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2015/10/21

■節子への挽歌2970:残るものと消えるもの

節子
湯島のオフィスの前のビルが解体工事に入りました。
6階から見ると、その様子がよく見えます。
9.11ではツインタワーが一挙に崩れ去りましたが、解体工事はそんなに早くは進みません。
壊すのと壊れるのとは、明らかに違うのです。
ちなみに、ここに新しいビルができてしまうと、たぶん今のビルはもう思い出せなくなるでしょう。
いつも通っている道沿いの建物が壊されてさら地になってしまって少し経過すると、もうそこにどんな建物が建っていたか思いだせないことがあります。

人生は一挙に壊れることがあります。
じわじわと壊れていくこともある。
どちらがいいかは微妙ですが、伴侶がいる場合は、じわじわでもいいですが、独り身の場合は、「一挙」のほうがいいでしょう。
時間があったので、ぼんやりと解体作業を見ていて、そんなことも考えました。

若い僧籍を持つ友人がやってきました。
お寺や僧侶の役割の大きさについて、お墓や宗教について、少し話し合いました。
建物と違って、生命はそう簡単には消えていかない者だろうと思います。

その後、大学時代の友人が2人やってきました。
一人は節子も知っている人です。
私は大学時代の友人たちのなかでは、かなり脱落している存在ですので、仕事の関係の付き合いは皆無ですが、私も発起人の一人だった古代ギリシアの会を、その2人に引き継いでもらったので、その最近の報告に来てくれたのです。
20周年の記録をつくったと言って持ってきてくれました。
その会を一緒に立ち上げたおひとりの金田さんは、いまは新潟です。
金田さんもその会からは退きましたが、会はメンバーが入れ替わりながら続いているのです。
創設メンバーのおひとりの吉田さんは、いまも時々参加しているそうです。
20周年の集まりの記念写真も見せてもらいました。
懐かしい人もいます。
建物と違い、組織はメンバーを代えて残っていくようです。

この古代ギリシアの会、パウサニアス・ジャパンというのですが、この会の設立に私が関わることになったのは、節子の思い付きが関係しています。
節子とギリシアに行った時に、ミニオン岬に桜を植えたらどうだろうと節子が言いだしたのです。
帰国がギリシア大使館に手紙も書いたのです。
残念ながら取り上げてはもらえませんでしたが、その話を私が友人の守永さんに話したら、守永さんが吉田さんと金田さんに引き合わせたのです。
そして一緒に古代ギリシアの会を設立することになり、発起人会を湯島で開催したのです。
そんなことで、最初は節子も時々参加していました。
ところが、その数年後、節子とツアーでイランに行った時に、メンバーに守永さんの秘書をやっていた小林さんがいたのです。
それでちょっと話が盛り上がりました。
何やら因縁めいた話ですが、守永さんも小林さんも、もういません。
おそらくそのことを知っている人はもういないでしょう。
しかし、組織は残っていく。

残るものと消えるもの。
今日は、そんなことをいろいろと考えさせられました。

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