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2015/10/09

■安保法制騒動を考える1:目的の転移

アメリカの社会学者ロバート.K.マートンは、官僚制の機能障害(逆機能)を批判していますが、そのひとつとして、「目的の転移」現象を指摘しています。
一言で言えば、規則遵守をしているうちに、それを絶対視するようになり、本来は「手段」にすぎない規則や手続きが「目的」に転じてしまうということです。
そうなるのは、全体が見えなくなって視野が狭くなるとともに、現状の構造を固定化したものだと考えてしまうからだと言われています。

こうしたことは、官僚に限らず、誰にでも起こりうることです。
もしかしたら、今やこうした状況が、社会を覆いだしているようにさえ思われます。
最近の日本の大企業などは、まさにその典型と言ってもいいかもしれません。
将来を展望しなければいけない政治家さえ、いまや目的の転移のなかで、自らの使命を失っているような気がしてなりません。
今回の、安保法制騒動で、そのことを痛感させられました。

いうまでもなく、目的‐手段は階層的なものです。
であればこそ、私たちは、常に、手段の先になる当面の目的を超えた、さらに上位にある目的を考えていかなければいけません。
目先の目的からは有効だと思われる手段が、その上位の目的から捉え直すと、無効どころか、有害であることさえあるからです。
何か行動を起こす時には、緊急避難的に、決断を急がなければいけない時はともかく、時間的に余裕があるのであれば、できるだけ上位にある目的をしっかりと認識しなければいけません。
改めてそのことを考えさせられました。

これから、何回かにわたって、安保法制騒動で感じたことを書いていくつもりですが、まず思い出したのが、「マートンの目的の転移」論でした。
時代が大きな岐路にある現在、こうした大きな目的はとても大切です。
平和とか戦争とか、安全保障とか、そんな言葉で語ることの無意味さは、今回の安保法制騒動での国会のやり取りでみんなわかったのではないかと思います。
大切なのは、何を目指し、何を生み出したいかです。

私にとっての生きる目的は、「みんなが安心して快適に過ごせる社会の実現」です。
そこに少しでも役立ちたいと思っていますし、それが結局は、私自身が安心して快適に過ごせる社会を目指すことだろうと思っています。
私の言動は、ほぼすべて、この目的に立脚して行われています。
時に、これとは正反対の言動をすることがあるかもしれませんが、たとえ現実はそうでも、この70年近く、理念はぶれたことはありません。
その視点を基軸にしながら、明日から少し書いてみようと思っています。
私の意見は、少なくとも2人の友人からは受け入れてもらえていませんが(2人への回答は一昨日このブログにもアップしました)、どこにその原因があるのかを、私も理解したいと思っているからです。
その2人への回答になればいいのですが。

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