■節子への挽歌3011:悪いこともあれば良いこともあった1日
節子
今日も疲れる1日でした。
人と付き合うことの煩わしさを、改めて実感させられました。
不愉快なことが2つも起こってしまいました。
瑣末なことで不愉快になるとは、まだまだ私も人ができていません。
しかし、不快さを飲み込むことができるところまでにも達していないので、愚痴をこぼす存在がいないのは疲れるものです。
不思議なもので、もし節子がいたら、その不愉快な事柄も不愉快にならずにすんでいるかもしれません。
もっとも心和むこともありました。
野路さんがまたりんごを送ってくださったので、電話しました。
節子と親しかった奥さんも少しずつ記憶を取り戻され、お元気のようです。
なかなかお会いできませんが、いつかお会いできる時も来るでしょう。
長らく入院していた近くの家の旦那さんもしばらく退院できるというお話も聞きました。
お引き合わせしていた人と会えたという感謝のメールも届きました。
人を引き合わせることのむずかしさは何回も経験していますが、今回はとてもいい結果になったようです。
突然に湯島で辺野古の話をしてもらえることにもなりました。
これもとてもうれしい話です。
今日はほぼ1日、在宅でしたが、在宅していても、これだけのことがあります。
それがいい時代なのかどうかはわかりませんが、こうした時代のおかげで、私は何とか生き続けられたのかもしれません。
お天道様に感謝しなければいけません。
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