■節子への挽歌2969:「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
節子
数十年交流のなかった知人の訃報が耳に入ってきました。
最近は、こういうことも決して少なくありません。
そんな時、ふと、あの人はどうしているかなと考えてしまうことがあります。
不思議なもので、そういう時に思いつく人が毎回違うのです。
今日、頭に浮かんだのは、私よりも少しだけ若い2人の人です。
ひとりは、睡眠時間は3時間程度で、新しいビジネスに取り組んでいた人です。
とても義理堅く、しかも精神性の豊かな人です。
湯島にも時々来ていましたが、そういえば、最近、連絡がありません。
福岡と東京を往復していたはずですが、気になりだすとどうしようもありません。
メールを送ってみましたが、返信はありません。
もうひとりは、節子も知っている人です。
なぜか節子が病気になって以来、パタッと連絡が途絶えてしまいました。
気になって彼のホームページを開いてみましたが、やはりまだ更新されていません。
私よりも若いので、まだたぶんビジネスの世界にいるはずですが。
そんなことを考えているうちに、人はこうやって、現世から少しずつ彼岸へと進んでいくのだろうと気づきました。
連絡のなくなった人を、詮索するのはやめたほうがいいような気がしてきました。
冷たいようですが、訃報は後になって知るほうがいい。
それもなんとなく耳に入ってくるほうがいいです。
悲しさに襲われないですむからです。
同時に、私自身もそうやって消えていく方がいいような気がしてきました。
社会とかかわりすぎていると、自然と現世から彼岸へと移ることが難しくなりかねません。
現世で忘れられ、訃報が届くころには、あれ、まだ佐藤さんは生きていたのか、と思われるのがいい。
そんな思いが強まってきました。
佐藤さんのように、生涯現役が私の目標ですと、ある人から言われたことがあります。
私自身には、生涯現役などという意識はなかったので、少し驚いたのですが、生涯現役ってどういうことでしょうか。
ダグラス・マッカーサーは、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と言いました。
その意味がようやくわかりだしました。
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