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2015/10/09

■節子への挽歌2958:自分の老いの自覚

節子
今日はちょっと用事があって、市役所に行ってきました。
用事が終わって帰ろうとしたら、見覚えのある人に出会いました。
とっさには名前を思い出せなかったのですが、関谷さんでした。
関谷さんもすぐに私の名前が出てこなかったようで、まあお互い、そんな歳になったわけです。
関谷さんは、我孫子の市民活動の第一世代です。
パソコン教室などで、市民活動を支援していましたし、一時はご自分でニュースレターも発行していました。

節子の葬儀の時、デイヘルプの森谷さんとおふたりでお通夜に来てくださったのを覚えています。
森谷さんもそうでしたが、関谷さんも、一家言持った実践する市民でした。
おふたりが、節子の葬儀に来てくれたのは、意外でした。
その森谷さんも、先日、逝ってしまいました。
森谷さんがいなくなって、関谷さんもさびしくなったでしょう。
関谷さんは盛んに、私のことを元気そうですね、と繰り返していました。
関谷さんは、少し足が悪くなっているようでした。
思うように活動ができなくなってきているのかもしれません。
それでも今日は、市民活動支援課や副市長に会いに来たようです。

自分が歳をとっていくのは、なかなか実感できません。
ただ同じ世代の友人知人に会うと、自分の老いを実感できます。
自分の意識と他者から見た感じは、まったくと言っていいほど、違うのでしょう。
自他の意識が大きく乖離しないように、注意しなければいけないと思いました。
節子という伴侶がいないいま、特に注意しないといけません。
なにしろ私の中の時計は、9年前で止まったままなのです。

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