■節子への挽歌2978:世界は自分の考え方で実体化してくる「幻想」
節子
最近またいろんなことを並行的に取り組みだしてしまい、少し混乱しだしています。
その上、やりたいことがどんどん出てきてしまうのです。
何かをやりだすとそこから先にいろいろなやりたいことが見えてきてしまいます。
私の思考形式や行動形式は収斂型ではなく、拡散型なのです。
見えてしまうとついつい一歩を踏み出してしまう。
そのため、身のまわりがどうしてもおろそかになります。
最近は私の机は書類や書籍の山で、かき分けないとキーボードが出てこないほどです。
しかし、ささやかに関わらせてもらっていることに関して、ちょっとうれしいニュースが最近は届くようになってきました。
不思議なもので、悪いニュースは続きますが、良いニュースも続くもののようです。
もっとも、「良い」か「悪い」かは、一概には決められません。
私の価値観というか、判断基準は、往々にして世間とは逆のことがありますので、なんともいえませんが、私としては、ちょっと元気がもらえることが増えてきました。
友人知人が元気になると、私も元気になれます。
人はみんなつながっているからです。
しかし、冷静に考えれば、急に良いことが増えてきたわけではないでしょう。
要は、私自身が前に向きだしたから、同じものも「良い」ニュースとして感じられるのかもしれません。
世界は、まさに自分の考え方で実体化してくる「幻想」なのかもしれません。
そんなわけで、私の気のせいかもしれませんが、いろいろとまわりが前に向いて動き出しました。
いまはあまりに暇なために忙しいのですが(なかなか理解してもらえない表現ですが)、なにか心を燃やせるものに出会えるかもしれません。
しばらくはこのまま、流れに任せて、私も前に進んでみようと思い出しています。
きっと何かに出会えるでしょうから。
| 固定リンク
「妻への挽歌15」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌3000:3000日目(2015.11.19)
- ■節子への挽歌2999:「元気そうでよかった」(2015.11.18)
- ■節子への挽歌2998:歩いているとみんな良い人になる(2015.11.17)
- ■節子への挽歌2997:食材の安全性(2015.11.16)
コメント