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2015/10/27

■疑念1:お金で統治する政府への納税嫌悪感

安保法制騒動に関して考えたことを10回にわたって書いてきましたが
しばらくその延長上に、現在の政府や経済界に関して、感じている疑念を何回か書いていこうと思います。
私の基本認識は、すでに「政府による戦争は始まっている」ということです。
それに関しては、このシリーズの最後に書ければと思います。

まずは昨日知った「衝撃的な事実」です。
今朝の朝日新聞から要旨を引用します。

安倍政権は26日、辺野古周辺の3地区の代表者を首相官邸に招き、今年度中に振興費を直接支出することを伝えた。辺野古への米軍基地移設計画に反対する沖縄県と名護市の頭越しに地元と直接交渉し、移設に向けた「同意」を浮き立たせる狙いがある。

辺野古周辺の3地区とは、自治体ではなく、住民自治会のような集落のようです。
その代表の区長も、法に基づいて選ばれたわけではなく、例えば私が地元の自治会の会長をやった時のように、自治会役員による持ち回りや推挙などで決められたのではないかと思います。
つまり、国が地方自治体を通さず、地元と直接交渉して公金を支出するということです。
その公金の一部は、言うまでもなく、私の税金です。

新聞記事の中で、成蹊大法科大学院の武田教授は、「お手盛りで額を決めて交付するのであれば、補助金等適正化法の趣旨に反する疑いがある。また、自治体ではない各集落が国からの交付金を適正に管理、使用できるのかも疑問だ」と言っています。
名護市の稲嶺市長は、「地方自治への介入だ」と批判しているそうです。

私にはこれは、政府によるお金を使った、あからさまな買収行為だと思います。
福島原発事故の補償のときの、石原環境相(当時)の「金目(かねめ)でしょ」発言を思い出しますが、安倍政府の最大の「武器」は「お金」なのだと思えて仕方がありません。
理念や共感、納得ではなく、お金で解決するスタイルです。
お金で解決しようとするのは、自らの正義を確信できないからでしょうか。
しかし、お金で解決するという発想は、問題を悪化させることになるのではないかと心配です。

政府がいやしければ、国民もいやしくなります。
今回、首相官邸に呼ばれた地元の3区長は期待をにじませたそうです。
仲井前知事のことも思い出します。
3人の個人的な批判をするつもりはまったくありません。
たぶんそうならざるを得ない状況に置かれているのでしょう。
お金の前にかしずく人、かしずかざるを得ない人はどんどん増えているのでしょうか。
格差社会化の、大きな問題がそこにあるように思います。
本来は反対になる契機であるはずですが。

金銭の前に心揺さぶられるのは、区長だけではありません。
たぶん地区住民のなかにも、そうした意識が生まれているのでしょう。
テレビで、地区住民が話していた中には、こうしたことを深く嘆いている人もいましたが、ある人は、基地で迷惑を受けるのは地元住民なのだから、名護市ではなく地区住民が交付金をもらうのは当然だと話していました。
沖縄にも、こういう発想が生まれてきているのかと、とても哀しい気になりました。
住んでいる地域は、確かに住民たちのものかもしれません。
しかし、住民たちだけのものではありません。

そもそも土地を、個人の私的所有権の対象としたローマ法の発想に間違いがあるように私は思います。
都市化されたローマと違い、自然の中で生きていたゲルマンの世界で生まれた法理は、土地は所有ではなく、総有とされたと、私は大学で学びました。
私がいまもって強く記憶していることの一つです。
私有地であっても、土地は個人の勝手には処分できないということです。
たしかに、基地ができて一番被害を受けるのは地元の人たちです。
だからと言って、お金と引き換えに、住民たちだけで土地の処分を勝手に決めていいのかどうか。
そこにどんな施設を作ってもいいのかどうか。

これは原発立地にも言えることです。
すべての地域が、もし基地や原発を引き受けなければ、基地も原発もできません。
原発の廃棄物の最終処理場がいまだにできないことが、それを物語っています。

もっと堂々と国民と議論し合う政府になってほしいと思います。
議論では説得できないからと言って、金銭や利権で買収するような政府にはなってほしくありません。
しかも、辺野古の環境監視4委員、業者側から寄付・報酬などという動きさえあるのです。
学者や有識者もまた、お金で心揺るがせられているのでしょうか。
お金で統治する政府への納税意欲は低下します。
買収行為に荷担することになるわけですから。

政府による戦争での殺人が罪にならないように、政府による買収もまた、罪にはならないのでしょうか。
政府の犯罪を訴えても、強行行為の中止を訴えても、同じ政府によって否定されたり無視されたりしてしまう。
3地区が首相官邸に呼ばれた昨日、翁長知事による辺野古承認の取り消しに関して、国交相が効力停止を決めたという報道がありました。
工事を継続したい防衛相の意向を受けて、同じ政府閣僚の石井国交相は、不服審査の裁決もせずに、防衛省が工事継続できるようにしたわけです。
現在の政府の統治機能とは、いったいなんなのか。
不気味さを強く感じます。

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