■安保法制騒動を考える2:問題の混在
今回の「騒動」においては、さまざまな問題が混在し、それらが整理されなかったために、まさに「騒動」としか言えないような状況になったように思います。
少し整理してみましょう。
大きな問題は2つあります。
「安保法制の内容」と「その審議採決の進め方」です。
安全保障の問題と国会議論の正当性の問題は、まったく次元の違う話です。
しかし、それが混同して、「騒動化」したのです。
世論調査にも、それが明確に表れていましたが、最後まで、マスコミも国会も整理しませんでした。
そこには、それぞれの立場からの、問題の本質を見えなくするための思惑が働いていたように思います。
マスコミも、そこに登場する「有識者」も、本気で問題の所在の整理する気配はありませんでした。
そうした動きは、「意図的なもの」だったかもしれません。
「安保法制」として、10の法案が一括処理されたということも、まさに「問題の混在」を意味します。
つまり、従来の法律を改正した10の法律と一つの新法が、一括審議されたということです。
しかも、内容的に見れば、「存立危機事態対応」、「重要影響事態対応」、「国際平和支援」という、性質が異なる3つの安全保障領域が混在していると言われています
正確さを欠く言い方になりますが、なんとなく「戦争法案」と「平和法案」が混在しているような気もします。
私には、複雑すぎて一括審議ができるのだろうかと不審に思います。
いや、そもそも「問題」が成立していないのです。
民主党は代案を出さないと非難されていますが、個別には一部、代案を出しています。
しかし一括法案に代案を出すことなど、できようはずがありません。
そうしたことも曖昧なままに語られがちです。
ここにも、「問題の混在」が見られますが、そのことがあまりに軽く受け止められたと思います。
つまりここでも、問題を見えなくするという意図が働いていたのではないかと疑いたくなります。
問題の意図的な混在は、今回の騒動の特徴だと思います。
多様な問題が混在すれば、議論は拡散し、反対意見もまとまりにくくなるからです。
世論調査の結果も、それぞれが都合よく「活用」できます。
混乱は「支配」のための常とう手段の一つですが、反対者にとっても、有効な常とう手段なのです。
問題の混雑は、国会デモの現場でも体験できました。
いろんなビラが配られていましたが、なかには、なんでこんなビラがあるのかというようなものも何枚かありました。
政府の横暴さに抗議するということで正当化されるのでしょうが、私にはなじめないような個別問題の主張もありました。
さまざまな立場の人が集まるというのはとても意義のあるものですが、さまざまな目的が集まることには、少し違和感を持ちました。
ほかにもいろいろとあるでしょうが、ともかく「問題」が整理されずに、議論がかみ合わずに、みんなが言いっぱなしの話し合いに終始したような感じがあります。
国会での審議を聴いていても、ほとんどが「議論」になっていなかったように思います。
もしかしたら、これこそが、現在の日本の社会の本質かもしれません。
みんな、自分の小さな世界で語っているために、思考が進まなくなっている。
自らを相対化できないのは、マートンの言う「目的の転移」と関係しているのだろうと思います。
問題を共有することで、議論は成り立ちますが、それぞれが自分の「問題」だけで語り、相手の「問題」を理解しようとしない。
そのために、「騒動」にしかならなかったような気がしてなりません。
騒動の後に残るのは、虚しさだけです。
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