盛んに貶日行為に狂奔中ですが、その目的は衝突時に国際世論が少しでも味方になってくれるための伏線である可能性を否定できるでしょうか?さらに、賛成側のなかには大戦時のソ連の卑劣な侵略と暴虐を想起した向きもあったと思います。逆に反対側には、ブッシュやチエイニーが動いたイラク侵略のような資本と政治の癒着などを想起した向きも多かったでしょう。ともかく、現在もし地球上の警察機能を曲がりなりにも果たす国(アメリカ)が存在しなかったなら世界はどういうことになるか、想像しただけでも恐ろしいとは思われませんか?この地上で間断なく随所で行われてきたのは、支配者同士、市民同士の相互愛による平和だったでしょうか?
問題は、軍を保持し同盟を強化することの必要悪を明確に認識し、コントロールすべき国民の自覚だと思います。この点、大戦時において国民自身はどうだったかを含む総括を今からでも敢行すべきです。朝日のように手のひらを返したような自虐に走って余計な反発を招く愚行や、周辺国にプロパガンダの口実を与えるようなやり方の閣僚の靖国参拝はもううんざりです。安倍首相ももっともっと誠意を尽くしてわかりやすく国民を説得し、またもっと愚直に手続きを踏むべきでしたね。

〔私の回答〕
コメント、ありがとうございました。
たしかに、世界には軍備を持たない国はほとんどないかもしれません。
しかし、だからこそ、私は日本はそうあるべきだと思っています。
つまり、新しいあり方を提示するための70年間を体験し、いまこそ米軍の庇護からも脱し、「世界一無防備な国」になる道を選べないかと思うわけです。
念のために言えば、それは同時に、「世界の多くの国に役立つ国」でなければいけません。
それこそが、抑止力だと、私は思います。
そして、日本はいま、世界において唯一その可能性を持ち始めた国だと思っています。
歴史を反転させることができるかもしれません。
可能性があるのであれば、挑戦すべきだというのが私の考えです。
その結果、いささか時期尚早で失敗するかもしれません。
明治維新の草莽の志士のように、滅ぶことがあるかもしれません。
しかし、そうなろうとも、それを志向する価値があるというのが、私の思いです。
もちろん滅ぶことは避けねばなりませんが、これは生き方の「理念」の問題です。

たしかに、私も、人類が「覚醒するのか否か知る由」もないのですが、少なくとも覚醒するために自らを一歩進めていくということを大切にしたいと考えています。
「誠実や正義が通用しない政府が現存」することが、もし「残念」な事であるならば、少なくとも私の住んでいる国にはそうなってほしくないのです。
「尖閣問題が衝突事態を惹起する危険性は相当程度大きい」と思いますが、実際にそれを引き起こすのは、別の次元の話だと思います。これまでの戦争の発端は、むしろ軍事力の優劣比較からの論理的帰結からではないと思います。

「現在もし地球上の警察機能を曲がりなりにも果たす国(アメリカ)が存在しなかったなら世界はどういうことになるか、想像しただけでも恐ろしい」とは、思いません。
確かに秩序は乱れるでしょうし、私たち日本人はその秩序の利益を得ているでしょう。
しかし、その反面、中南米諸国やヴェトナムやアフガンはどうだったでしょうか。
秩序がゆるみだすことから、新しい時代は始まります。
明治維新もアラブの春も、そうでした。
秩序は、ある人には平和でも、ある人には戦争状態をもたらしています。
私自身は、誰かの犠牲の上に立った「世界秩序」の恩恵は受けたくありません。
これに関しては、かなり冗長ですが、前に「オメラスとヘイルシャムの話」を書きました。
よほど時間があれば、お読みください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/heilsham.htm

私も、「この地上で間断なく随所で行われてきたのは、支配者同士、市民同士の相互愛による平和」ではなかったと思います。
その4で書いたように、「平和」ではなく「勝者」にとって都合のいい「秩序」だったと思います。

「軍を保持し同盟を強化することの必要悪を明確に認識し、コントロールすべき国民の自覚」という意見は、否定はしませんが、国民が果たしてきちんとコントロールできるのかという疑問が残ります。
シヴィリアンコントロールさえ軽視され、ましてや違憲とされても、そんなことは無視していいという田母神さんのような高官に統治されているのが実態です。
そんな国家には、軍隊は任せられません。
まさに、「大戦時において国民自身はどうだったか」を思い出したいです。
とりわけ沖縄の歴史を私たちはしっかりと学びたいと思います。
今回の辺野古問題は、何も関わっていないことを示唆しているように、私は思います。

蛇足ですが、もし私が生活している社会が、他国や自国政府から耐えられないほどの攻撃を受けたら、いまの私は、ガンジーのような非暴力主義をとる自信はありません。
自分の理念には反しますが、たぶん武器をとって戦うだろうと思います。
草の根的に生まれてくるゲリラの戦いには、とても共感するところがあります。
その時には、老いも若きも、すべて戦いに立ち上がり、本当の意味での国民皆兵制が自発すると思っています。
国家による徴兵制ではなく、皆兵制であれば、いまの私は受け入れられます。
自らが戦うつもりもない人の閲兵式など見たくありません。

なお、「靖国参拝」については、書き出すときりがないのでやめますが、中国や韓国から批判されるからどうこうするという問題ではなく、それ自体の中に大きな問題が含まれていると思います。

なかなか共感は得られないでしょうね。
さらに違いが出てきたかもしれません。
しかし、コメントにはいつも感謝しています。
今度、おいしいコーヒーが手に入ったらぜひゆっくりとお話ししたいです。
ありがとうございました。

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